今夏、東京から札幌へ引越しをされた元生徒さんから、昨日、久々にラインが送られて来た。
「北海道のキロロリゾートではタイ語がたくさん聞こえてきます。このリゾートのオーナーはタイ人ですよ!」
写真がついており、次なる宣伝文句がついていた。
“LAUNCHING JANUARY 2018 Be surrounded by amazing at Kiroro’s first ever ski-in ski-out luxury condominium development”
この写真をバンコク在住の元タイ語講師で、北海道が好きで好きでたまらない弁護士に転送すると、彼女からすかさず返信が有った。
「เป็นของลูกความที่เคยทำงานให้ค่ะ ตอนหลังน่าจะถูกtake over โดยคนไทยด้วยค่ะ」(訳:私が弁護した訴訟依頼人が所有していた物件であるが、その後、おそらく別のタイ人によって乗っ取られたはずである。)
これを読んで私は驚いた。北海道で超富裕層のタイ人達がリゾート物件のオーナー争いをしているとは!
インドネシアの津波
今年の漢字が「災」に決定後、やはりそうかと思った。だがすぐに気持ちを切り換え、どうかもうあとは無事に新年を迎えたいものだと思った矢先、またしてもインドネシアで大きな津波が起きてしまった。
テレビニュースを見ていると、「15年間かけて、こつこつお金を貯めてやっと建てた家が、5分で崩壊した」と男性の被災者は語った。女性は「これからどうしよう。仕事が無い」と将来を案じていた。その女性の顔は私に似ていた。私がそこに座り込んでいるかのようであった。
時期が時期だから、2004年12月26日に発生したスマトラ沖地震がすぐに脳裏に浮かんだ。プーケット周辺のタイ人達もたくさん犠牲になってしまった。あれから14年。またしても大被害が…..。自然は美しいが、何が起きるかわからないという点では、やはり不気味だ。
孫太郎の「南海紀聞」
私は旧い雑誌を取っておくのが好きだ。一昨日、『新潮45』(1994年4月号)を箱から取り出して読み返した。その中に、「二百年前の東南アジア紀行 ~漂流記の古典「南海紀聞」より~」に関心を覚えた。書いた方はノンフィクション作家の門田修氏である。
門田氏は、「南海紀聞」を史料として、1764年に福島県塩屋崎の沖合で難破し、101日後、ミンダナオ島に漂着した「孫太郎」という人物を紹介している。孫太郎が無事に日本に帰還できたのは7年後。その間、奴隷として売られ、ボルネオ島やスラバヤ、ジャカルタ、パレンバン、等を経て、長崎に戻っている。
孫太郎がすばらしいのは、見聞したこと(ボルネオ島の首狩りの風習、南海に居住する中国人たちの生活、オランダの活躍)をきちんと覚えていたことだ。「鎖国から百数十年たっていたその頃、漂流民は貴重なナマの海外情報源だった」と門田氏。孫太郎が現地の言葉に通じていたことが、彼の見聞を広めたとのは間違いない。
全国小学生バドミントン大会
昨夜、鳥取県在住の元生徒さんから、「長女が全国小学生バドミントン大会に鳥取県代表として出場するため東京に行きました。新幹線に初めて乗った次男、めちゃくちゃはしゃいでいます」とラインして来た。写真には奥さん、おばあちゃん、次男、そして、団体戦に挑む友達が写っている。
「試合はどこで、いつ、行われるの?」と尋ねると、「八王子で、12月24日から28日まで。娘は団体戦が25日午前40分から、個人戦は27日の昼頃です」とのこと。年末に小学生の全国大会が行われること自体に、私としては驚きだ。
元生徒さんの結婚式に行ったのがつい昨日のよう。彼は順調に昇進し、そして、お子さんは全国大会へ。彼の運動神経が娘さんに伝わったのかと思いきや、奥さんゆずりだそうだ。
全国からの小学生の熱気を感じ取りたい。そこでこれから応援に行く。
孫太郎の「南海紀聞」
私は旧い雑誌を取っておくのが好きだ。一昨日、『新潮45』(1994年4月号)を箱から取り出して読み返した。その中に、「二百年前の東南アジア紀行 ~漂流記の古典「南海紀聞」より~」に関心を覚えた。書いた方はノンフィクション作家の門田修氏である。
門田氏は、「南海紀聞」を史料として、1764年に福島県塩屋崎の沖合で難破し、101日後、ミンダナオ島に漂着した「孫太郎」という人物を紹介している。孫太郎が無事に日本に帰還できたのは7年後。その間、奴隷として売られ、ボルネオ島やスラバヤ、ジャカルタ、パレンバン、等を経て、長崎に戻っている。
孫太郎がすばらしいのは、見聞したこと(ボルネオ島の首狩りの風習、南海に居住する中国人たちの生活、オランダの活躍)をきちんと覚えていたことだ。「鎖国から百数十年たっていたその頃、漂流民は貴重なナマの海外情報源だった」と門田氏。孫太郎が現地の言葉に通じていたことが、彼の見聞を広めたとのは間違いない。
西洋→アジア→日本
今年一年、怪我もせず、予定したことをてきぱきとこなし、そして、予定外のことにも迅速なる対応ができた。自分で自分をねぎらいたい。
私は小さい頃から英語が好きだったので、大学では英文学を専攻。その関係で、意識は常に西洋に向いていた。しかし、社会人になってからは、タイとの御縁ができ、約50年間、ずっとタイ語に接して来た。
そして還暦を過ぎてから、生け花と編物を習い出した。茶道教室に通い始めたのは3年前。したがって、着物を着る機会が増えるにつれ、着物の伝統美について学んでいる。色彩感覚がとても重要であることは、生け花も着物の世界も同じ。というわけで、今は「和」の世界に惹かれている。
いずれにせよ、西洋、アジア、そして日本に関して学ぶことはいくらでもある。勉強は楽しい。
年末年始休暇
泰日文化倶楽部は今日から1月7日(月曜日)まで、年末年始のお休みです。生徒の皆様、どうか間違って教室にいらっしゃらないよう、お願いいたします。
休みになると、勉強はしたくないものですね。休みは休みだから…..。
しかし、タイに関することには何かしら触れておくよう意識しましょう。
浅草や上野に行けばタイ語が聞こえて来ますから、是非是非。
山手線一周するのもいいでしょう。タイ人旅行者がたくさん乗っていますよ。
要は、いろいろなツールや機会を見つけて、タイ語と仲良くするのが一番です。
タイ語の感覚をキープし、より磨きましょう!
今年最後の授業
今日(12月22日 冬至)、今年最後の授業を実施する。お盆休み以降の4ヶ月があったいう間に過ぎた。無事にここまで来られたことに安堵を覚える。何はともあれ、タイ人講師達と生徒達に次なる点に対して感謝あるのみである。
1)タイ人講師が懇切丁寧に教えてくださったこと。
2)タイ人講師達のレベルが非常に高いこと。
3)生徒達が仲良く、楽しく勉強してくれたこと。
4)生徒達が定着していること。
現時点での泰日文化倶楽部は、男性の生徒数が女性の生徒数を6名ばかり上回っている。しかし、学ぶ意欲の点に於いては女性のほうが上だ。教えていて、彼女達の底力を感じ取ることができる。
今日が最後の授業日だというのに、今日からプライベート・レッスンを希望されるビジネス・ウーマンが現れた。「新年明けてからにしましょうよ」と私が提案すると、「いえ、今日から勉強したいのです」という返事。意欲的な女性と今日、初対面だ。
教室での忘年会
昨日、「タイ語初級 木曜日13:00」と「タイ語上級 木曜日18:30」のクラスが、それぞれの時間帯に、教室で忘年会をして、今年一年、互いに楽しく勉強したことを確認し合った。
ボン先生は約束通り、自家製タイ風シュウマイをたくさん持って来てくださった。3時間かけて120個、作ったとのこと。シュウマイにかけるたれも独特な味で、生徒の皆さんは大満足。付け合わせのパクチーをむしゃむしゃ食べる生徒さんもいた。パクチー大好き人間だそうだ。
教室の近くに在るベトナムのサンドイッチ店から、いろいろな食材が入ったサンドイッチを買って来られた生徒さんがいた。確かに美味しい。特にパンが!
A氏はわざわざ仕事を休んで、鶏の胸肉と腿肉を家のオーブンでグリルし、タイ風に味付けして持って来てくださった。女性達は無口のまま、彼の鶏を一斉に食べた。
虎ノ門にある超有名な大福店から買って来たという生徒さん、大福を有難う。来年はビッグな福が来ますように!、
縁起かつぎの食事
縁起かつぎの食事なら、おせち料理が究極の組み合わせであることは百も承知だ。だが、正月まで待ってはいられない。
そこで鰻(ปลาไหล)を食べた。人生、どうかうなぎ上りに行きますようにと願いながら…..。
先日、和歌山県から「金山寺みそ」が送られて来た。どうか金の山(ภูเขาทอง)が現れますように…..。
同じく、和歌山から「紀州南高梅」が届いた。寒風に咲く白梅。忍(ความอดทน)の一字だ。
昨日は池袋の量販店に充電器を買いに行った帰り、「最上川ポーク丼」を食べた。来年こそは最上(ยอดเยี่ยม)の年でありますように……。
私はせっかちな(ใจร้อน)性格だ。だから、もう鬼子母神にもお参りしたし、巣鴨のとげぬき地蔵(高岩寺)にもお参りし、観音様の御神体も洗い、すっきりした。あとは大鳥神社の知恵の輪をくぐり、頭脳(สมอง)をシャープにするだけである。