子はかすがい

先日、30歳代後半の元生徒さんと電話で話している流れで、「子はかすがいだから」という表現を私が使うと、彼はすかさず訊いた。「かすがいって、何ですか?」
 そこで、「建築に使われるものですよ。あえて分かりやすく言うならば、扉と扉をつないでいる蝶番みたいな役目をするものとイメージしてください」と、私は答えた。
 電話の後、私は<かすがい>という単語を調べた。まず驚いたのは、漢字が難しい。<鎹>という字なんて書いたことがない。柱と柱をつなぐ金具で、[ のような形をしている。
 今日の結論=高齢者と一緒に住まなくなった人達には、昔よく使われていた表現を聞く機会が無い。新しい時代に押し寄せて来る単語で暮らしている。それもありかなあとは思うが、小説等を読み、昔の表現を少しは知って、残していってほしい。

胡麻新月

昨日、青森から「胡麻新月」という菓子が届いた。見た目は南部せんべい。いや、南部せんべいそのものだが、豪華版だ。ちらしの説明にはこう書いてあった。
 「噛めば噛むほど甘みがお口いっぱいに広がります。特殊製法の生地に厳選された胡麻を表とそして、裏にもぎっしり贅沢につけました。今までに食べたことのない食感と味に仕上げた堂々の商品です」
 早速、頂戴したが、私には塩味しか感じとれない。そこではたと思い当たった。私は都会の甘い菓子に慣れ過ぎていたのではあるまいか、と。
 あらためて、せんべいを噛んでみた。しかし、やはり塩味だ。3度目の正直だと自分に言い聞かせつつ、またせんべいを噛む。だが、そのようにして無理矢理に甘さを感じようとするのはよくないと思った。
 よくよく考えてみれば、雪国の人達と私とでは生活リズムが全く違う。彼らはゆっくりと噛んで、塩味の中からじっくりと甘さを味わうのであろう。

或る禅僧の生活

或る禅僧が書いた本を読み始めたが、なかなかに興味深い。彼は次のように書いておられる。そして、105歳で天寿を全うされた。

1.私の現在の生活は三分の一生活です。

2.すなわち三分の一は宗教者としての深奥にひそむ任務、三分の一は雑用(遊びと称している)、三分の一は体を横にする。

3.一日をこのように三つに分けてくらしている。

4.朝は茶粥二杯、梅干し一つ、菓子半分、薄茶一服。

5.昼はうどんのみ。 夜はあり合わせのもの。いただきもので五勺の酒とめし一椀、みそ汁一椀半、あり合わせのジュース一杯。

6.家にはよけいなものはいっさいおかない。必要具のみ。

7.訪問客があればお目にかかるが、こちらからはよほどのことでない以上伺わない。

8.テレビ、ラジオはいっさい見ない、聞かない。

9.うっかりすると、朝から晩までひと言も言わない日もある。

情報の海で

昨日、古本屋で、『半眼訥訥』(髙村薫 文藝春秋刊 2000年)を購入。この本は1993年から1999年に発生した事件や事象について新聞に書いた記事をまとめたものである。本の帯に<著者初の雑文集>と書いてあるが、決して雑文ではない。
 「情報の海で」という記事(読売新聞 1995年10月7日夕刊)では、著者は母親のことを書いている。
== わたくしの七十四歳になる母は、実はわたくしよりも先にインターネットを楽しんでいる自由人だが、その母が手元にいつもメモ用紙を置き、テレビや新聞で出会う新語を書きとめては、あとで辞書を引いている。そうしなければ、夥しい情報に取り残されるからだが、当人はそのつど、自分が年をとったという悲哀を、ことさらに味わうらしい。<中略>
情報の海を泳ぐのは現代人の宿命だが、それも有限の人間の営みの一つだと思えば、インターネットの時代も、余裕を持って迎えられるのではないだろうか。==

 私がインターネットの存在を知ったのは、1995年の阪神淡路大震災の時である。髙村薫は<情報の海>と表現しているが、あれから25年(4半世紀)後の2020年は、もはや情報の激流であり、濁流である。

今日の宿題

もしも東京在住の人間が地方へ出かけて行くことをあまり歓迎されないのであれば、都内で美味しい食事をし、美しいものを鑑賞して、新たなる人生の歓びを看取するしかない。
 今日は以下の仮定法の文章に、自由な発想にもとづく結末をつけて、タイ作文をしなさい。

1. もしも激辛料理を食べすぎると、

2. もしも酒を呑みすぎると、

3. もしも冷房の部屋で長時間、寝すぎると、

4. もしも徹夜で働き続けると、

5. もしも無計画のまま浪費しすぎると、

6. もしも悲観的に考えすぎると、

語学学習に向いた人

 昨日、仕事先でとても明るい性格の男性に出合った。私が発音するタイ語を、彼はすぐに物真似、いやもとい、口真似をし、タイ語に関心を示したのである。
 最初は冷やかしで言っているのかなあと思ったが、そうではなかった。外国語の音を真似するのが、心底、好きそうであった。そういう方であれば、タイ語の学習にはとても向いている。
 とにかく素直に、そして、すかさず発音するから、タイ語の声調がぶれる時間すらなかった。ちょうど子供が真似をする姿と同じだ。
 その彼を見ながら、語学学習に向いた性格には、明るさと素直さが必要であることを久しぶりに認識しなおした。

今日の宿題

タイ語作文

1. 日曜日といえども、宿題をやらなければならない。

2. 最近のタイ語作文は難しすぎるという生徒が多い。

3. コロナの影響で、親戚関係が疎遠になりつつある。

4. 職探しはしているが、条件が良い仕事はなかなか見つからない。

5. コロナが終息したら、人々の考え方はどのように変わっているであろうか?

創意工夫の料理

昨夜、姪の娘と一緒に近所のイタリア・レストランへ行った。客は我々2人だけ。シェフもスタッフも優しく応対してくださり、心がなごんだ。このコロナ禍における経営の厳しさをおくびにも出さず……。
 私は「大三島のレモンとからすみのパスタ」を注文。これまでに食したことがない組み合わせだったから、珍しくて食が進んだ。
 長梅雨で日照不足。この憂鬱さを吹き飛ばすには、楽しい食事をすることである。レストランで覚えた味をいつか自分で作ってみる。しかも創意工夫した組み合わせで頭も目も動かしてみることはいいことだ。
 そのイタリア・レストランのオーナーはとても有名な女性である。食事が終わって帰ろうとすると、たまたま店にやって来られた彼女からほおずきをプレゼントされた。今年は浅草寺のほおずき市が中止されたので、思いもかけぬプレゼントに夏を感じた。

今日の宿題

タイの卓上カレンダーには、毎月、タイの地理や文化が、タイ語と英語で紹介されている。7月度は以下の通りである。タイ文と英文の構造比較をしてみよう。

1. ดินแดนพื่้นที่ราบสูงถิ่นอีสาน มีอาณาเขตดิดต่อประเทศลาว และกัมพูชา จึงมีความโดดเด่นด้านอารยธรรมโบราณอย่างปราสาทหินที่ได้รับอิทธิพลจากอาณาจักรขอม

The northeastern region of Thailand, known as Isan, is the land of high plateaus. It borders Laos and Cambodia. Many influences from the former Khmer Kingdom are apparent in ancient stone temple complexes.

2. และด้วยมีความเชื่อพื้นถิ่นเรื่องตำนานพญานาค ทำให้เกิดสถาปัตยกรรม ประติมากรรมรูปพญานาคมากมาย

Local people exhibit strong beliefs in Naga, the great serpent, through different Naga sculptures in various places.

脳活+目活

脳活の必要性はかなり前から聞かされている。それには語学の勉強がもってこいだ。しかし、続けなければ意味が無い。 
 よくよく考えてみれば、「活」という漢字には、「舌が入っている」。たくさん喋って、舌を動かそう。
 ついでに言うと、舌の動きも大切だが、目に刺激を与えることも大切だと思う。いわめる「目活」だ。
 先日、食事に行くと、隣に座った80歳位の女性が鰻重を注文。彼女が蓋を開けたところをちらりと見た。おいしそうだ。豪華だ。私が頼んだのはいわゆる定食。差をつけられた。嫉妬心を覚えた。よし、次回は私も鰻重を頼もう。以来、私の頭の中は<食活>でいっぱいだ。
 もう一つ、着物の着付けを習いに行った時のこと。50歳位の女性が浴衣の帯の結び方を習いに来ていた。70歳代の私とは帯の結び方が異なった。ここでも年齢差に愕然としたが、そこは気を落ち着けて、彼女の帯姿をじっと眺めた。
 見ることは刺激だ。そして、嫉妬心を覚えると、脳に指令が行くことがわかった。