口(ปาก)に関するタイ語

授業風景を見ていつも気になることがある。それは、生徒達の口の開け方が足りないことだ。もっと口を開ければ力強い発音になるわけだから、意識して口を開けるようにしてもらいたい。
 今日の出題は、「口(ปาก)」に関係するタイ語を列挙するので、和訳しなさい。
 1.ปากกา 2.ปากน้ำ3.ปากคลอง4.ปากซอย5.ปากแผล6.ปากคำ 7.ปากเปล่า 8.ปากเบา 9.ปากหนัก10.ปากหมา   11.ริมฝีปาก 12.ปากล่าง 13.ปากมาก 14.ปากเปื่อย 15.ปากหวาน 16.อ้าปาก 17.ปิดปาก18.ถูกปาก 19.ทาปาก 20.ติดปาก
 最後に、次の格言をどうぞ。 ปากเป็นไฟ ใจเป็นน้ำ

骨密度の低下

数日前、都の健康診断(無料)へ行った。「胸部撮影も心電図も過去のデータと全く同じですね」と医者から太鼓判を押され一安心。だが、骨密度検査(有料)で引っかかった。
 「骨密度が前年より落ちてますよ」と、医者。「昨年、骨折して33日、入院していました」と私。
 「33日も寝ていたのではだめだ。どうりで数値が下がったわけだ」と、医者からはっきり言われた。
 帰る道すがら、私は考えた。一度落ちたものはなかなか上がらない…….。それよりも下がる一方だ。浜松出身の生徒さんがいつも「鰻の骨」をおみやげにくださるのに、申し訳ない。
 昨日、20数年前の生徒さんから電話が有った。「もう一度、タイ語をやり直したいのですが」
 私は率直に言った。「相当、タイ語がさびついていることでしょうね。やめたらおしまい。復帰はとても嬉しいです。せめてオリンピックまで、コツコツと勉強してくださいね」

すべての味(สรรพรส)vs  パイナップル(สับปะรด)

 先週、生徒さんから、「パイナップルではない(ไม่เป็นสับปะรดเลย)という表現、ご存知ですか? 不味いという意味だそうですが….」と訊かれた。私は「知りません」と答えた。すぐに辞書で調べると、載っていた。ただし、注意書きがかかれてあった。
「สรรพรส(サッパロット=すべての味)を、สับปะรด(サッパロット=パイナップル)に置き換えて使う人がいますが、本当は間違いです」
 そこで、パック先生に尋ねてみた。「先生はไม่เป็นสับปะรดเลย という表現を使いますか?」
 最初、怪訝そうな顔をした。そして、答えた。「僕は一度も使ったことがありません」 
 それを聞いて、彼が育った家庭環境では使わない表現であることがわかった。
 このような事例は日本語でも見られる。商人の間で「勉強しますよ」と言えば、「まけときますよ」という意味だが、公務員の家で育った人にはわからない。言葉は育った環境によって左右される。

自家製の味噌

「タイ語入門 木曜日11:00」は今年の4月から開講したクラス。丁度、半年が経過した。生徒は入れ替わっているが、現在、2名の女性が勉強しておられる。
 話題がひょんなことで味噌の話になった時、彼女達はご自分で味噌をつくっておられると言った。私が興味を示すと、お二人とも自家製の味噌を、翌週、私に持って来てくださった。
 A子さんが「酸っぱいと思いますが….」と言った彼女の味噌はそれほど酸っぱくはなく、非常に個性的な味がした。反対に、スーパーで売っている味噌がいかに甘目であるかがよくわかった。
 B子さんは、「去年つくった味噌と今年の味噌の両方をお持ちいたしました。色がかなり違います」と言った。
 今年の味噌は色が明るく塩分もきつかった。しかし、去年の味噌は深みを増し、いい塩梅になっていた。
 ひるがえってタイ語の勉強に関して言えば、生徒達はご自分の上達度があまりわかっていない。しかし、教師にはわかる。年を重ねるごとにタイ語の深みが増すよう、自助努力を続けてほしい。

10年ぶりに咲いた赤い花

昨日、ボン先生から曼殊沙華の写真が送信されて来た。
 「ที่สวน Manjuchake เมือง Hidaka ค่ะ เมื่อวานนี้ไปเที่ยวสวนนี้มาค่ะ ภาษาไทยเรียกดอกนี้ว่า พลับพลึงแดง」
 「In Japanese, Manjushage 曼殊沙華」と私は返事した。
 「คันจิ ยากจังค่ะ ฮิกังบานะด้วยหรือเปล่าคะ」とボン先生。
 「彼岸花 Higanbana ก็ OK」と私。
 それにしても、カメラもいいし、アングルもいいから、見事な写真であった。
 それから1時間後、今度はバンコク在住の元講師から、それはそれは大ぶりの真っ赤な花の写真が送信されて来た。
 「ดอกพวงโกเมนที่บ้านออกดอกบานสะพรั่งปลูกมาเกือบ10ปีเพิ่งจะออกดอกค่ะ」
 真っ赤なバナナを30本くらいぶら下げたようなタイの情熱的な花だ。繊細な線で赤いお椀のように整っている彼岸花と、全く対照的であった。

瀬戸内海に魅了されたタイ人講師

タイ語上級を担当しているイー先生が、9月中旬に香川県と岡山県へ旅行に行かれた。出かける前に、「吉川先生の故郷へ行きますが、何が有りますか?」と訊かれたので、「何もありません。うどんだけね」と、私は素っ気なく答えた。
 先日、イー先生からお土産を頂いたので、旅行の感想を尋ねると、彼女は興奮気味に答えた。
 「瀬戸内海があんなにきれいだとは思ってもみなかった。すばらしい!」 
 旅行前に見せた気乗りがしない表情とはうって変わっていた。彼女はもう30年近く日本に住んでいるが、国内はあまり旅行しておられない様子だ。金比羅も栗林公園も行かず、小豆島と直島へ行かれたらしい。そして、倉敷へ。
 聞くところによると、最近、瀬戸内海のクルーズが流行っているとのこと。タイ人達も参加しているようだが、イー先生の感激した顔を見ると、<瀬戸内海って、外国人に魅力的なんだ!>、とあらためて思った。

サンスクリット・パーリ語系統の数字

 サンスクリットやパーリ語系統の数字は、タイ語では文語的表現に使われることが多い。あるいは造語の中に組み込まれているので覚えるしかない。一番よく目にするのは、軍隊や警察の階級を表わしたり、仏教界や大学の学位に使われる「เอก โท ตรี จัตวา」であろう。もちろん声調符号の呼称にも使われる。
 以下にかかげる単語の意味を言いなさい。
(一)ร้อยเอก พันเอก พลเอก ปริญญาเอก ไม้เอก
(二)ร้อยโท พันโท พลโท ปริญญาโท ไม้โท
(三)ร้อยตรี พันตรี พลตรี ปริญญาตรี ไม้ตรี รัตนตรัย
(四)ร้อยจัตวา พันจัตวา พลจัตวา ไม้จัตวา จัตุรัส
(五)เบญจรงค์ เบญจศีล เบญจเพส เบญจมาศ
(六)ฉัฐ ฉัฐมะ ฉัฏฐมะ
(七)สัปดาห์ สัตตเขา สัตมวาร สัตโลหะ สัตบริภัณฑ์
(八)อัฐมะ อัฐบริขาร อัฏฐังค์ อัฏฐังสะ อัฏฐังคิกมรรค
(九)นพรัตน์ นวทวาร
(十)ทศวรรษ ทศกรีฑา ทศพล ทศกัณฐ์
(百)ศตวรรษ ศตบาท

ラーチャブリー県のコウモリ

一昨日、元講師のK先生から、動画が送られて来た。ラーチャブリー県(又は、ラーブリー県)にあるカオチョンプラーン寺院に於いて、コウモリ(ค้างคาว)の大群が飛び回っている動画であった。
 「ค้างคาวบินออกจากถ้าชั่วโมงกว่าโดยไม่หยุดเลยค่ะ ถ้าอาจารย์ไปเมืองไทยจะพาไปดูค่ะ」
「コウモリが洞窟から出て来てどこにも止まらず、1時間以上、飛び回っています。もしも先生がタイにいらっしゃれば、ご案内しますから見てください」
 コウモリの大群を1時間以上も見物することに果たして耐えられるか? ほんの1分見ただけでももう気持ちが悪くなりそうな気がする。
 ところで、コウモリというタイ語は、ค้าง(ぶら下がっている)+ คาว(生臭い)の単語が合わさってできている。言葉から見ても、気持ちが悪い。一方、日本では、コウモリ=蝙蝠で、漢字の中に「福」に近いものが含まれているので、目出度い生き物とされている。昔の書院には、襖の取っ手が蝙蝠模様の金具になっているところもある。
 最後に、宿題。「タイ語中級Ⅱ」のテキストにも出ている次の単語、または短文の意味を言いなさい。
1)ค้างคืน 2)ค้างไว้ 3)มีงานค้างอยู่ 4)อย่าค้างค่าเช่าบ้าน 5)น้ำค้าง 6)เหล้าค้างปี 7)ค้างชำระ 8)ค้างเดือนค้างปี 9)ค้างมรสุม 10)หนังสืออ่านค้างไว้

台北でタイ料理

日曜日の午前中に個人レッスンを受講しておられるY子さんが、昨日、台湾のお菓子を持って教室に現れた。そして、9月中旬に行った台北旅行について、興奮気味に話してくださった。
 彼女は過去2回、ツアーで台北へ行ったことがあるが、人まかせの旅行だったのでほとんど覚えていないとのこと。したがって、今回の一人旅は深夜に着いたせいもあって、びくびくものだったそうだ。
 「中国語がわからないので、空港から市内までタクシーに乗っている時も怖かったです。屋台で買う時も、困りました。語学の大切さを痛感しました」
 そこまでなら彼女の困惑ぶりが十分に想像できた。ところが、なんと次なる話のおまけが有った。
 「街を歩いていると、タイ語が聞こえて来たので、タイ人達にタイ語で話しかけました。すると、これからタイ料理を食べに行くので一緒に行こうと誘われ、それからはタイ語の世界へ。台北でイサーン料理を食べたのが一番の思い出になりました」

仏暦2511年~2512年

昨日、「タイ語中級 土曜日12:15」のクラスを代講した。生徒は古株の男性2名。彼らは途中退会は有るものの、復帰して来られて早くも8年近くになる。
 授業の冒頭、<西暦2018年9月22日土曜日>をタイ語で書かせた。タイ語が正しく書けるかをまずチェックするためである。ついでに仏暦も書かせた。
 私の場合、仏暦2559年(ラーマ9世崩御の年)でストップしたままなので、今年の仏暦がすぐに出て来ない。西暦に543年を足せばいいのは分かっているが、計算がめんどうだ。すると、幼なじみの生徒達はすかさず答えた。
 「今年は2561年です。僕達は50歳。僕達が生まれた年は2511年なので、50年を足すと2561年になります」
 それを聞いて、私は言った。「私は2512年にタイ大使館に勤めました。2512という数字は忘れることができません。毎日、2512を書類にタイプしていましたから」