昨晩、「タイ語上級 木曜日19:00」の授業を補助したが、補助しながら、私自身にとってもとても勉強になった。なぜならば、傑作な単語がゲットできたからである。
傑作な単語とは、「มนุษย์ป้า マヌット・パー」。มนุษย์(人間)+ ป้า(おばさん)=自己主張が強くて、けたたましいおばさん、という意味に使われると、ボン先生は解説。
ということは、タイ人から「人間おばさん มนุษย์ป้า」と言われたら喜んではいけないのだ。ほめられているわけではなくて、嫌われているということを察知しなければならない。
宇宙飛行士はมนุษย์อวกาศ(人間+宇宙)。宇宙飛行士にはとうていなれないが、人間おばさんにもなりたくない。
『語りつぐ戦後史 Ⅲ』
昨日、目白の古本屋で『語りつぐ戦後史Ⅲ』(編集・解説 鶴見俊介 思想の科学社 昭和45年刊)を買った。鶴見氏との対談相手は以下の11名。1)岡本太郎、2)いいだ・もも、3)堀田善衛、4)開高健、5)大江健三郎 6)小松左京、7)高橋和巳、8)金達寿、9)なだ いなだ、10)寺山修司、11)小田実。
私は昭和44年(1969年)に社会人になったから、11名のお名前は時代的にものすごくインプットされている。だが、大江氏を除き、いずれも皆、鬼籍に入られた。
来年5月に元号が変わる。昭和はまるで明治、大正と同じく、すでに遠い昔に追いやられているかの如くだ。平成に対する評価はさて、いかに? つまらない時代であったと、言われそうな気がする。
大榮華茶包 と 急須
黄金週間に香港へ旅行に行かれた生徒さんから、昨晩、「大榮華茶包」というティー・バッグと、「芝麻味大餅干」というビスケットをお土産にいただいた。いずれもネーミングがすばらしい。
茶包のパッケージには、中国茶を淹れる急須の写真があしらわれている。それを見て驚いた。なぜならば、10年位前に蘇州で購入したお一人様用の小さな急須を、たまたま一昨日、久々に自分の机に置いて眺めては、蘇州の風景を思い出していたからだ。
蘇州の急須が大榮華茶包を呼び寄せた。なんという偶然性! 小さな急須とて、あなどるなかれ。何かが秘められている。
勝ち虫
着物や帯には実にさまざまな模様があしらわれていて、日本の伝統美を感じる。生き物もたくさん登場する。
トンボのことを、着物の世界では、「勝ち虫」といい、目出度い模様の一つだそうだ。なぜ、目出度いのか?
ネットで「勝ち虫の由来」を調べてみた。こう書いてあった。
「トンボは勝ち虫とよばれ縁起物であり、前にしか進まず退かないところから、<不退転>。決して退却をしない精神を表わすもの」
武具やスポーツ・グッズにも採用されているのは、この精神の現れということ。私には、<トンボ鉛筆>が小さい時から刷り込まれているが、このような理由であることを全く知らなかった。
さらに、調べると、トンボのことを、昔の人は「秋津」と言ったそうだ。そして、日本のことを「秋津島」と言い慣わしていたとのこと。トンボは「蜻蛉」とも書く。漢字から見ると、なんか頼りなさそうである。現在の日本の政治みたい…….。
母、そして、女性
昨日は、「母の日」。プレゼントを贈って、「お母さん、ありがとう」ではいささか商業主義に踊らされている感が有る。
『成熟と喪失 〝母″の崩壊』(江藤淳著 河出文藝選書 昭和50年)を読むと、「父親の権威失墜は<敗戦>によるものだ。そして、日本人の生活全般に及ぼされている母親の影響の強さは<家>のなかでの母親の位置に由来しており、農民的・定住者的な感情というものである」という内容が書かれてあった。この点に於いて、子供の独立を早く促す欧米の母親とは真逆だと、江藤淳は評論している。
いずれにせよ、子育てを終えた母親は女性として人生を大いに楽しめばよいと思う。だが、最近、私の周辺で認知症になった女性達の話をよく耳にするようになった。たんなる物忘れであればいいのだが…..。そうならないためには、いつも社会的刺激を求めて、五感を大いに働かせよう。とりわけ喋ることは重要だ。
有る vs 無い
黄金週間が終わり世の中が再び動き出した昼下がり、山手線内でパパと坊やの会話を耳にした。坊やは3歳位かな? 顔を見たわけではないので、はっきりとはわからない。坊やはパパとのお出かけを喜び、明日もお出かけするつもりでいたようだ。
しかし、パパは坊やに言って聞かせた。「パパ、明日、御用 有る」、と。
すると、坊やは、すかさず言った。「ごよう ない」
二人は、「御用 有る」と、「ごよう ない」を数回、繰り返した。坊やの反応が速かった。1~2秒で意思表示をしっかりとしているところが実にいい。
生徒の皆さんも二人一組になって、「有る มี」と「無い ไม่มี」を使った文章を互いに言い合い、話す速度をスピード・アップしてみてはいかが?。
『関西弁事典』
ひつじ書房から『関西弁事典』(真田真治監修 定価6,200円)が今年3月に刊行されたそうである。
「関西弁を対象にしたエッセイや社交用語ガイドの類は他方言に比べて圧倒的に多い。しかしながら、その全容を示す総合的な解説書、また本格的な<事典>はいまだ存在していない。本書はそのような渇望を満たすべく編纂したものである。関西弁の歴史、関西弁の地理、関西弁の位相、関西弁の変容、関西弁施策などに関して、学術的な記述を含みつつ、関西のことばに関心のある人なら誰もが手軽に利用できるよう、平易な説明を心がけた」
上記はひつじ書房の宣伝であるが、なかなかに興味深い。腰をすえてじっくりとページをめくれば、関西地方はもちろん、関西弁の影響を受けている地方(例:香川、徳島)の人々にも納得する点が多いと思われる。
初級から入門へ、中級から初級へ戻る
タイ語を勉強していると、入門クラス(約6ヶ月)、初級クラス(約1年)、中級クラス(約1年半)へと、どんどん進んで行く。したがって、約3年で所定のテキストは終わってしまう。だが、実際のところ、すべてを理解し、単語を覚えたわけではない。
たまには、レベルを下げて、初級から入門へ戻ったり、中級から初級へ戻ったりして、もう一度復習することをお勧めする。テキストに書かれている内容が、新しい視点で学び直すことができるからだ。
別のタイ人講師に教わると、雰囲気が異なる。女性講師に教わるのと、男性講師に教わるのとでは、音程が異なる。男性生徒には、男性講師がいい。
いずれにせよ、洋裁の返し縫いの如く、進んでは戻り、また進むを繰り返すと、理解力が増す。泰日文化倶楽部では、クラスの移動を自由に認めているから、たまには勉強し終わったテキストを持って、入門クラスや初級クラスに顔を出してほしい。
毎日、タイ語を書こう!
今週はB先生が風邪のため、私が代講している。代講することで、それぞれのクラスの進捗度がよくわかっていい。タイ人講師から習ったことをどのくらい把握しているかを確認し、日本人講師としての助言を与え、これまではっきりしなかった文法的質問や、単語の覚え方を指導する。
昨日教えた3クラスでは、いずれもタイ語を書かせた。タイ人講師と会話をしたり、タイ人講師の話を聞いたりする勉強ばかりしていると、それだけで90分の授業は終わってしまう。タイ語を書くことがどうしてもおろそかになる。
日常生活における簡単な単語を書いただけでも、声調のしくみがわかるはず。正しい声調を覚えていないと、正しく書くことができない。そして、末子音(~k, ~t, ~p, ~ng, ~n, ~m)の聞き取りがいかに曖昧であるかがわかる。間違うことはいいことだ。その時点で覚えていけばいいのだから。
正しく書くことができた生徒さんは、タイ人とタイ語でラインをしているそうだ。毎日、タイ語を書いているとタイ語の感覚が身について、自然に書けるようになる!
五月晴れが恋しい
ゴールデンウィークが終わり、「さあ、頑張るぞ!」と気合いを入れた。だが、気温が3月に舞い戻ったため、出鼻をくじかれた。冷たい雨模様が続いている。なんとかならないものだろうか。ああ、五月晴れが恋しい。
火曜日は午前中に1クラス、そして、夜間に2クラスを開講しているが、昨夜は、夜の出席者が少なかった。理由はゴールデンウィーク開けのため、仕事がいっぱい溜まっているから….。それを聞いて、やはり現役で頑張っておられる方達は、仕事後の夜の勉強は体力的にきついものがあるなあと同情した。
大学生には「五月病」という言葉が有る。これから大学生活を謳歌したいものの、不安と悩みはつきない。しかし、悩むことこそが青春の証し。
ひるがえって考えれば、悩みはいずれの世代にも有る。すぐに解決できるのであれば、それは悩みではない。だが、悩みが長引くのも芳しくはない。趣味の世界に身を置き、悩みを少しずつ融解しよう。いつも言うことだが、語学の勉強は頭の体操になり、かつ、自分を活性化してくれる。やめずに続けよう!