乾物の効用

 昨晩は遅くまで仕事をして、寒い中、帰宅したので、ビタミン補給のために、お土産に頂いていたタイのドライフルーツを食べた。袋にはマンゴー、パパイヤ、それに、パイナップルの混合であることが、タイ語、英語、中国語、日本語、韓国語、そして、ロシア語で書かれてあった。
 ところで、日本人は栄養に関する話題にものすごく敏感だ。最近、乾物の効用に関して某栄養大学教授が解説しているのを、私も真面目に見た。彼は切り干し大根やひじきがいかに体に良いかを解説していたが、子供達には人気の無い食べ物だ。しかし、高齢になってくると、自然と体が要求してくるから不思議である。
 乾物には長時間かけて蓄積された栄養やビタミン、ミネラルが詰まっているそうだ。今、私の家には、羅臼のこんぶ茶、瀬戸内海のチリメンじゃこ、そして、鳴門のわかめが買い置きされている。これでビタミン・ミネラル不足が解消されるかと思うと有難い。
 最近はいつもブログの最後に教訓めいたものを書きがちだが、今日もそうなることをお許し願いたい。それは、タイ語の勉強も乾物にたとえられるということだ。新鮮な食べ物もいいが、十分に時間をかけて、タイ語のエキスを体にゆっくりと浸透させ、たくさん蓄積させていく必要がある。自分自身が乾物になるのだ。

豆腐屋のおじさん

 ここ数日、ものすごく寒い日が続いているため、フジ・テレビが水を使っている人々を取材して回った。魚屋さんは魚を洗いながら、「そりゃあ、冷たいですよ」と言った。しかし、よく売れている魚屋だろう、彼の顔は明るかった。
 魚屋の次に豆腐屋が出てきた。その豆腐屋を見て、あっと思った。店の構えが私がたまに買いに行く近所の豆腐屋に非常によく似ていたからだ。だが、都内の豆腐屋というものはどこも似たりよったりだろうと思い、それ以上は詮索しなかった。
 それから2日後、たまたまその豆腐屋の前を通りかかったので、豆腐を買いながら、おじさんに尋ねてみた。「おじさん、この間、テレビに出ましたか?」 すると、おじさんは首を縦に振った。やはり、この豆腐屋だったのだ。私が豆腐を買う時はおばさんが応対してくれるので、おじさんの顔は知らなかった。しかし、店の構えだけはよく覚えていたので、私の勘は当たっていた。
 豆腐屋の存在は有難い。何故ならば、スーパーで買うパック入りの豆腐はどことなく味気ないからである。それは製造者が見えないからだ。
 これは語学の勉強にも言える。先生について教室で直接習うことは、何かあたたかいものが得られ、それが蓄積していくと、知らず知らずのうちに語学力がついていく。

ดี(良い)という単語のもう一つの意味

 タイ語を習い始めてすぐに覚える単語は、ดี(良い)である。何故ならば、สวัสดี(こんにちは)や、สบายดี(元気な)にも、ดีという単語が入っているからだ。
 ところが、このดีには、もう一つの意味があるのを御存知であろうか。いわゆる同音異義語である。
 そのもう一つの意味とは、すなわち「胆嚢」である。冨田竹二郎先生の『タイ日辞典』には、第1番目の意味として、「胆嚢」が挙げられている。「良い」は第2番目に出てきている。
 一昨日、20年もタイ語を勉強している生徒さんと一緒にタイ語の文字の教科書を読んでいると、ดีหมี(熊の胆嚢)とดีงู(蛇の胆嚢)という単語が出てきた。彼女は素直に言った。こんな意味があるとは!それはそうであろう。日常会話で「胆嚢」の話など出てくることはないからだ。
 同音異義語はとても不思議である。どうしてこんなに関連性の無い意味があるのであろうかと首を傾げたくなる。だが、そこを面白がって覚えていくのが語学学習の妙味だ。
 人間にとって胆嚢はなくてはならない大切な器官である。肝臓と十二指腸につながる器官であり、重要な役割を持っている。「良い」と「胆嚢」という両方の意味を持つ「ดี」という単語は、それはそれは深い含みを含有していることを覚えておいてほしい。休み気分が続いたが、タイ語の勉強は今日からと、肝に銘じて頑張ろう。

タイ語を勉強してください!

 アジアに進出している元気な企業を特集したNHKのシリーズ番組を2回続けて見ると、タイやベトナム、そして、カンボジアの熱気がムンムンで、羨ましささえ覚えた。日本の技術でホーチミンの人達が美味しい水を飲めるようになったことはすばらしい。何よりも現地の人達がびっくりするくらい驚き、幸せを感じている光景を見ると、水の会社はこれからも大いにアジアに貢献すること間違いなし。
 タイの場合は、美味しいチーズケーキが人気であること、そして、それには北海道の牛乳が使われていることを番組は取り上げていた。私もそのチーズケーキをバンコクで食べたことがあるが、結構いい値段であっただけに、タイ人のフトコロが心配だ。だが、それも杞憂にすぎないのかもしれない。タイ人の中に富裕層がどんどん生まれてきているから。
 いずれにせよ、アジアへ進出する日本企業は多い。いつ出張や駐在の命令が下るかわからない。その時に備えて、是非ともタイ語やベトナム語を勉強しておいてほしい。時間的な余裕が無いかもしれないが、そこは何とか時間を探して、泰日文化倶楽部に習いに来てほしいと願っている。
 昨日、日曜日にもかかわらず、台湾青年が個人レッスンを受けに来た。彼の学習態度は非常に積極的である。「先生は読まなくていいです。僕が自分で読みますから、発音だけ直してください」
 彼の話によると、台湾にはタイ人やインドネシア人がたくさん留学して来ているそうだ。いずれも皆、華僑の末裔だから、中国語は必須なのである。

ボクサーの来訪

 昨日の「タイ語入門 土曜日11:00」のクラスは、生徒達に諸事情が生じたために、出席者はわずかに2名であった。2名となると、セミ・プライベートの授業に等しい。参加者は大いにお得感を持ったことであろう。
 タイ人講師と私における情熱的な授業が終わったあと、私は一人、707号教室で座っていた。すると、携帯が鳴った。「ホームページを見ると、土曜日12時半から新しいクラスが始まるそうですね」
 私は答えた。「はい、その予定でしたが、希望者が出なかったため、開講できませんでした」
 「今、新宿にいます。泰日文化倶楽部の授業についてどうしても聞きたいので、これからそちらに行ってもいいですか?」と、彼は言った。
 電話の主を待つこと15分。教室に招き入れて、いろいろと話をした。「生徒が集まらなかったので、開講できませんでした」と正直に話をした。だが、彼は引き下がらない。どうしてもタイ語を勉強したいとのこと。
 彼は精悍な顔をしたキックボクサーであった。来月、タイへ武者修行に出るそうだ。6年間、キック・ボクシングの練習を積んできたが、タイにはまだ一度も行ったことがないので、来月中旬の出発前までにタイ語の基本を把握しておきたいとのこと。
 「わかりました。それでは、あなたのために、土曜日12時30分のクラスを開いてさしあげましょう」と、私は思い切りよく言った。新年早々、私にも闘魂の火がついた。
 

戻って来た年賀状

 今年、出した年賀状が2枚、戻ってきた。1枚は、名宛人が外国へ行ったものと思われるが、もう1枚はどうして戻ってきたのであろうかと首をかしげた。だが、去年の年賀状の筆跡がきわめて危うい感じを呈していたため、もしやと危惧しながら、ネットで調べてみると、やはり…..。
 私の年賀状を受取るべき女性は社会学者として大いに活躍なさった方である。特にアジアの女性の地位に関する研究をしておられた。その彼女が昨年2月に亡くなっておられたとは。
 10歳年上の彼女とは今から46年前、下宿が同じであった。その下宿にはフランス文学の研究者も住んでいて、ものすごくアカデミックな下宿であり、皆で知的な話に花を咲かせたものだ。彼女がタイへ会議に行かれる時には、助言を求められたので、私の知識を提供した。すると、赤坂見付のレストランで美味しいロースト・ビーフを御馳走してくださった。
 彼女は生涯、独身をつらぬき、研究に没頭された。互いにずっと年賀状を交わしてきただけに、戻ってきた年賀状を見ながら、淋しさを覚えた。

たくさんのお土産

 泰日文化倶楽部では1月7日から授業を開始したが、タイ人講師や生徒達からいろいろなお土産を頂戴した。スウェーデンとフランスとフィリピンへ旅行しておられたボン先生からは、フランス菓子のゼリーとレモングラスの香りがする石鹸、そして、フィリピン製の白いレースが張られた扇子がプレゼントされた。美しい扇子なので、早く使いたい。今から夏が待たれる。
 生徒達からは、タイのお菓子を数種、そして台湾の干しパイナップル(鳳梨干)、等々を頂いたが、昨夜はさらに思いがけないお土産が…….。
 「タイ語入門 木曜日20:30」のクラスには一人の欧米人が生徒として、昨年10月からタイ語を勉強しておられる。その彼が年末年始にタイへ旅行され、昨夜、クラスの皆さんにお土産を持ってこられた。そして、「まずは吉川先生におみやげです」と言って、私に特別なるお土産を手渡した。
 それは、バティック模様の布で作られた馬のキー・ホルダーであった。彼は今年が午年であることを意識して選んだに相違ない。そのキー・ホルダーには、他に象の木彫りや貝もくっついているが、象の大きさは馬の1割にも満たない。午年ということで、タイの象さんも遠慮しているようだ。

象使いのプム君

 昨日、タイ語の勉強に見えた象娘3人のうちの一人が悲しいニュースを教えてくれた。「先生が乗った象の象使いのプム君が去年9月に亡くなったそうですよ。象は2日間、泣いたとか」
 そのニュースを聞いた時、私はすぐには信じられなかった。しかし、彼女は年末にランパーン県の国立象保護センターへ行き、その話を直接、象使いの仲間から聞いて来たわけだから嘘ではない。
 象使いの名前はプム君。私が彼のお世話になったのは約7年前。彼は愛くるしい目を持ち、そして丸顔をしていたので、私には田舎の少年そのものに見えた。その時、彼は22歳。
 象保護センターには2回行ったが、2度目も彼のお世話になった。象に乗った彼の雄姿を何枚も写真に撮らせてもらい、そのうちの1枚を手帳に挟み、この7年間、ずっと持ち歩いていたというのに…..。
 酒を飲み過ぎて肝臓を悪くしたために死んだということを聞いても、またまた信じられなかった。あの少年が? 私の脳裏の中にあっては、彼はいついつまでも少年なのである。
 

泰日文化倶楽部 スタート

 泰日文化倶楽部の2014年がスタートした。2週間、すなわち、半月も休みがあると、生徒達は元の感覚に戻すのが大変だ。もうこのままやめてしまおうかという気持ちになるのも分かるような気がする。
 だが、心配は杞憂であった。生徒の皆さんは待ちきれなかったような顔で教室に現れた。安堵した。
 タイ旅行から帰って来たばかりの生徒達は、いずれも皆、ハイ・テンションである。楽しかったタイ。それを思い出す顔は紅潮している。「また行きたい! すぐ行きたい! よし、今年はタイ語の勉強、頑張るぞ!」 
 昨日は、教室を借りて自主的に運営している韓国語クラスもスタートした。ものすごく仲がいいクラスである。私も生徒の一人として末席に座っているが、レベルが高すぎて全くついていけない。だが、やめないでいる。ただただ座っているだけにすぎないが、韓国語の空気を吸うことで、何かが身につけばいいと思っている。
 ソウルへ行って来た幹事さんが、おみやげに韓国の餅を温めて持って来た。淡いピンク色の餅。豆がたくさん入っていて、まことに目出度い気分になった。よし、今年も、餅の如く粘り強く、そして、豆の如くまめまめしく動こう、そして、働こう!

学生達のアルバイト先 と タイ人

 昨日から大学が始まった。2週間ぶりに会った学生達に訊いてみた。「皆さん、この冬休み中にタイ人と会って、タイ語をしゃべりましたか?」
 すると、H君が最初に手を挙げた。「ユニクロでバイトをしているのですが、タイ人がたくさん来ました。僕の知っているタイ語の単語が聞きとれたので、タイ人だと確証しました」
 次に、N子さんが語り始めた。「長野のスキー場近くのホテルで泊まり込みのバイトをし、料理のお運びをしたのですが、タイ人達を見かけました。アロイ マイ ? と言っても、最初は反応が無かったので、もう一度、アロイ マイ? と言うと、私がタイ語で話しているのに気がついたようです」
 昨日の授業では、偶然にも客人を招いた時の表現を習うことになっていたので、N子さんは、長野へ行く前にこれらを勉強しておけばよかったと悔しがった。
 T君は携帯電話店でバイトをしているそうだ。「東南アジアの人達がたくさん店に来ました。タイ語だと思って聞いていても、さっぱりわからないんです。ものすごくタイ語に似ていたんですけど」 彼は書類を書いた客の名前を見て、初めて気がついたとのこと。タイ人ではなくてベトナム人であったということが。
 いずれにせよ、嬉しそうに語る学生達を見て、私も嬉しくなった。