褒め上手

茶道仲間の一人は自ら率先して茶花を生ける。花は路傍に咲いているものだ。花屋で買って来るものではない。しかも稽古場へ来る道中に見つけて手折って来るから、果たして茶花に適切な花が有るかどうか、毎回、気をもんでいるとのこと。

彼女が生けた花を私はいつも褒めて上げる。褒めてくれるのが嬉しい、と彼女。人や作品を褒めるには、まず長所を見つけなければならない。長所を見つけるには、それ相応の基準が必要だ。自分の眼識が高ければ高いほど褒め方が上手になる。

誰でも褒められると嬉しい。典型的な例は幼児だ。幼児に向かって、「よくできたね!」と手をたたくと、幼児は喜んで何度でも繰り返す。褒められたことが素直に嬉しいのである。周辺にいる身近な人達に対しても褒め上手でありたい。褒め上手になるには、まず自分の教養と眼識を高めよう。

今日の翻訳

タイ国語教科書3年生向け(พ.ศ. ๒๕๓๕_)の中の「ครอบครัวของเพชร」の最終回である。この話の中に出て来た日常生活に於けるタイ語の動詞をまとめると、とても勉強になる。

๑. พอดีเพชรเดินเข้ามากระโชก ถามวีระว่า “แกจะมาหาเรื่องกับพวกข้าหรือ พ่อกับแม่ของข้ามีบัตรประชาชนนะ”

๒. “หยุดนะเจ้าเพชร! เขาพูดดีกับแม่นะ ผิดกับคนที่มาถามเรื่องบัตรประชาชนนั่นมาก”

๓. แม่ของเพชรบอก เพชรจึงยิ้มกับวีระแล้วพูดเบาๆว่า “นึกว่าแกมาขู่แม่ข้าเหมือนเจ้าคนก่อน ข้าจะชกเสียให้คว่ำ” แล้วเขาก็ทำงานต่อ

๔. วีระนั่งดูเพชรทำงานอยู่ครู่หนึ่ง ก็ลาแม่ของเพชรกลับบ้าน เขาคิดว่าครอบครัวนี้คงเรียนหนังสือมาน้อย จึงพูดจา ข้า เอ็ง แก

๕. วีระรู้สึกชอบเพชรมาก ถ้าเพชรเรียนหนังสือ เขาคงจะพูด ฉัน เธอ และพูดจาเพราะหูกว่านี้

สมเหตุสมผล

先日、授業中の自由会話で「リーズナブルな値段」という表現が出た時、タイ人講師がそれはタイ語で「ราคาสมเหตุสมผลです」と言って、ホワイトボードに板書した。「ราคา=値段」、「สม =ふさわしい」、「เหตุ=原因」、「ผล=結果」の4語からの合成語だが、とくに注目すべき表現は、「สมเหตุสมผล=しかるべき」である。

เหตุ(原因)と ผล(結果)は、元はといえば、เหตุผล(因果、理由)である。それをばらして、สม(ふさわしい、しかるべき)と組み合わせ四文字熟語にし、音調が良いようにしている。いずれにせよ、いかにも仏教的表現である点に興味を覚える。

「สมเหตุสมผล」は、日本語ืに訳すと「適性なる」という表現があてはまる。だが我々日本人は「リーズナブル」という英語を使うことが多い。「reason(理由)+able(可能)」→「reasonable」。思うに、タイ語の「สมเหตุสมผล」 と、英語の「reasonable」とは、表現及び考え方において近いものが見られる。

榛の木

昨日、「アジア女性のための生け花クラス」を実施した。花材は、①榛の木 ②白小菊 ③日蔭蔓の3種であった。榛の木の榛は、<はん>と読む。この漢字、読みにくい。教えてもらわなければ正しく読めない。

最近、ニュースで榛葉さんという政治家がいることを知った。「しんば」と読むそうだ。これまた読みにくい。ネットで調べると、「榛」という漢字は、音読みは、シン、ハン、一方、訓読みは、はしばみ、はり、はん(榛の木)、はい(榛原、地名)、はる(榛名湖)、と解説されていた。

漢字の読み方は難しすぎる。頭を鍛えるどころか、イライラ感がつのる。ちなみに、榛の木は、英語で、hazelnut (西洋ハシバミ)。ヘーゼルナッツと聞けば、すぐにピンと来て分かりやすい。

今日のタイ語作文

1.少子化問題が深刻である。

2.来年の学生募集をやめる大学も有る。

3.大学も専門学校も学生の獲得に躍起だ。

4.地元の大学を出て、地元の県庁、あるいは市役所に勤める道を選ぶのは無難な生き方である。

5.中学か高校時代の同級生と結婚し、広い庭付きの親の家で住むと安泰だ。

寺の後継者不足

昨日、母の33回忌法要が有った。お経をあげて頂いた後、お上人(日蓮宗住職)とご一緒に食事をしている時に、彼が何故、僧侶の道を選んだかを長々と話して聞かせてくださった。北九州から東京に来て早稲田大学に入学したが学生紛争で大学に魅力が感じられず、池上本門寺の門をたたいたこと、身延山の修行の厳しさ、青森市内の寺で長い間、副住職としておつとめをした後、縁あって平塚の寺にいらしたこと、云々。

彼は私と同じく78歳。独身を通されているので跡継ぎがいない。目下の彼の悩みは後継者探し。最近は修行という言葉を敬遠し、自分は好きなことをやるんだという息子達が多く、寺を継がない傾向が顕著。したがって、廃寺が増えているそうだ。

彼が58年前に早稲田大学に通っていたと聞き、私はさっそく高田馬場の今の様子をおしえて差し上げた。私利私欲が全く無く、ファンタジーな小説もお書きになる彼。そのうち高田馬場が彼の本に登場するかもしれない。

街の電気屋さん

自宅の水回りをリフォームすることにしたので、西早稲田に在る電気屋さんに電話をした。いろいろなことがよく分かっている方だったので、即、お願いすることに決めた。数日後、リフォームすべきところの点検に来てくれた。感じが良くて、話し方も明晰。信頼できると思った。

この際だと思い、教室のエアコンも交換することにし、後日、教室にも来てもらった。その時、たまたま授業中であった。タイ語教室だと分かると、彼は私に「サワッディー・カ」と言った。そして、タイ料理の名前を連発した。何故、知っているのかを尋ねると、タイが大好きな奥さんの影響だそうだ。

偶然とはいえ、タイ料理が好きな電気屋さんにお願いすることになり良かった。タイ語教師の習い性として、私は彼に助言した。「サワッディー・カは女性言葉です。男性はサワッディー・クラップと言います」、と。彼は解せない顔をした。しかし、すぐに明るい表情になった。

今日の語彙

1.ナンセンス     2.ニッチ

3.ヌード       4.ネットワーク

5.ノンポリ      6.ハローワーク

7.パトロン      8.ヒットマン

9.ファイル     10.ファックス

11.ベンチャー   12.ホカロン

老松

一昨日の炉開きの時に使われた大棗は輪島塗で、模様は老松であった。見事な枝ぶりに瞠目した。そして輪島と聞いて、今年の元旦に能登半島を襲った地震の犠牲者や被災者に思いを馳せた。私は茶道講師に尋ねた。「このお棗は先生が何歳の頃、お求めになられたのですか?」

茶道講師はよくぞ聞いてくださいましたとばかり、その棗を入手した経緯を語ってくださった。「若い頃、目上の知人から何が欲しいですかと聞かれたので棗だと答えると、その方は輪島塗の棗を購入してくださったのよ」

その殿方はもはやこの世の人ではない。だが、輪島塗の老松は永遠なる輝きを発している。彼が心燃やして探し求めた逸品であることは一目瞭然。輪島の職人さん達に言いたい。今はおつらいであろうが、茶道を愛する日本人のために、輪島塗の伝統美を守り続けて行ってください、と。

亥の子餅

昨日、茶道教室で炉開きが有った。亥の子餅をいただいて無病息災と子孫繁栄を願った。「亥は陰陽五行説で水にあたり、この日から火を使い始めると安全とされ、茶道ではこの日に<炉開き>を行い、その茶菓子に亥の子餅がよく用いられる」とネットに書いてある。

旧暦だと11月は「亥」にあたる。そして、11月の最初の「亥」にあたる日の「亥」の時刻に炉開きが行われ、亥の子餅を食べるのが習わしだそうだ。今年は11月7日が「亥」の日であった。

茶道に於いて水差しの蓋を取る時、お点前によって、二手(ふたて)で取ったり、三手(みて)で取ったりする。日常生活でも、「二手に分かれる、三手に分かれる」と言う。<ふたて>と読むのであれば、何故、<みつて>と読まないのか? <みて>と読むのであれば、何故、<ふて>と読まないのであろうか? 我々は習慣のまま、古(いにしえ)を踏襲している。