バンコクの丸亀製麺

丸亀製麺の看板を見るたびに、私のことを思い出すという元生徒さんがおられる。確かに私は丸亀出身ではあるが、丸亀製麺は神戸の会社だと聞いているから、丸亀市とは全く関係ない。
 ところで、BTSサイアム駅と直結した新しい商業施設ビルに丸亀製麺が入っていた。特にお腹が空いていたわけでもないので店内には入らなかったが、店の窓に従業員募集(รับสมัครงานตำแหน่ง)が貼ってあった。
 ผู้จัดการสาขา รายได้ 28,000บาทชึ้นไป ผู้ช่วยผู้จัดการสาขา รายได้ 22,000บาทขึ้นไป ผู้จัดการสาขาฝึกหัด รายได้ 16,000บาทขึ้นไป หัวหน้างานบริการ รายได้ 13,000บาทขึ้นไป พนักงาน รายเดือน 11,000-12,000บาท รายวัน 380บาท รายชั่วโมง 48บาท
タイ人講師達にこの給料体系を見せると、「安くていやだ」という表情を見せた。

好きなことを続けること

この2日間、テレビを見て、東北の人々に思いを寄せた。民放が80歳で被災したおばあさんのその後を5年間にわたって取材した映像を見て、生きるということの大切さを教えられた。
 おばあさんは津波で御主人を亡くした。本人も濁水を飲み込み肺炎をおこして生きるか死ぬかの境界線をさまよったが、なんとか一命をとりとめ、仮設住宅へ。
 壊れた家の玄関先に枝豆の苗木が2本、生き残っていた。それを畑に移したところ、毎年少しずつ枝豆の木が増えていった。
 息子さんが仮設住宅で母を看取るのはしのびないと思って、家を再建した。そして、家の前に土地を購入し、お母さんのために畑を作ってあげた。85歳のおばあさんの生きがいは畑仕事だ。そして、先祖代々からの山へ行き、芝草を刈ることだ。
 彼女は自分の好きなことを持っている。そして、マイペースでそれを毎日、繰り返している。

絵葉書

シンガポール在住のYさんは、タイへ旅行されると、いつも私に絵葉書を送ってくださる。そこで、私もスワンナプーム空港から彼女に絵葉書を出すことにしている。
 空港内のコンビニに立ち寄ってみたところ、いつも買う普通の絵葉書が無い。立体型の絵葉書しか置いていない。1枚100バーツ。別の店へも行ってみたが、そこでは絵葉書そのものを扱っていないことがわかった。
 致し方なく、また最初の店に戻り、しぶしぶ100バーツの絵葉書を買い、簡単なメッセージを書いたあと、すぐ近くにある小さな郵便窓口で切手を買って出した。
 帰国後、「普通の絵葉書を売っていなかったわ。立体型の絵葉書なんか要らないのに。付加価値をつけて高く売りつけるのは気にくわない」と友人に言うと、「今はラインの時代よ。写真を撮ってすぐ送信すればいいだけ」と言われてしまった。
 いずれにせよ、私が出した高級な絵葉書、シンガポールのYさんの元に、はたして届いたのかしら?

松かさの香合

先月から茶道教室に入会し、精神統一をはかっている。先週の日曜日(6日)、床の間には般若心経と仏が描かれた掛け軸、松かさの香合、そして、菜の花が飾られていた。
 茶道講師は静かに語られた。「掛け軸の般若心経は父親が書きました。仏画は母親が描いたものです。松かさは陸前高田の松を想って飾りました。今日は震災と津波で亡くなられた方達を偲びましょうね」
 その後、皆で食事をした時、講師は動揺することなくおっしゃられた。
 「2日に母が亡くなりました。94歳でした」
 それを聞いて、お母様が描かれた仏さまがとても神々しく思われた。
 生あるものはいつか……。死をうけとめ、前を見つめる。その繰り返しが人を強くする。

バンコクぶらぶら(終)

ホテルから空港まで乗ったタクシーの運転手はきびきびした女性(55歳)であった。昔、アランヤプラテートの難民センターでボランティアをしていたので英語が得意。御主人は会社で運転手をしているが、息子と彼女はタクシーの運転手をしている。だが、数年前、ローンが返せなくて、家を売却。昨晩も空港へ行ったが、次なるお客さんがパタヤへ行きたいというので送り届けた。そのため帰宅は零時を過ぎていた。彼女の身の上話だけでも小説が書けそうだ。
 そういえば、エステの女性もマッサージの女性も、そして、美容師も、皆、丁寧な仕事をしてくれた。前向きに働く女性達に会って、今回の旅はとても気持ちのいいものになった。

バンコクぶらぶら(14)

今回のタイ旅行の第一の目的は、アメリカ在住の兄夫婦が結婚50周年を記念して、タイとアンコールワットへ金婚旅行に行くことになったので、私の専門域であるタイで御祝いをすること、そして、バンコクを案内することであった。
 同じホテルに2泊し、バンコクのピンからキリまで見て回ると、旅行に出る前に十分なる知識を仕入れて来ていた兄がこう言った。「やはり来てみるもんだ。実際に見ると、違うなあ」 これぞまさしく百聞は一見にしかずだ!
 アユタヤ、スコータイ、チェンラーイ、そしてチェンマイまで行く観光バスの運転手と歓談したが、助手付きとはいえ、一人で全旅程を運転すると聞き、その頼もしさに感服。人の良さそうなタイ人であったので、「兄夫婦を宜しく」とお願いしたら、にこにこして、写真におさまってくれた。

バンコクぶらぶら(13)

2月23日夕方、空港へ向かう前の2時間、日本からお母様(80歳)を連れて、ここ数年、タイへ避寒に来ておられる元生徒さんとお会いした。日本を出る前から会う約束をしていたので、お互いに数日間のタイに於ける感想をあれこれと喋り、旅の疲れをほぐした。
 ここ最近、バンコクの物価が上がったように思うという人が多いが、なるほど、私もそれを実感した。生鮮食料品、服、レストランでの食事、いずれも皆、高めの値段だ。マーブンクローンの中で売っているグリーン・コットンのTシャツ屋も、「工場価格よ」と言って、これ以上は絶対に負けないという強い姿勢を示した。
 バンコク銀行の封筒には、「เพื่อนคู่คิด มิตรคู่บ้าน We care for you wherever you are」と書かれているが、いつもいつも銀行にお世話になっているようでは、貯金どころか、お金がいつの間にか消えていきそうだ。

バンコクぶらぶら(12)

バンコク最後の日、国立競技場横に在る教科書会社へ行き、生徒達への土産として参考書を30冊ばかり購入。もっと買いたかったが、重さに限界を感じ、思いとどまる。サイアムスクウェアのノボテルホテルまで歩いていけない距離ではないが、行きも帰りもBTSに1駅だけ乗った。
 すでにチェックアウトをしていたので、参考書の包みをホテルのベルボーイがいるカウンターに預けた。そして、今度はチュラ大のブックセンターへ。歩いて5分もかからない。新刊の小説がずらりと並んでいたが、小説を読んでいる時間は現在の私には無い。したがって、犯罪関連の本を数冊、買った。
 帰路、暑くてたまらなかったので、S&Pレストランに立ち寄り、ココナツアイスクリームを食べて、一息入れた。

バンコクぶらぶら(11)

バンコクでは大学で私からタイ語を習ったS君(30歳)にもお会いした。バンコク在住6年目の彼は運転手付きの車で私を迎えに来てくださった。そして、ラーマ4世通りを通ってプラカノン方面へと車は進んで行く。
 「あら、この辺りは私が44年前に初めてバンコクに来て最初に泊めていただいた家に近いわ」、と、私は思わず言った。
 「僕、この辺りに住んでいるんですよ」と、S君が土地に馴染んでいるかの如く、自然に応じた。
 ラーマ4世通りからスクムビット通りに抜ける道沿いの光景は昔の雰囲気をいまだにとどめていた。
 S君は「ต้นทอง トン・トーング 黄金の木」という名前の美味しいタイ料理店へ連れて行ってくださった。
 「この店の発音、難しくて…」とS君。「無気音と有気音、そして、末子音のnとng、そして、声調が下声と平声だから、正しく発音するのは、日本人には大変ね」 
 そういう私はいつのまにかタイ語講師の顔になっていた。

バンコクぶらぶら(10)

トンブリの辺鄙なところにあるバンコク銀行バンイーカン支店で用事を済ませた後、帰りもタクシーを拾った。来る時に乗ったタクシーは昔風の旧型で、運転手も老人。ところが、帰りのタクシーは新車で、運転手も精悍だ。これはラッキーと思って、サートン・タイまで行くように告げた。
 ところが、このタクシーでひどい目にあった。若い運転手だから、スマホのラインをしまくりである。1分ごとに、「ライン」、「ライン」と着信の声がうるさい。
 ラインがやっと終わったかと思うと、今度は誰かと喋りまくっている。なかなか話をやめようとはしない。よくよく聞くと、麻薬の話ばかりしているではないか。「いまに捕まるかも。やばい」とか言っている。タクシーの運転手がヤー・バーに夢中なのは昔からよく聞いているが、今も相変わらずとは…..。
 彼が静かになった時点を見計らって、本人自身のことや家族の話を聞いてみた。彼は39歳。車のローンが重くのしっかかっている。息子は5歳。4時には幼稚園へ迎えに行かなくてはならない。間に合わなければ、おばあちゃんに連絡して、代わりに行ってもらうそうだ。奥さんも働いているが、生活は苦しい。
 ヤー・バーにはまっていてはだめ。外見から判断する限り、立派な男に見えたが、この先、彼の将来は果たしてどうなることやら。