老政治家 & 名誉教授

1月30日に放映されたNHK番組「クローズアップ現代」のテーマは、<東大紛争45年目の真実 教授たちの告白録>であった。それを見ていると、当時の関係者として、老政治家O氏がインタビューに答えていた。彼を見て、私は驚いた。すでに鬼籍に入られた方であると思っていただけに、御存命で、しかも、百歳におなりになっていたとは!
 何故、O氏のことが気になるかというと、今から30年前、私は彼の通訳をしたからである。非常に物腰のやわらかい方であった。インタビューでは、矍鑠とした態度で、当時のことを明晰に答えておられた。とても百歳とは思われなかった。
 同番組では、同じく、東大名誉教授S氏の見解が取り上げられた。御病気のため、ベッドにふせっている彼の写真1枚だけが放映されたが、それを見て、私はまたしてもびっくりした。失礼を承知でいうならば、すでに他界しておられるものとばかり思っていた。
 S氏とは少しばかり接点が有った。それは、1960年代、八王子に大学セミナーハウスというのが有り、そこで大学生達が合宿して、いろいろなテーマを語り合う討論会がなされていた。私もそれに参加し、若き情熱的なるS氏の学説に聞き入ったものである。御病気とはいえ、彼の眼光には、1960年代の眼光と全く同じものを感じた。

「仕返しする」という単語

 タイ人に、「仕返しをする」という意味で、「แค้น ケェーン」と言うと、通じなかった。そこで、松山納著『簡約タイ語辞典 タイ日・日タイ合本』の日タイ部分で、「仕返しをする」を引いたが、項目が無い。もしやと思って、「仇討ち」を引くと、「แก้แค้น ゲェー・ケェーン」と出ていた。そこで、แก้แค้น を引くと、「報復する」、「復讐する」と出ていた。
 あとで、もう一度、日タイ部分でチェックすると、「報復する」、「復讐する」、という見出し語がちゃんとあった。「仇討ち」で引いた自分のあわてぶりに苦笑したが、恩師松山先生がちゃんと書いてあったのにも驚いた。しかし、「仇討ち」という単語は時代劇の中にしかもう存在しないことであろう。
 いずれにせよ、言葉の使い方が豊かでないと、いろいろな単語を探し出すことができない。タイ語と日本語と両方を相乗効果豊かに勉強していく必要があるなあと思う。

湯島天神の絵馬

昨日、仕事で本郷へ出かけた。天気が良かったので、帰りに湯島天神へ寄ってみることにした。49年間、東京に住んでいるが、湯島天神へ行ったのは初めて。梅が咲き始めていた。
 境内のあちらこちらにある絵馬をかける場所には、ものすごい数の絵馬がぶらさげられていた。よく見ると、1月31日と書いてある。すなわち、その日に書かれた絵馬だ。前日までの絵馬はすでに奥の方に追い込まれている。
 驚いたことは、東京在住の人達ばかりとは限らず、地方の人達の住所もあったり、祖父母が孫の合格を祈って書いてある絵馬もあった。受験生本人が書いたとは思われる絵馬には、たくさんの志望校が書かれていた。
 「神様はそんなにたくさんの願い事をきくことはできませんよ。日頃から、努力して、実力を蓄えておくことが肝心ですよ」と、私は彼らに言いたい。
 「上智大学に入りたい」という絵馬も有った。その学生は外国語学部に入りたいのかしら? 「大丈夫。きっと、入れますよ。ウエルカム!」と、私は見知らぬ彼にエールを送った。

讃岐うどん vs グリーンカレー

 日本の会社が作って売り出しているグリーンカレーのレトルトを、生徒さんから頂いた。彼は言った。「食べた感想を必ず聞かせてください」
 プレッシャーをかけられたので、そのプレッシャーを早く吹き飛ばしたいと思い、帰宅後、すぐにそのレトルトを温めた。タイ料理にはタイ米が一番合うが、あいにく手元には無い。さらには、米を炊く気分にもならなかった。
 そこで、一考した。讃岐うどんを茹でて、その上にグリーンカレーをかけて食べてみよう、と。私の魂胆は、讃岐うどんがだし汁よりも、タイのグリーンカレーによって、より美味しくなるか否かに挑戦することであった。
 ところがである。レトルトのグリーンカレーは滅茶苦茶、辛かった。おお、辛….。鼻水を出しながらうどんをすするのは初めての経験だ。
 かくして、讃岐うどんの風味は完膚なきまでにうちのめされ、タイのグリーンカレーに完敗。
 グリーンカレーの製造会社に言いたい。ただ辛いだけがタイのカレーではない。風味というものも加味してくださいな。

国際色豊かな一日

昨日は、午前中にフランス語を勉強した。フランス語講師はスペイン人だが、フランス人と結婚し、長くフランスに住んでおられたので、フランス語教授法を研究した女性である。その取得した教授法を駆使しながら、90分間にわたり楽しい授業を展開してくださるので、いつも感謝している。
 授業後、クラスメートのY子さんと、高田馬場駅前にある老舗のロシア料理店「ヤーチャイカ」へ行く。ボルシチで体をあたためながら、フランス語の授業の反省会を兼ねる。
 夕方からは、上智大学で、社会人向け公開講座センター主催による年度末恒例のパーティーに出席した。日頃は会えない諸外国語の講師達と談笑。私がいつも話すのは、韓国語講師、中国語講師、日本語講師、そして、とても明るいインドネシア語講師だ。
 そうそう、ポルトガル人のシスターと1年に1回、お会いするのもこのパーティーである。シスターとお話していると、ブラジル人のポルトガル語講師達が3人、寄って来た。そのうちの一人は、アジア・アフリカ語学院でお会いしたことのある日系ブラジル人であった。
 彼女は言った。「上智大学のポルトガル語学科を卒業した人達が、最近、夜のコミュニティー・カレッジに来ています。昔、習ったポルトガル語をブラッシュ・アップして、ワールド・サッカーや、東京オリンピックの時に、ポルトガル語を使う仕事で活躍したいそうですよ」

シンガポールから旧正月のカード

シンガポール在住のY子さんから、今年もまた、旧正月を祝う真っ赤なカードとグッズが送られてきた。「1月31日は旧暦の元旦、春節です。本当のお正月はこれからです」とカードには書かれてあった。
 表紙の真っ赤な地に金色で大きく書かれた「福」の漢字がとても躍動的だ。見るからに演技がいい。そして、「吉祥如意 祝旺一年 歳歳百福 迎新春」と添書きがしてある。
 中国やベトナム、そして、シンガポールはこれからがにぎやかになる。そういえば、個人レッスンを受けている台湾青年も「しばらく台湾へ帰ります。台北に支社が有るので、正月が終わっても、そちらで働きますから、タイ語のレッスンは2月下旬からお願いします」というメールを送ってきた。
 それに引き換え、日本人は寒風の中、会社に出勤している。学生達は受験、大人達は税務申告の準備で、顔がこわばっている。熱い国に住む人達がうらやましい。ましてや、正月を迎えるとあっては、気分がウキウキであろう。我々日本人の正月は、ああ、はるか遠くへ去りにけり。

日常の活動性

高齢者の仲間入りをすると、区役所からいろいろな書類が届く。高齢者福祉課介護予防係というところから「介護予防のための生活元気度チェック」というアンケート用紙が送付されてきた。①居住状況 ②日常の活動性 ③運動機能 ④栄養 ⑤お口の健康 ⑥閉じこもり ⑦もの忘れ ⑧うつ、等々の項目ごとに、さらに細かい質問があり、「はい」か、「いいえ」のいずれかに丸で囲みなさい、と書いてある。
 これだけの項目をちゃんと読んで、真面目に答えるには、相当に元気でなくてはならない。フーフー。
 「日常の活動性」の項目では、次なる質問がある。1.バスや電車で一人で外出していますか? 2.日用品の買物をしていますか? 3.預貯金の出し入れをしていますか? 4.友人の家を訪ねていますか? 5.家族や友人の相談にのっていますか?
 若い人達には、これらの質問を馬鹿馬鹿しく思うことであろう。だが、65歳以上になると、個人差はあるものの、ちょっと気になる質問として、無碍に無視するわけにもいかない。
 ところで、今日の話題はタイ語と全く関係ない。そこで、宿題を出すことにする。「日常の活動性」の5つの質問をタイ語に訳しなさい!

羅という織物

東京国立博物館の平成館に於いては、「クリーブランド展」と併せて、「人間国宝展」も開催されている。会場内に入ると、人間国宝の創造的意匠はもちろんのこと、緻密さと緊迫感と情熱が感じ取られ、至極の芸術作品からは神々しさが放たれていた。 
 数々の作品の中から、「羅 ら、うすもの」という織物に心打たれた。何故ならば、「羅」という漢字は、森羅万象、とか、曼荼羅、そして、沙羅双樹という中で使われているので、非常に神秘的だからだ。さらには羅針盤という単語にも登場し、なんだか未知なる世界に導いてくれるような感じもして興味深い。
 展示されている「羅」は柿色であったが、一見、透明なビニール、あるいは、ナイロンや化繊にしか見えなかった。しかし、目を近づけてよく見ると、1ミリくらいの菱形模様が生地全体に織り込まれており、それはそれは見事であった。
 ネットで調べると、「羅」の織り方は4世紀に中国から伝来したとのこと。元々は、鳥を捕まえるための網のことを「羅」と言ったので、生地は網の目のようになっており、それが連続紋となって延々と織り込まれているそうだ。「羅」という意味は、実に深い。

琴棋書画図

一昨日、東京国立博物館の平成館特別展示室で開催されている「クリーブランド美術館展」を観に行った。アメリカへ行った時、オハイオ州にあるクリーブランド美術館の前まで行ったが、丁度、修理中で閉館していたので、今回はどうしても観ておきたくなって出かけた。戦後処理としてやって来たGHQ所員の中に東洋美術担当者がいて、その彼の目利きによって蒐集された日本や中国の美術品がクリーブランド美術館にたくさん収蔵されていることを初めて知った。
 たくさんの展示品の中から、17世紀の江戸時代に描かれた「琴棋書画図」という作品に興味を覚えた。理由は、その絵が、「人間というものは、音楽、囲碁、書物、そして、絵画に親しむべし」、と喚起しているように思えてならなかったからである。
 私の場合はそのいずれにも縁が無い。楽器はからきし駄目。囲碁や将棋が面白いと言われても、一度もやったことが無い。読書といっても、まだまだ不十分。小さい時は絵画教室にも通ったりしたものだが....。
 外国語が好きなので、それで生活できてはいるものの、はてさて、外国語は上記4種の中のどの部類に入るのであろうか。「書」の部類に入れるのには無理がある。新たに「語」のジャンルを追加して、21世紀に描かれる絵には、辞書を片手に、口をパクパク開けて、外国人と語り合っているモチーフの絵画が後世に残されることを希望する。

韓国人ファミリーと8分間の会話

昨日の朝、新宿駅で総武線上りホームに立っていると、大学生が3人連れの家族と英語で話していた。どことなくタイ人に見えたが、「ハナ、トゥル…」と言いながら駅の数を数え始めたので、韓国人であることが判明。大学生の説明はなかなからちがあかない。そこで、「どこへ行かれたいのですか?」と私は韓国語で訊いた。秋葉原だと言うので、四ッ谷までなら一緒に行けると思った私は、一緒に総武線に乗ってもらい、何駅目で降りればいいかを教えてあげた。
 Q.「休暇でいらしたのですか?」 A.「オフィシャルです」
 Q.「それじゃあ、公務員ですか?」 A.「どうして知ってるの? 地方公務員ですが」
 Q.「ソウル在住ですか?」 A.「いいえ、京畿道です」
 Q.「息子さん、東京ディズニーランドへ行かれましたか?」 A.「いいえ、まだです。今日は息子がコンダムを買うので秋葉原へ行きます」
 私は、ああ、ガンダムのことだと、すぐに思った。 父親は、韓国の映画スターを列挙しながら、好きかと訊いてきた。そうかと思うと、歌手のチョー・ヨンピルの名前を挙げた。
電車が四ツ谷に着いたので、私は降りた。「秋葉原はあと5つ目ですよ」と教えてあげた。たどたどしい韓国語とはいえ、喋ることに意義有り、と、自分を褒めた。