ラオス語のクラス

  最近、ラオス出身の女性にお会いすることが有った。彼女はラオス料理店のオーナーであった。ラオス料理だけではやっていけないので、タイ料理も提供しているそうだ。
  「お客さんの中にはラオス語を勉強したいという人がいます。でも、なかなか無いんですよね、ラオス語教室が」、と彼女は言った。
  そのような話はよく聞く。泰日文化倶楽部でタイ語を習っている生徒達からも時々、「ラオス語クラスを開講してください」と言われる。
  ラオス語講師なら知っている。だが、生徒が8人集まらないと採算が合わない。私が知っているラオス語の先生は日本に長く住んでおられるから、安い講師料でお招きすることは失礼だからである。
  いずれにせよ、同じ時間帯に生徒を8人も集めるのは至難のわざである。かくして、ラオス語のクラスの誕生は望むべくもない。

ある国文学者

  私が住んでいるマンションに、平安時代の言葉を研究している国文学者がおられる。開いている窓から、一度だけお部屋の様子が見えたことがあるが、壁一面、本でいっぱいであった。彼とは玄関先ですれちがうことが何度かあったが、最近、お姿をみかけない。
  そこで、管理員さんに尋ねてみると、「あの方でしたら、もう2年前にお亡くなりになりましたよ」、と言われた。
  私はいろいろな意味で驚いた。お見かけしないまま、もう2年が経ってしまったこと、そして、いっぱい詰まった彼の頭の中の知識がかなり前に消えてしまっていたことに。
  マンションでは、空巣対策として、掲示板に訃報の知らせを貼らないきまりにしている。したがって、住民は誰が亡くなったかわからない。家族もそれを望む人達が多いらしい。希薄といえば希薄な集団だ。

中年からのタイ語

  タイとの出会いは早ければ早いほどよい。しかし、それがいつになるかは人さまざまである。出会った時が「タイ語元年」。そう思うことにして、自分なりのタイ語暦を刻み続けていくことだ。
  泰日文化倶楽部は、今、中年パワーがすごい。人生半ばにして、タイと出会った方達。タイ語の勉強は苦しそうだが、毎週きちんと通って来ているところをみると、タイ語の勉強が楽しいのかもしれない。
  生徒達は言う。「タイへの航空券を予約すると、タイへ行く日までのカウントダウンが始まり、とても楽しみです!」
  タイへ行く日までの数ヶ月間、泰日文化倶楽部に通い、タイ語の習得に励み、習ったタイ語をタイでためしてみる。その繰り返しを続けていると、それだけでも楽しい気分になれる。
  タイは単発で行く国ではない。繰り返し、繰り返し、旅行しても飽きない国、それがタイだ。何度行っても魅せられる。その魅力は何だろう? その不思議さを解明するには、タイ語の勉強が不可欠だ。

優先席

  昨日、タイ人と一緒に電車に乗った時、たまたま優先席の前に二人で立った。そこで、彼に「優先席」という漢字を読ませようとしたが、漢字を習い始めた彼にはまだ難しすぎたため読めなかった。私は、「ゆうせんせき」と読んで、彼に聞かせてあげた。
  すると、優先席に座っていた35歳位の男性があわてて立ち上がった。私が「ゆうせんせき」と声に出して読むのを聞いて、「これはまずい」と思ったらしい。
  席を譲ってほしいと思って、わざとらしく「ゆうせんせき」と発音したわけではない。だが、結果的にはそうなってしまったことに、私は苦笑した。
  タイ人にとって、「優先席」というものがあること自体、おかしな話である。何故なら、若い人であれば年配の人に、そして、男性であれば女性に席を譲るのは当然だから。

87歳の華道家のたゆまぬ挑戦

  昨日、「第46回日本いけばな芸術展」へ出かけた。195流派、1,050名の代表作家の作品が3期に分けて展示されていたが、日本のいけばな芸術の真髄を堪能した。
  私は小原流に所属しているので、つい大先輩達の作品に目がいってしまったが、その中で、ひときわ驚いた作品があった。それは、小原流研究院名誉院長である工藤和彦氏が活けたものだ。若さ、楽しさ、新鮮さ、そして、剽軽な要素が観る者を釘づけにした。
  同氏は、今年87歳。一般的に言えば、枯れた風情の作品を想像しても不思議ではないが、先生の作品は年々、若返りを見せている。先生のたゆまぬ挑戦は若さの結晶となって、人々を魅了してやまない。
  「芸術とは何だろう?」と、久々に自分に問うた。そして、得られた答えは....。「芸術とは若さなり。美しいものを観ると、心身を若返らせてくれる」

うどん修行の内地留学

  十条を散策していると、花屋の店頭で朝顔がたくさん花をつけているのを見た。「もう朝顔ですか?」と店の人に訊くと、「琉球朝顔です。よく咲きますよ」という言葉が元気よく返ってきた。
  その花屋の裏手あたりに、「讃岐うどん」という看板を見つけたので入ってみた。店内はまだ真新しかった。客が入っていなかったので、店主と話すことができた。そしてわかったことは、店主が1年間、香川県へうどんの作り方を習いに行き、去年、その店を開いたということであった。
  「私は香川県出身ですから、うどんに関してはうるさいですよ」と、つい言ってしまったので、若い店主は少々、緊張した様子であった。しかし、食後の感想として、満点をあげると、店主は「何よりの励みです」と素直に喜んだ。
  うどん修業として、県外の人が香川県に内地留学をすることはいいことだ。留学というと、とかく海外留学を考えがちだが、国内にもいっぱいいいところがある。手に技を覚えこませれば、これからの世の中、何といっても強い。

6月6日開講の新規タイ語クラス

  6月6日から、「タイ語入門 木曜日20:00」のクラスを新規に開講する。昔から、お稽古ごとは、6歳になった年の6月6日から始めるとよいという考え方があるので、初めてタイ語に挑戦したい方は是非ともスタートをきってほしい。
  最近の傾向によると、4月は日本人にとって人生の切り替え時期だから、忙しい人は本当に忙しい。したがって、何かを新しく始めるには、6月が適しているような気がする。
  すでに申し込まれている方は、「タイ語を勉強したいです!」と言って、4月から何度も打診があった。しかし、仕事の関係で時間がとれなかった。「6月6日から始めるのはいかがですか?」と言うと、今度は意を決したように、力強く言った。「是非ともお願いします!」

文豪の旧居跡

  健康維持のために散歩をするようにしているが、最近、高田馬場駅近くに志賀直哉の旧居跡という表示がビルの建物に埋め込まれているのを見て、なんだか嬉しくなった。何故ならば、かの有名な作家がこの高田馬場に住んでいたこと事態が驚きであったからだ。
  志賀直哉は生涯に20数回も引越しをしたそうだ。新宿区高田馬場1丁目に住んでいたのは1938年から1940年の2年余。なお、当時の住所は、淀橋区諏訪町であったこともわかった。
  先週は四ツ谷駅界隈を歩いた。すると、島崎藤村の旧居跡の表示が目に飛び込んできた。1937年から1943年の6年間、最晩年を過ごした地であった。
  明治生まれの文豪達が生きていた時代はまだのんびりしていた。だから落ち着いて、いい文章が書けた。それに比べて、今は情報過多の時代。どこかに落ち着きを忘れた感がある。

日々、研鑽を積む

  先日、NHKのEテレで、「バレエの祭典」という番組が放映された。日本のバレエ界を牽引する有名な若手バレリーナが一堂に会したもので、とてもすばらしかった。
  その中に、目白駅前にあるKバレエ研究所の先生も出演しておられた。その研究所は目下、ビルの建て替えのため、隣りの場所に移動しているが、工事が本格的に着工するまでの約3年間、他のテナントは出て行ったのに、未来のバレリーナ達は最後の最後まで残って、最上階の稽古場で夜遅くまで稽古を続けていた。私は窓の灯りから勇気とやる気をもらっていた。
  その日々なる研鑽の努力が、K先生の動きに凝縮されているのを見て、「ああ、美しいなあ!」と思った。

本 vs 師匠

  毎月、華道講師から小原流の月刊誌を頂戴する。その中に紹介されている生け花は、いずれもすばらしい作品ばかりであるが、あまりにも立派すぎて、初心者には遠い遠い存在の花に見える。
  稽古事は、早い段階から、師匠について、びしばしと指導を受けることが肝要だ。とにもかくにも五感を働かせなくては身につかない。
  これはタイ語の学習の場合にも言える。初心者はとかく本を次から次に買ってしまう。しかし、本からは思ったほど収獲が得られない。教室で先生について習うのが一番よろしい。
  タイ語の発音は想像以上に難しい。先生の矯正が入ると、つらいけれど、嬉しいものだ。「ああ、タイ語だ!タイ語を勉強しているんだ!」 そう思えるようになると、通ってくる価値が見出されるに相違ない。