「忘れました」というタイ語

昨日からTさんが復帰された。彼と会うのは1年半ぶり。見事、医師国家試験に合格し、現在は研修医として都内の病院で働いておられるそうだ。
 タイ語のことを尋ねると、「もう忘れました」と彼が言ったので、「それをタイ語で言ってみてください」と私は促した。「ลืม ルーム(忘れる)」とすかさず反応したところを見ると、単語は忘れていない。
 私は助言した。「ลืม だけですと、それは辞書の中に出ている見出し語に過ぎません。もっと動きのある表現をしないと」
 彼は素直に従い、完了形を使って「ลืมแล้ว 忘れました」と言った。
 横で聞いていたタイ人講師がさらに補足した。「ลืมหมดแล้ว 全部忘れました」
 ところが、さらにタイ人講師は表現をがらりと変えた。
 「タイ人なら、จำไม่ได้ (覚えていない)と言いますね」
 日本人は生真面目に直訳をしようとして、どうしても発話が遅くなる。会話は勢いだ。相手に気持ちを伝えようとする場合、内容が合致していればいいのである。カチカチにならないで、柔軟に話そう!

10年前のタイ人講師

昨日、タイ女性から電話が有った。タイ語を教えたいという用件であろうことはすぐにわかった。私は丁重にお断りをして、電話を切ろうと思った。
 ところが彼女は言った。「先生、エーです。以前、教えに行っていたエーです」
 それだけではわからない。エーさんという女性には何人も会ったことがあるからである。そこで本名を尋ねた。本名を聞いて、あっという間に思い出した。教え方に定評が有った先生だ。
 「子供達が学校に行き始めたので、昼間、教えに行きたいです」と、彼女。
 クラスがもっと有れば、是非とも教えに来ていただきたいが、残念ながら、今は無理。
 彼女は結婚を機に泰日文化倶楽部をおやめになった。あれから10年……。早いものだ。コロナ禍の第2波を想定して、新規の入門クラスの募集は控えている。秋以降、エー先生のためのクラスが平日の昼間に開講できることを願っている。

マスクメロン

マスク狂想曲が一段落した。いや、まだまだ終わっていないかもしれない。何故ならば、夏用マスクの販売が大手の会社で商魂たくましく打ち上げられているから…..。
 一連のマスク騒動に於いて、女性の手はすかさず動いた。そして、可愛いマスクが次から次に考案された。この女性の力がさらに新しいものへと昇華していくことを期待したい。
 ところで、マスクからマスクメロンに話を変える天邪鬼(あまのじゃく)をお許し願いたい。マスクは“mask“と表記し、マスクメロンのマスクは“musk”と表記する。後者の意味は、「麝香(じゃこう)」。当然、発音は違うが、カタカナ表記にするとす、悲しいかな、同じになってしまう。
 以下に、いくつかの英単語を列挙するから、意味を考えてみよう。
 1) bat / but 2) cat / cut
 3) hat / hut 4)rat / rut
 5) matter / mutter  6)fan / fun

音読訓練をしよう!

今朝、NHKで「音読チャレンジ」と称する脳活を勧めていた。専門家の助言によると、次なることをすれば良い結果が得られるそうである。

1) 小説等を開いて、見開き2ページを一気に音読する。

2) 読み間違いは全く気にしなくてかまわない。

3) 内容を吟味する必要はない。

4) 音読することで、脳に刺激を与えることが狙いである。

5) 知的好奇心も湧いて来るはずだ。

 いずれにせよ、自粛生活で衰えてしまった言語能力の回復をはかる必要がある。タイ語の生徒達はタイの小説か新聞で訓練を!

絵の解説

手元に『世界の美術』(河出書房新社 1965年)が有る。色が褪せた感じなので捨ててしまいたい…..。しかしながら、絵の解説がすばらしいので取ってある。
 『世界の美術 26 ルソー/デュフィ』の解説は詩人の大岡信氏だ。最近の我々は何を見ても「すごい!」と叫んで終わり。その先の言葉が貧弱。そこで、大岡氏の解説を引用し、短文のまとめ方を参考にしたい。

 1.ルソー <オートゥイュの高架橋> = 細密な筆致で丹念に描かれた風景画。遊覧船・馬車・釣人など懐かしく古風な銅版画を思わせる古拙な情景である。

 2.デュフィ <室内のバラ> = むせるような初夏の緑に完全にまじりこんだバラの花。外の光や空気は室内に自由に侵入し、明るい感覚の歓びをうたっている。

「水無月」という和菓子

京都では、室町時代以来、6月30日に「水無月」という和菓子を食べる習慣が有るそうだ。三角形の白い外郎(ういろう)の上に小豆を乗せたもので、6月にしか買えない和菓子である。
 これは「夏越の祓え(なごしのはらえ)」に供されて来た菓子で、邪気払い、悪魔払いの願掛けだとのこと。
 白い外郎は、「氷」を模しており、地位が高い人は実物の氷を食すことができたが、庶民はそういうわけにはいかなかったようだ。いずれにせよ、邪気払いは是非ともしたい。
 今日(6月19日)より、日本全国どこへでも行ってよいことになった。あいにくの雨だから出足をくじかれた。ネットであちらこちらを検索している。そのうちの一つに、「有松絞り」で有名な愛知県の名鉄沿線の有松が目にとまった。浴衣といえども結構お高い。
 したがって、有松絞りの浴衣を着て、水無月の和菓子を食べるイメージだけにひたっている。

江戸時代末期の寺子屋

東京都中央区に在る大伝馬町と小伝馬町の歴史を調べていると、江戸時代末期に於ける寺子屋のことが記述されていた。箇条書きにするので、タイ語に訳してみよう。

1.江戸後期、小伝馬町に読み書き・計算を教える寺子屋がたくさん出来た。

2.町人の子弟に教育をほどこそうという熱意が感じとれる。

3.神官の千代田信安が経営する「好学堂」という塾には、明治2年、
男子生徒が68名、女子生徒が62名いた。

4.安政から慶応までの14年間に、江戸の寺子屋の数は400~500に達し、
全国では、16,560の塾が存在した。

5.指導者の中には、元士族の浪人も多くいた。

町家 vs コンクリートの箱物

昨日、NHKの朝のニュースで、建築家の隈研吾氏が次なる内容を話しておられた。「これまで箱物ばかりに関心を持って来ましたが、今度のコロナで、町家の素晴らしさを再認識しました」
 私は町家形式の家で育ったから、コンクリートの家にいつも憧れていた。しかしながら、コロナ禍に於いて、確かに町家も悪くないなあと思う。玄関を入ってから、家の奥まで履物をはいたまま通り抜けられる。ということは、空気がいつも流れていて換気が良いということだ。そして、坪庭を眺めていれば、閑静であり風流でもある。
 昨日の午後、豊島区役所へ行く用事が有った。その区役所は隈研吾氏が設計したものである。1階のテラスでアイスコーヒーを飲みながら周囲を見渡すと、更地になったばかりの土地が目にとまった。さらにその奥にある古アパートも解体されようとしている。おそらくまたコンクリートの箱物が建つにちがいない。

最近の高田馬場

6月1日(月曜日)から授業を再開したので、昨日15日の「タイ語中級 月曜日18:00」のクラスは早くも3回目であった。このクラスはピカピカ先生が担当しておられたが、彼女が4月から会社に就職したため、私が責任を持って指導している。
 そして、このクラスのお楽しみは、授業後、東京で一番安い居酒屋へ行くこと。私も参加して、いろいろな話題に耳を傾けている。
 居酒屋は机を減らした。お店の方達は以前よりも気をつかっている。客は静かに飲んでいる。私達は店に感謝あるのみ。何故ならば、無くなったら困るから……。
 最近の高田馬場周辺はピーク時の3分の1の人出である。歩道を歩いていても歩きやすい。郵便局へ行っても並ばなくて済む。隣りのビルに入っている有名な旅行会社はシャッターを閉めたまま。
 生徒達はタイへ行きたい。だが今は叶わない。じっと我慢してタイ語を勉強しようと言いながら居酒屋を出た。

今日の宿題

形容詞に注意しながら、タイ作文をしてみよう。

1.暗い話題はもう結構。何か明るい話題は有りませんか?

2.明るくてさわやかな声が聞きやすい。しわがれ声は聞きにくい。

3.文句が多い客は嫌いです。おだやかな客を歓迎します。

4.幅広い視野で新しい企画を講じたい。古い考えよ、さようなら。

5.時には大雑把、時には緻密。そのような行動でいいと思う