タイ人が使う英単語に慣れよう

今年に入ってから最初の授業で、生徒がTew先生(水曜日にご出講)に年末年始をどのように過ごしたかと質問した。すると、「タイ人仲間とカウダウしました」と答えた。カウダウは、「カウントダウン」のことだ。
 昨晩、「タイ語中級 月曜日18:00」のピカピカ先生は、「ハーディが壊れたから、正月はどこへも行かず、修復していました」と言った。ハーディとは、「ハードディスク」のことだ。
 日本語は末子音(~k、~t、~p)にすべて母音をつけないと発音できないようになっているので、hard が「hardo ハード」、diskが「disku ディスク」になってしまう。
 タイ人の英語に慣れるのには時間がかかる。そのためにはタイ人とタイ語で会話をする場面を増やすことである。我々日本人が和製英語をよくはさむように、タイ人もタイ・イングリッシュ(→タイグリッシュ)を多用するようになっているから、気がついたら手帳にメモしておくことだ。

四人の旅行

今年の5月に大学の寮時代の仲間と一緒に旅行をしようという話が持ち上がっている。一年上の先輩(K子さん)と、私と同学年のR子さん、そして、私の3人で出かけようというのが最初の計画であったが、その話を聞いたS子さんが自分も行きたいと言い出した。
 旅の企画はR子さんにまかせているが、R子さんから電話がかかってきた。「皆さん各自の都合を聞いていたら、なかなかまとまりません」
 先輩のK子さんは短歌の勉強が有るから、第一と第三の月曜日をはずしてほしいそうだ。S子さんは仕事が有るから終末がいいと言う。しかし週末は宿泊費が高い。結局、日曜日に一泊し、月曜日の朝、早く帰ることになった。
 今回の旅行は先輩のK子さんの旧姓である「五十嵐」という地区を訪ねるのが主たる目的である。他人のルーツではあるが、興味を持って参加してみよう。

授業は第2週目に入る

1月6日(土曜日)から始めた今年2018年の授業は、昨日から第2週目に入った。生徒達はおだやかな表情で教室に通って来られ、いつものように楽しく、時には、自分の記憶力の悪さを責めつつ、90分間を淡々と机に向かっておられる。その姿はいつ見てもほほえましい。
 これですべての生徒さんに会ったかと言うと、それは違う。「タイ語中級 月曜日18:00」の生徒達にはまだお目にかかっていない。何故ならば、先週の月曜日は「成人式」で祝日であったからだ。明日の月曜日が楽しみである。
 いつも同じことを書いているが、また繰り返して書こう。タイ語を勉強してタイへ旅行するということ、それはいろいろな意味で自分にプラスになる。語学を勉強することは頭の体操であり、新しい知識は刺激になる。そして、タイへ行けばストレス解消すること請け合いだ。
 今年もタイ語を楽しく学ぼう! いくら勉強しても卒業はない。次なる山が待っている。トレッキングでもいい。ぐるぐる同じコースを回って、再確認をすることは地固めになって、ひいては自信につながる。

歌会始のお題「語」

昨日、歌会始の様子をニュースで見た。今年のお題は「語」。それだけに大いに関心を持った。なかでも戦後最年少の12歳の少年(中学一年生)が当選したことが取り上げられていたが、素直に感じたままを歌に詠じたことがすばらしいと思った。彼はわずか3分でつくったそうである。
 初釜の時、茶道講師が竹の模様が入った水差しを用意された。そして、次のように言われた。「竹は『竹取物語』に通じます。さあ、皆さん、物語の世界にひたりましょう」
 なるほど、「語」と言う漢字は、単語一語でもあるが、幻想世界へと導いてくれる物語でもあるわけだ。
 昨日は10年ぶりに改訂された『広辞苑』の発売に関するニュースも報じられた。この10年間で一万語を追加し、現代的解釈もさらに列挙したとのこと。高齢者と若い人との間で意味のとらえ方が違う場合を、私も感じる年齢になった。

タイ語で「まだ駆け出しの」は何と言うか?

 昨晩、翻訳をしていると、「โดยสิ้นเชิง」という表現が出て来た。意味は、「すっかり、ことごとく」であるが、私は文脈から考えて、「完全に」と強く訳した。
 ここに使われている「สิ้น sin 下声」を辞書で引き、その他の表現にはどのようなものがあるかと『タイ日辞典』(冨田竹二郎先生編纂)を調べてみると、「ยังไม่สิ้นเขม่าไฟ」というところに目が止まった。意味は、「陶磁器のカマから出したてで、まだススも取れていない」、即ち「まだかけ出しの、まだ新米の、まだまだ経験不足の」と書かれてあった。
 このような比喩を使うということは、タイ人も陶器を愛する国民であることがよくわかる。タイ国、あるいは、それ以前のインドシナ半島には陶磁器の歴史がめんめんと流れているが、なかでも日本の茶人に愛された「宗胡録 すんころく」焼(注:スコータイ県のสวรรคโลก窯産出)は素朴でいい風合いを出している。

完全天日塩 

昨晩、正月に郷里の高知県へ帰っていたという生徒さんから、完全天日干しの塩で造った塩キャラメルを練り込んだラスク菓子をお土産にいただいた。菓子の名前は「塩」。名前の通り、塩が効いた菓子で珍しかった。箱に入ったちらしには、次なる文面が書かれてあった。
 「雄大な太平洋に面した高知県東部田野町で、新鮮な海水のみを原料に作られる日本でも数少ない完全天日塩<田野屋塩二郎>。工程の最初から最後まで一切火力を使わず、潮風と天日のみで仕上げるため出来上がるまでに2~3ヶ月の期間と、その間、毎日一時間毎に全ての塩に手入れをするという膨大な手間もかかりますが、とてつもなく味わい深い、海そのものの塩が出来上がります」
 これぞまさしく手塩にかけた塩だ。塩という漢字は「塩梅(あんばい)」にも使われる。今年の生き方としては、「塩梅よく」を頭の片隅に入れて、心身ともに注意深く暮らそう。

子供は発音がいい

去年の暮れから1月5日まで、我が家にタイ人一家が泊まっていた。もう3回目だから、とりたてて接待はしなかった。一人息子は10歳。だから東京ディズニーランドへ行ったと思いきや、今回は行かなかったとのこと。川越や吉祥寺へ遊びに行って来たそうだ。
 息子のナット君と夜、会った時、彼が「おはようございます」と挨拶してきたので、「日本では夜は、<こんばんは>、と言うのよ」と教えてあげると、すかさず「こんばんは」とおうむ返しで真似をした。その素直さが何とも言えず可愛かった。
 大人であれば、「なぜだ?」とワンクッションが入る。外国語に関しては、つべこべ言わず、すかさず、素直に発音することが一番よろしい。そして、ひたすら単語や表現を覚えて、使ってみることに限る。
 大人の生徒さん、どうか今年は学習態度を改善させて、子どもの心で素直にタイ語を学ぼう!

初釜

昨日、初釜が有り参加した。皆さん、それぞれにお似合いの着物を着て茶会の場を盛り立てた。私は去年、仕事で八戸へ行った時に記念にと思って買った鮫小紋の着物を着た。武士の裃(かみしも)から由来しているという鮫の地模様はきりりとした気合と精神を与えてくれる。今年も頑張るぞという意欲がみなぎってきた。
 茶道講師がご用意された宝船の大棗は実に目出度いものであった。金地金が打ち込まれ、蓋の裏には銀がはられていた。これぞまさしく「金銀」なり!能登の塗師の腕前をたっぷりと堪能させていただいた。
 初釜には「花びら餅」という和菓子が供される。都電の鬼子母神駅そばに大正時代からの和菓子屋さんが有る。そこの花びら餅がこれまた実に美味であった。
 すばらしい初釜を体験し精神統一をした。今日から2018年の本格的始動だ。

高田馬場の地名の由来

『江戸東京物語 山の手編』(新潮文庫 平成14年刊)の後部には12ページからなる年譜が編まれている。最初の1行には、「948年(天暦2年)白山神社が加賀国から本郷元町に勧請される」という記述がある。目を走らせていると、同じ1ページ目の中に「1604年(慶長9年)、家康、江戸城造営を開始。日本橋を基点とする五街道の整備を開始」とあり、さらには、続けて「1636年(寛永13年)、家康の六男・忠輝の母である<高田の君>のご遊覧地が<馬場>に」という文章にはっとさせられた。
 高田馬場の地名は『忠臣蔵』の堀部安兵衛の仇討ちの場としてあまりにも有名だが、その<高田>という地名の由来が高貴な女性の名前から依拠していることを初めて知り、歴史の裏話に興味を持った。
 上記の本には、「明治43年に山手線の新宿ー目白間に高田馬場駅が開業した」ことも書かれている。江戸時代に流鏑馬をする馬場は現在の西早稲田に在ったことは事実だが、それはそうとして、「たかだばば」と読むのではなくて、何故に「高田の馬場」と称するかがわかり、胸がすっきりした。

嗅覚 と 聴覚

日本野鳥の会が発行している『Toriino トリーノ』には、いつも星野道夫氏のすばらしい写真が掲載されている。最近届いたもの(2017年Winter)には、安藤康弘氏の次なる文章が有った。
 氷点下、マイナス50度の極寒の地。 凍てつく純白の雪原に、ホッキョクギツネは身一つで生きる。その勝れた嗅覚と聴覚は、雪下の糧、レミングの 僅かな動きも見逃さない。
 語学の勉強には聴覚が大切である。しかし、動物として生きる以上、嗅覚も必要だ。ましてや極寒の大地に生きる生き物にとっては。
 正月太りと運動不足で五感が鈍ってしまっていると思う。これからの1週間で何とか鋭敏性を取り戻したいものだ。泰日文化倶楽部は今日から勉強開始である!