センサー & 自動

 先日、某所のトイレを使用した時、扉の内側に次なる注意書きを見た。
 「このトイレは自動ではありません。使用後は、センサーに手をかざして、必ず水を流してください」
 最近のトイレは便器に近づいただけで水が流れるものがある。まるでウェルカム・ドリンクならぬ、ウェルカム・ウォーターだ。それを見ながら、私はもったいないなあといつも思う。電気と水の無駄遣いだ。アフリカから来た人は、それを見てマジックだと思うらしい。
 使用後、便座を離れた途端、水が流れるのは衛生的で結構なことだが、センサーに手をかざす動きはそれほど面倒なものではない。センサーで十分だ。問題は、自動水洗になれてしまったが故に、どこのトイレでも自動だと思い込み、何もしないことだ。
 トイレにもいろいろ有る。場所場所で異なる。インドのトイレを知っている私には、センサー(เซ็นเซ่อร์)も自動(อัตโนมัติ)もまるで天国だ。

料理に関するタイ語

「タイ語中級:月曜日18:00」のクラスには、タイ料理の専門家が習いに見えている。昨晩、私に十分なる時間が有ったので、彼女に20分間ほど、特別レッスンをして差し上げた。理由は、今月、チェンマイでベジタリアン料理(มังสวิรัติ)を研究するに際して、少しでも現地の料理の先生と直接、会話ができればいいなあと思ったからである。
 それには、タイ料理に関するタイ語を正しい発音で話さないといけない。「煮込む ต้ม tom」という単語は、日本人には難しい。「ต เต่า 亀のต」の無気音が出来ないからだ。「炒める ผัด phat」は、「ผ ผึ้ง 蜜蜂のผ」の有気音が出来ない。そして、低声で発音すべきところ、反対に高声になってしまう。「蒸す นึ่ง ヌング」、「ライムで和える ยำ ヤム」、「漬ける ดอง ドーング」、「搗く ตำ タム」、等々。
「石臼 ครก クロック」の相棒は、「杵 สาก サーク 低声」。しかし、まちがって、「ซาก サーク 下声」で発音すると、その意味は「死体」。こんな発音をすると、タイ人の料理講師はおそらくびっくりするであろう。

見ざる 聞かざる

70歳になって思うこと、それはガラクタの片付けをしておかなければならないということだ。断捨離に関する本は10冊ばかり買い込んでいる。これも捨てて行かないと本棚のスペースが足りない。
 そして、何が入っているのかわからない段ボールがいっぱいなのも問題だ。これらも一つ一つ中身を点検しながら根気よく減らしていかないと….。
 そう思って段ボールを動かし始めると、「見ざる言わざる聞かざる」の置物が段ボールと段ボールの間に落ちていた。しかし、よく見ると、猿が一匹いない。「見ざる聞かざる」だけで、「言わざる」がいない。
 怪訝に思いながらも、私はすかさず発想を変えた。「語学の先生だから、言わざるでは商売にならない」、と。だが、さらに言えば、語学の上達のコツは、よく見て考え、そして、しっかりとたくさん聞くことも大切である。よって、私には、日光の三猿は関係ない。

鯛との闘い

無事に大学を定年退職した自分を祝って、私は高田馬場駅近くの日本料理店で鯛のお頭を注文した。いつもはまぐろ丼か海鮮丼、あるいは刺身定食を食べるのだが、晴れの日はやはり何と言っても鯛。
 お膳に出て来た鯛のお頭を見てびっくり。何故ならば、優勝した力士が祝賀会で右手に高々と持ち上げるあの鯛くらいの大きさであったからだ。いや、それは誇張しすぎ。しかし、私には大きく見えた。そして、鯛の横顔が私をにらみつけていた。
 恐る恐る身のほうから食べ始めた。頭はあとにした。すると、鯛は私をますますにらみつける。何故、ゆっくりと食べるかと言うと、鯛の骨は強烈な硬さを持っており、小骨であろうとあなどれない。そして、いよいよ箸が頭の部分に入っていった時、私は鯛の頭の中の骨が鉄骨のようにがっちりとしていることを知った。さすが魚の王者である鯛。
 鯛と格闘しながら食べること30分。食べながら思った。鯛は鯛で手ごわいが、翻って考えれば、タイという国を理解するのもなかなか容易ではない。タイとの闘いは死ぬまで続く。

ファティマの聖母

70歳で定年のため、19年間、勤務した上智大学を退職した。大学を去る日、隣接するイグナチオ教会へ行き、中央の壁に掛けられたキリスト像に拝礼をして、そして、献金箱に気持ちを表わした。
 その後、同じ敷地内にある書店に寄って、自分のために記念品を買った。上智大学での教鞭生活を一生忘れないようにするためである。そこはカトリック関係のものばかりしか置いていない。私が選んだのは、蛍光スタンドの台に置けるイタリア製の置物(4x5cm)で、「ファティマの聖母」というブロンズであった。聖母に向かって、3人の牧童が素直に聞き入っている姿が気に入ったからである。
 帰宅後、調べてみると、1917年5月13日、ポルトガルの寒村であるファティマ(リスボンから約150Km)に、聖母が突如、出現したそうな….。今年は2017年。丁度、100年前のことになる。私は自分が太って(ファット fat)いるので、親近感を持ってファティマの聖母を選んだが、それは単に語呂合わせにすぎなかった。ブロンズの彼女はすらりとして美しく、後光が射している。

宮古島から年賀状

鹿児島県在住のY子さん(元生徒)から、「旧暦元旦2017.1.28」の日付が入った年賀状が昨日届いた。しかし、よくよく読むと、鹿児島県からではなくて、宮古島からのものであった。Y子さんの文章が冴えているので、失礼を承知で、記録も兼ねて以下に筆写させていただく。
 「吉川先生、たいへんごぶさたしております。お元気でしょうか? この度、主人の仕事の関係で、宮古島に引っ越しました。このまま順調に南下すれば、いづれタイまで行けそうです(笑)。タイでよく見た木や葉や花、海の青さに日々癒されています。吉川先生、ますますお元気に、ご活躍されますことをお祈りします。ยูกิ」
 裏面の写真は5才になる坊やが水平線に沈む夕日を見ているもので、とてもあどけない。海も夕日も自然そのもの。坊やも自然。宮古島ってどんなところだろう?

タイ語はタイ人気分で!

タイ語のテストをすると、日本人は数字をよく間違える。テストをする前に、「タイ数字の4は[sii シー สี่]、そして、10は[sip สิบ シップ]ですよ、くれぐれも注意してくださいね」、と言うことにしているが、これがなかなか聞き入れない場合が多々ある。
 目下、期末試験を採点中であるが、[sip wan สิบวัน]というタイ語を、[6日]と訳した大学生がいた。「あれあれ?」と思ったが、よく考えてみると、彼らは英語の[six]と混同したらしい。
 こういう事例は他にも有る。タイ数字の[5 ハー]を、日本語の[8 ハチ]と間違える人が多い。あわてて混同しまくりだ。
 このような失敗を防ぐにはどうすればいいか? 私の意見は、早くタイ気分に染まることが大切。日本語や英語が頭の中にごちゃごちゃしていると、タイ語が入っていかない。タイ語を習う以前に、タイ人的気分にはまること! 言い換えれば、タイ語の環境に少しでも触れ、タイ人になった気分でタイ語を話す姿勢を早く習得する必要がある。

ディア先生 有難う!

昨晩(1月31日)をもって、約2年間ご指導いただいたディア先生が泰日文化倶楽部を辞した。修士論文の最後の追い上げと、本帰国の準備のためである。
 ディア先生は東京海洋大学の大学院生だ。泰日文化倶楽部では、ここ10年間にわたり、東京海洋大学に留学中であるタイ人留学生を講師に採用して来た。文科系の学生は学生なりに長所はあるが、理科系の学生のほうが感情におぼれず理論的だから、90分間の授業で、タイ人の理性を日本人の生徒達に示してほしかったわけである。
 退職にあたって、後任者を紹介してもらいたかったが、諸事情によりそれはかなわなかった。そこで、東京医科歯科大学に留学中の超優秀な青年に依頼することとなった。「タイ語中級火曜日19:00」の生徒の皆さん、新しい先生のすばらしい日本語を阻止すべく、大いにタイ語を話すようにしてください!
 いすれにせよ、ディア先生、泰日文化倶楽部の生徒達にタイ語を教えて下さって心より感謝申し上げます。帰国後のご活躍を祈念いたします!

春寒耐えがたき折柄

今日で1月(เดือนมกราคม)は終わり。手紙や葉書を出す場合、「春寒耐えがたき折柄」という出だしで書くものらしい。だが、昨日の東京は、昼間は19度もあった。5月(เดือนพฤษภาคม)の気候だった。とはいえ、夜はどんどん冷えて行ったから、体調管理が大変。
 さて、泰日文化倶楽部の皆さん、1月の授業成果は有りや無しや? どんな勉強もそうだが、結果はそうそう見えるものではない。要は個々人の心構えが肝心。自分に厳しくするのはなかなかできない。ついつい甘やかしてしまう。
 2月(เดือนกุมภาพันธ์)は28日しかないから、あっと言う間に終わるのは毎年のこと。学習目標の設定をし直して、なんとしてでも成果を出そう。①語彙力の増強。②正しい声調、正しい発音。③文法力の向上。④表現力の充実。⑤自信を持って話す。そして、⑥タイへ行く機会を増やす。

蛍雪と夜学蓋置

 昨日、茶道教室に参加すると、小正月を祝って、<鶴>にまつわるお道具が取り揃えられていた。生徒さんの一人が亀甲模様の帯を締めて来られたので、茶室の中はますます目出度さを増した。
 一方、ふだんあまり気にもとめない柄杓(ひしゃく)の蓋置だが、昨日、先生がご用意してくださったものは、「夜学蓋置」と言うそうだ。その名前の由来を調べて見ると、「夜に学問をする際、机上を照らす灯明の火皿の台を転用したもので、甕形の四方に火灯窓のような大小の透しがある形の蓋置」と出ていた。
 昔、『蛍雪時代』という受験雑誌が有った。その時から、<蛍雪>という言葉には親しんでいたが、蛍も、雪も、中国の故事によれば、灯りを暗喩している。「蛍の光、窓の雪」もこの故事にならって作詞されたとのこと。
茶杓の裏には雪の結晶が描かれていた。雪灯りで勉強するとは、なんと風流であることよ。