消えた古本屋横丁

昨日、夕方6時スタートの授業までに時間が有ったので、高田馬場駅前のドンキホーテが入っているビルの地下に在る「カンタベリー」という喫茶店に入り、シフォンケーキ・セットを食べながら、新聞3紙を読んだ。いずれも似たような記事ばかりで面白くない。
 そのあと、同じビルの5階に在る芳林堂の「古本屋横丁」へ行こうと思って、エレベーターのボタンを押すと、「この階には止まりません」という音声が流れた。そして、5階の店舗案内は空白になっていた。
 仕方が無いので4階の語学、歴史、法律、受験、そして、文具のコーナーへ行く。そして、店員に訊いてみた。
 「古本屋横丁は無くなったのですか?」
 「はい、先月中旬にやめました」
 あまり誰も来ない古本屋横丁。そこで昔の本の背表紙をじっくりと眺めるのが楽しみだったのに……。
 和菓子屋はずっと続いている。だが、本屋はもちこたえるのが非常に苦しそうだ。

タイ字紙の見出しと英語

バンコクへ3泊4日の旅をして来られた生徒さんからタイの新聞をお土産に頂いた。新聞の名前は「โพสต์ทูเดย์ Post Today」。見出しを見ていると、英語がはさまっているのが多い。少しばかり以下に列挙するので訳してみてください。
1)ช็อปปิ้งคืนแวต5%
2)บางกอกแอร์ชิงดิวตี้ฟรี
3)เจาะอุโมงค์‐โทลล์เวย์แม่สอด
4)เจาะตลาดข้าวฮ่องกง
5)เข้างานมอเตอร์เอ็กซ์โปศึก
6)รับยุคดิจิทัล
7)ปลูกสตรอเบอรรี่ฤดูหนาว
8)ลุยสมาร์ทซิตี้
9)บรูไน…ไปแล้วจะรู้ อยู่แล้วจะรัก
 山手線の新駅が、「高輪ゲートウェイ」と決定した。では、タイ語ではどう書きますか?

仕事の面白み

12月はあくせく働かず、一年の反省もこめてのんびりと過ごしたいと思っている。だが、今年はなんだか忙しい。仕事に恵まれていることにまずは感謝。
 私は通訳という仕事上、いろいろな境遇にいるタイ人に会う。そして、その都度、タイ社会やタイ人の家庭環境をかいまみることができて非常に勉強になる。バンコクやチェンマイへ観光に行くよりもはるかに知識が増え、かつ、刺激的でもある。
 当たり前のことだが、百人百通りの生きざまがある。まさしく、「หลายชีวิต 幾多の人生」だ。お母さんの手伝いをして魚売りをしていた(ช่วยแม่ขายปลา)タイ人にも会うし、おじいちゃんがラーマ9世の護衛官(องครักษ์)をしていたという若者にも会う。電気工(ช่างไฟ)として、日本の造船所(อู่เรือ)で働いた経験を持つタイ人にも会うし、北陸の温泉旅館で布団の上げ下ろしをやっていたというタイ人にも会ったことがある。
 アユタヤ時代の王の末裔にも会ったことがあるが、それは名字(นามสกุล)から一目瞭然であった。
今や日本の各所に於いてタイ人を見かけるようになった。彼らとタイ語で話ができるよう、日々、語彙力を増やそう!

在宅看護のパイオニア

日曜の午前5時からNHK教育テレビで放送される「こころの時代~宗教/人生」を私はいつも楽しみに見ている。今朝は「最期のときの思いをつなぐ」という題で、ナイチンゲール賞の受賞者である村松静子さんがお話になられた。
 村松さんは「在宅看護のパイオニア」として、1986年より「日本在宅看護システム有限会社」と「在宅看護研究センター付属訪問看護ステーション」を主宰しておられるが、彼女のオフィスが泰日文化倶楽部と同じビルに在ること、そして、一年に一度、全国から集まって来る看護師達のセミナー会場として、泰日文化倶楽部の教室を借りてくださるのでお会いしたことがある。
 今朝は「最期のときの思いをつなぐ」という題でお話になられた。彼女の人となり全てがすばらしいと思ったが、お話もよかった。なかでも、「患者さんは話もできなくなり、手足も動かせなくなっても、心は残っています。非言語なる心をくみとって上げることが在宅看護においては大切なことです」というくだりには感銘を覚えた。
 語学を教えたり通訳をして、日頃から言葉、言葉の生活に明け暮れている私は、<非言語なる心>について、一考を要すると反省した次第である。

鬱金の鉢巻き

昨日、古本屋で本を4冊購入。年末年始に備えてのことである。そのうちの一冊は、『奇妙な色事典』(福田邦夫著 青娥書房刊 1993年)。目次を見ると、確かに奇妙な色名がわんさと並んでいる。
 例:いわぬいろ(謂はぬ色)、うつぶしいろ(空五倍子色)、かめのぞき(瓶覗)、きくじん(麹塵)、けんぽういろ(憲房色)、しごくいろ(至極色)、しろころし(白殺し)、のしめいろ(熨斗目色)、のろまいろ(鈍間色)、等々。
 いわぬいろ(謂わぬ色)の項目を読むと、これは、くちなしいろ(梔子色)を指すそうだ。江戸時代の駄洒落から命名されていることを知り、思わず苦笑。
 同じ項目の中に「鬱金の鉢巻き」という一節が有る。「鬱金はショウガ科の植物の根からとられる黄色の染料で、それで染めた鉢巻きを頭に締めれば、頭に黄がまわる、つまり、気がまわるというわけだ。忘年会の幹事は鬱金の鉢巻きにかぎる」
 今日からいよいよ師走。口害を防ぐために、「謂わぬ色=梔子色」の服を着よう! そして、気配りのために、鬱金色のマフラーを巻こう! それが難しいなら、カレーを食べて、胃の中を鬱金色(ターメリック色)にしよう!

午前8時の三鷹駅

昨日の午前8時、私は三鷹駅にいた。徹夜の仕事が終わったのですぐに電車に乗って帰宅すればいいが、人の多さに圧倒された。まるで新宿駅並みだ。そこでスタバに寄って30分ばかりお茶をした。
 三鷹は住環境がいいので都内でも人気が高い。しかし、人気が高いが故に人口がどんどん膨らんでいくと、それにつれていろいろと支障をきたす。駅のロータリーはバスや車でいっぱい。
 私が上京したのは1965年。父の親友が三鷹に住んでおられたので遊びに行くと、「この近くに売り出されている家は1千万円もするんだよ」と言われ、びっくりしたのを覚えている。今では10倍…..。
 いずれにせよ、数十年前までの三鷹は武蔵野の面影が色濃くあった。しかし、ヒマラヤ杉は切り倒され、マンションになった。
 今日の出題:次の単語をタイ語にしなさい。1.徹夜で働く、 2.住環境、 3.人気が高い、 4.人口が増える、 5.支障をきたす、 6.ロータリー、 7.10倍、 8.面影、 9.マンション

ニン先生のパパ

ニン先生は今年の6月から泰日文化倶楽部の「タイ語中級 火曜日19:00」のクラスを担当してくださっている。彼女の可愛らしい話し方、そして、ピアノの先生もなれるということを聞いて、良家のお嬢様であることは明々白々だ。
 今週の授業の時に、彼女が面白い話をするので、思わず笑ってしまった。
 「私のパパは出家したことがあります(เคยบวช)。しかし、お寺では食事のことをあれこれ言ってはならず、善男善女からいただいた食べ物をただ口の中に入れるだけです。でも、パパはピザがどうしても食べたくてたまらず、我慢をするのが大変だったそうです。ですから、還俗後(หลังสึก)、お寺に持って行く食べ物はいつもピザばかり。ピザをもらったお坊さんは、またピザかと思ってはならず、黙々と食べなければなりません」
 ニン先生のパパの気持ちはわからないでもないが、反対にピザばかり食べさせられたお坊さんは、還俗後、きっとピザが嫌いになったにちがいない。

午前8時の三鷹駅

昨日の午前8時、私は三鷹駅にいた。徹夜の仕事が終わったのですぐに電車に乗って帰宅すればいいが、人の多さに圧倒された。まるで新宿駅並みだ。そこでスタバに寄って30分ばかりお茶をした。
 三鷹は住環境がいいので都内でも人気が高い。しかし、人気が高いが故に人口がどんどん膨らんでいくと、それにつれていろいろと支障をきたす。駅のロータリーはバスや車でいっぱい。
 私が上京したのは1965年。父の親友が三鷹に住んでおられたので遊びに行くと、「この近くに売り出されている家は1千万円もするんだよ」と言われ、びっくりしたのを覚えている。今では10倍…..。
 いずれにせよ、数十年前までの三鷹は武蔵野の面影が色濃くあった。しかし、ヒマラヤ杉は切り倒され、マンションになった。
 今日の出題:次の単語をタイ語にしなさい。1.徹夜で働く、 2.住環境、 3.人気が高い、 4.人口が増える、 5.支障をきたす、 6.ロータリー、 7.10倍、 8.面影、 9.マンション

僧侶とピザ

ニン先生は今年の6月から泰日文化倶楽部の「タイ語中級 火曜日19:00」のクラスを担当してくださっている。彼女の可愛らしい話し方、そして、ピアノの先生もなれるということを聞いて、良家のお嬢様であることは明々白々だ。
 今週の授業の時に、彼女が面白い話をするので、思わず笑ってしまった。
 「私のパパは出家したことがあります(เคยบวช)。しかし、お寺では食事のことをあれこれ言ってはならず、善男善女からいただいた食べ物をただ口の中に入れるだけです。でも、パパはピザがどうしても食べたくてたまらず、我慢をするのが大変だったそうです。ですから、還俗後(หลังสึก)、お寺に持って行く食べ物はいつもピザばかり。ピザをもらったお坊さんは、またピザかと思ってはならず、黙々と食べなければなりません」
 ニン先生のパパの気持ちはわからないでもないが、反対にピザばかり食べさせられたお坊さんは、還俗後、きっとピザが嫌いになったにちがいない。