パックチーに関する格言

先日の火曜日、生徒さんが自家栽培のパックチー(ผักชี)を教室に持って来られ、級友達におすそ分けされた。皆さん、大喜び。
 そして、その日の夕食にカオマンガイ(ข้าวมันไก่)を作られた生徒さんが写真でご報告。他の生徒さん2名も、日を変えて、ソムタム(ส้มตำ)やシンガポールチキンライスを写真で披露。皆さん、タイ語よりもタイ料理に対する反応のほうが実に早い!
 私は卵焼きの中に入れたが、いつもと違う卵焼きになって、それはそれで大いに楽しめた。
 ところで、パックチーと言えば、すぐに「ผักชีโรยหน้า」という格言が頭に浮かぶ。「料理の上にパックチーをふりかける」とは、「表面だけをとりつくろう」とか「見せかけの善」を意味し、そうならないように注意を喚起している。
 数年前から東京にはパックチー料理専門店までできているが、果たして今も繁盛しているのであろうか? 店主に言いたい。「是非とも国会内の食堂に出店しなさい」、と。

今日の宿題

タイ語作文

1.7月1日からレジ袋が有料化になった。

2.環境問題はまだまだ他にもたくさん有る。

3.昨日の感染者は東京で67人、全国で126人であったと発表された。

4.感染防止のエチケットとして、京都の扇子店が扇子の使用を提案した。

5.マスクをはずした時、代わりに扇子を使うのはいい考えである。

6.扇子であおいで涼をとることもできるから、一石二鳥だ。

向田邦子と3匹の猫

直木賞作家である向田邦子(1929-1981)は、1981年8月22日、台湾で飛行機事故に遭い、51歳で亡くなってしまった。当時の衝撃は今でも覚えている。彼女の文才は雲の上の人。
 彼女を特集した雑誌の中には愛猫がたくさん写っているが、あらためて彼女の猫歴を調べてみると、最初の猫はシャム猫のメス。そして、次にバンコクで見つけた猫2匹。名前はチッキイ夫人とマミオ伯爵。
 マミオ伯爵(コラット種)はタイ語名は「マハシャイ・マミオ」。มหาชัย(マハーシャイ=大勝利)である。
 シャム猫といい、あるいは、タイで見つけた猫といい、彼女の猫歴にはタイが深く関わっていることがわかった。
 シャム猫を愛せば文才が冴えるかしら? 私もバンコクへ行って、シャム猫を探したい。

緊張の半年間

今日で2020年の前半が終わる。1月、コロナの話がマスコミに出始めたかと思ったら、2月はコロナの感染者が続出した豪華客船の話題でもちきり。2月の後半からは教室にも緊張感が走った。3月になると、都知事のロックダウン(都市封鎖)などという言葉が鮮烈に響いた。それ以来、いろいろな造語に振り回された。
 4月と5月は東京都の協力要請に従って休塾。社会人になってから初めての長期休暇をどう過ごそうかと思案にくれた。だが、慣れてしまえば、ベランダでの体操と日光浴が心地よかった。
 6月1日から授業再開。そして、無事に1ヶ月が終わろうとしている。終ってしまえば、ごく普通の時間が流れたと思う。生徒達も8割強、戻って来てくださった。
 再び、東京都は感染者の増加であやしくなって来た。明日からの2020年後半はいかに…….?

弘前れんが倉庫美術館 

今日の宿題:

1. 昨日、NHKの番組「日曜美術館」で、弘前れんが倉庫美術館が紹介された。

2.「商売はダメになっても、レンガの建物は残る」という酒造会社の社長の考えで建てられた100年前の倉庫が美術館に生まれ変わった。

3. 驚いたことは、その美術館に飾られている弘前の昔の人々を描いた絵がインド系タイ人によるものであったことだ。

4. その画家は、コミュニティに根ざした絵をテーマにして描く画家だそうだ。

5. まるで日本人が描いたと思われる絵の前で、弘前の人々はそれはそれは喜んでいた。

5ヶ月ぶりの生け花クラス

昨日、生け花クラスが再開された。前回は1月18日に実施されているから、5ヶ月ぶりということになる。参加者は私を含めて5名。いつものメンバーである。ただ残念なことは、ご主人の転勤で神戸へ行ってしまわれた仲間とは会えなくなってしまった。
 華道講師は横須賀からお見えになられる。ずっと電車には乗っておられなかったとのこと。もうすぐ103歳のお母様がおられ、遠出はなかなか難しいのに、月に1回くらいなら東京に出てもかまわないということで指導に来ていただいている。
 枝を切る鋏の音が心地よかった。みんながそれぞれの花を生けると、教室には華やかさが生まれた。素人集団なのに、いずれも皆、芸術家になったような気分が……。先生がほんの少しだけ枝や花の角度を変えるだけで、作品が見違えるように変わる。
 オンライン授業もいいけれど、先生と生徒がすぐそばにいて、成果をともに喜びあう場面は何と言っても教室だ。

指輪先生の検疫レポート

6月23日に特別枠でタイへ帰国された指輪先生から、英語による検疫レポートが20枚ほどの写真と共に送信されて来た。2週間、ホテルで隔離されているので、時間を持て余しているようだ。バンコクにいてもご主人にも会えない。運ばれて来る3食の食事はドアの前にある白いイスの上におかれるだけ。

1.Suvarnabhumi Airport system is very strict. I am a special case because I am sick from my disease, so I was sent to the hospital for checking.

2.I stayed at the hospital for one night and now was moved to state quarantine place. I stay 14 days at Ambassador Sukhumvit Hotel. Everything is free of charge including PCR test every week.

3.Last 31 days, no case in domestic, but 1-2 cases a day from abroard. I heard that nobody who go back from Japan got the infection. Most of them came from Middle East.

過去・現在・未来

いつもの元タイ人講師から人生訓を説いた動画が送られて来た。一般の活字体ではなくて、おしゃれな草書体だから、1回で読み取るのは難しい。何故ならば、目がどうしても映像のほうに向いてしまい、文字に集中できないからだ。
 しかしながら、自信を失ってしまっている現代人にとってはとてもいい内容なので、以下に列挙する。訳してみよう。

1. คิดเรื่องความสำเร็จในอดีตมากไป ก็หลงตัวเอง

2. คิดเรื่องความล้มเหลวในอดีตมาก ก็เศร้าหมอง

3. คิดเรื่องอนาคตมากไป ก็เป็นกังวล

4. คิดเรื่องดีๆในปัจจุบัน เป็นจริงและสบายใจ

5. คิดดี พูดดี ทำดี มีคามสุ

今日の宿題

タイ語に訳してください。テーマは「家」です。

1. 生涯に7軒も家を建てた女流作家がいる。

2. 解体作業に不法滞在の外国人を働かせているのは犯罪である。

3. 家の修復費用は見積りの範囲内でおさまらないものだ。

4. 上棟式に屋根の上から餅を投げる光景が、昔はたくさん見られた。

5. コロナの影響で、東京から地方へ移住したい人が増えているそうだ。

「忘れました」というタイ語

昨日からTさんが復帰された。彼と会うのは1年半ぶり。見事、医師国家試験に合格し、現在は研修医として都内の病院で働いておられるそうだ。
 タイ語のことを尋ねると、「もう忘れました」と彼が言ったので、「それをタイ語で言ってみてください」と私は促した。「ลืม ルーム(忘れる)」とすかさず反応したところを見ると、単語は忘れていない。
 私は助言した。「ลืม だけですと、それは辞書の中に出ている見出し語に過ぎません。もっと動きのある表現をしないと」
 彼は素直に従い、完了形を使って「ลืมแล้ว 忘れました」と言った。
 横で聞いていたタイ人講師がさらに補足した。「ลืมหมดแล้ว 全部忘れました」
 ところが、さらにタイ人講師は表現をがらりと変えた。
 「タイ人なら、จำไม่ได้ (覚えていない)と言いますね」
 日本人は生真面目に直訳をしようとして、どうしても発話が遅くなる。会話は勢いだ。相手に気持ちを伝えようとする場合、内容が合致していればいいのである。カチカチにならないで、柔軟に話そう!