デコポンの妹分のはるみさん

 昨日、友人が出演する「府中アカデミー合唱団 第31回定期演奏会」を聴きに行った。会場は、府中の森芸術劇場どりーむホール。最初に団長のご挨拶が有った。その中で強調された点は、「30年以上経ったので、若返りが必要です。ご興味のある皆さん、どうぞご入団ください」ということ。それを聞きながら、創立29年目に入っている泰日文化倶楽部も同じだなあと思った。
 ところで、本日の話題は、「はるみさん」。演奏会の帰り道、古風なスーパーを見つけた。郷愁にかられて中に入って行くと、「デコポンの妹 はるみ」というミカンが目に止まった。デコポンの妹なら、ポン子ちゃんでもいいのに、何故、はるみなのかと怪訝に思いながら買った。そして、帰宅後、名前の由来を調べると、ポンカンx清美の間で生まれたミカンであり、2月に市場に登場して来るので、「春を見る」という意味合いをかけて、「はるみ」となったそうだ。
 寒い。春が待ち遠しい。はるみを食べて、ビタミンCを補給しよう。

青森の人・沖縄の人

 昨日、友人の引越しの手伝いに行った。友人はネットで格安の引越し業者を選んでいた。値段を訊くと、大手の半額!
 まずは荷物の運び出しのために2人がやって来た。その2人の話し方が標準語ではなかった。そこで、友人が彼らに出身地を尋ねた。一人は青森県出身、そして、もう一人は沖縄出身であった。
 ところが、標準語に慣れている我々には、彼らの話し方に全く区別がつかなかった。つまり、青森の津軽弁と、沖縄の言葉がかなり近いように聞こえたわけだ。かつて、海流に乗って北海道の産物が沖縄へ行き、人々の往来も有ったということを授業で習ったことがあるが、青森県もその範疇に入っていたのであろうか?
 若い2人の男性は真面目に荷物を運んだ。荷物の積み出しが終わる頃、社長と、もう一人の年配者が現れた。現場の状況を監督に来たみたいだ。引越しシーズンに突入する2月、3月。彼らは毎日、黙々と荷物を運ぶことであろう。

同世代の師弟関係

 昨日2月10日は「ニット(編物)の日」だったそうだ。いつから決められたのか知らないが、「肉の日」、「豆腐の日」、「櫛の日」、等々、業界筋が決める日が多すぎて、もうどうでもいい。
 編物(การถัก)はここ10年続けている。半年に1枚の割合で作品を作っている程度だから、細かい技術はなかなか覚えない。生け花(การจัดดอกไม้)も習い始めて10年が経過。1ヶ月に1回のノロノロ勉強だから、身についているものはほんのわずか。
 茶道(พิธีชงชา)の稽古は2年目に入った。茶道は総合芸術だから、奥が深い。のんびりと親しむしかない。
 最近思うこと、それは、これらの講師が私と同世代であり、そのことにより、過去の話題や、現在における批評や味方がほぼ同じであるということだ。生け花講師は私と同じ70歳。編物講師と茶道講師は一つ下の69歳。お互いに師弟という緊張関係にありながらも、いろいろな話題に対して話がしやすいので、稽古日が待ち遠しい。

人生最後の食事

 昨晩、友人の引越し(東京から浜松へ)を祝って、鮨職人の家でパーティーが開かれた。プロが用意し、握ってくださった鮨は何といってもネタがちがう。鮮度抜群。そのほかに、牡蠣(オードブル)も河豚🐡(和え物)も美味しかった。ししゃもの天ぷらは、まさしく本物のしゃしゃもであった。4時間、みんなは幸福に酔いしれた。
 鮨職人が「皆さん、死ぬ間際に食べたいと思う食べ物は何ですか?」と、突然、訊いてきた。Aさんは、「もちろん、鮨です」と答えた。Bさんも、「やはり鮨だなあ」と応じる。Cさんは「鮪」。Dさんは、「ビール」。Dさんは米もお菓子も食べず、ビール一辺倒だから、彼の気持ちはわかる。E子さんが、「私はぎょうざ」と言い出した。鮨とぎょうざではかなり印象が違うが、本人が好きなのだから、それはそれでいいだろう。
 「先生は?」と私のほうに問いがまわって来たので、すかさず答えた。「タイ」。自分では鯛と言ったつもりだが、周囲の方達は、あれあれ?という顔。鯛好きでも、タイ好きでも、どっちでもいいや……。

R (ร เรือ  船) & L(ล ลิง 猿)

 「タイ語中級 火曜日19:00」のクラスは、2月からパック先生が担当されることになった。初めて教わる講師に対して、生徒は緊張するものである。それがいい。緊張は大切。そして、今月から新しい生徒さんが入会してくださったので、このクラスはますます緊張。
 目下、『中級テキスト』をもう一度、最初から復習しているということで、新しい講師にはしっかりと発音矯正をするよう、私から指令を出した。その結果、パック先生の耳には、生徒の発音のうち、「r= ร เนือ」と「l= ล ลิง」の違いが見られなかったようで、熱心に矯正してくださった。例題は私が出した。
 ๑ เรารักโรงเรียน ๒ เราเรียนภาษารัสเซีย ๓ เรารีบกลับบ้าน ๔ หลังเลิกเรียน ๕ อัตราแล้กปลี่ยน
 รัก(愛する)の発音が、間違ってลัก(盗む)になると、恋愛はその時点で終わりとなることを心得るべし!
 

センサー & 自動

 先日、某所のトイレを使用した時、扉の内側に次なる注意書きを見た。
 「このトイレは自動ではありません。使用後は、センサーに手をかざして、必ず水を流してください」
 最近のトイレは便器に近づいただけで水が流れるものがある。まるでウェルカム・ドリンクならぬ、ウェルカム・ウォーターだ。それを見ながら、私はもったいないなあといつも思う。電気と水の無駄遣いだ。アフリカから来た人は、それを見てマジックだと思うらしい。
 使用後、便座を離れた途端、水が流れるのは衛生的で結構なことだが、センサーに手をかざす動きはそれほど面倒なものではない。センサーで十分だ。問題は、自動水洗になれてしまったが故に、どこのトイレでも自動だと思い込み、何もしないことだ。
 トイレにもいろいろ有る。場所場所で異なる。インドのトイレを知っている私には、センサー(เซ็นเซ่อร์)も自動(อัตโนมัติ)もまるで天国だ。

料理に関するタイ語

 「タイ語中級:月曜日18:00」のクラスには、タイ料理の専門家が習いに見えている。昨晩、私に十分なる時間が有ったので、彼女に20分間ほど、特別レッスンをして差し上げた。理由は、今月、チェンマイでベジタリアン料理(มังสวิรัติ)を研究するに際して、少しでも現地の料理の先生と直接、会話ができればいいなあと思ったからである。
 それには、タイ料理に関するタイ語を正しい発音で話さないといけない。「煮込む ต้ม tom」という単語は、日本人には難しい。「ต เต่า 亀のต」の無気音が出来ないからだ。「炒める ผัด phat」は、「ผ ผึ้ง 蜜蜂のผ」の有気音が出来ない。そして、低声で発音すべきところ、反対に高声になってしまう。「蒸す นึ่ง ヌング」、「ライムで和える ยำ ヤム」、「漬ける ดอง ドーング」、「搗く ตำ タム」、等々。
  「石臼 ครก クロック」の相棒は、「杵 สาก サーク 低声」。しかし、まちがって、「ซาก サーク 下声」で発音すると、その意味は「死体」。こんな発音をすると、タイ人の料理講師はおそらくびっくりするであろう。

見ざる 聞かざる

 70歳になって思うこと、それはガラクタの片付けをしておかなければならないということだ。断捨離に関する本は10冊ばかり買い込んでいる。これも捨てて行かないと本棚のスペースが足りない。
 そして、何が入っているのかわからない段ボールがいっぱいなのも問題だ。これらも一つ一つ中身を点検しながら根気よく減らしていかないと….。
 そう思って段ボールを動かし始めると、「見ざる言わざる聞かざる」の置物が段ボールと段ボールの間に落ちていた。しかし、よく見ると、猿が一匹いない。「見ざる聞かざる」だけで、「言わざる」がいない。
 怪訝に思いながらも、私はすかさず発想を変えた。「語学の先生だから、言わざるでは商売にならない」、と。だが、さらに言えば、語学の上達のコツは、よく見て考え、そして、しっかりとたくさん聞くことも大切である。よって、私には、日光の三猿は関係ない。

鯛との闘い

 無事に大学を定年退職した自分を祝って、私は高田馬場駅近くの日本料理店で鯛のお頭を注文した。いつもはまぐろ丼か海鮮丼、あるいは刺身定食を食べるのだが、晴れの日はやはり何と言っても鯛。
 お膳に出て来た鯛のお頭を見てびっくり。何故ならば、優勝した力士が祝賀会で右手に高々と持ち上げるあの鯛くらいの大きさであったからだ。いや、それは誇張しすぎ。しかし、私には大きく見えた。そして、鯛の横顔が私をにらみつけていた。
 恐る恐る身のほうから食べ始めた。頭はあとにした。すると、鯛は私をますますにらみつける。何故、ゆっくりと食べるかと言うと、鯛の骨は強烈な硬さを持っており、小骨であろうとあなどれない。そして、いよいよ箸が頭の部分に入っていった時、私は鯛の頭の中の骨が鉄骨のようにがっちりとしていることを知った。さすが魚の王者である鯛。
 鯛と格闘しながら食べること30分。食べながら思った。鯛は鯛で手ごわいが、翻って考えれば、タイという国を理解するのもなかなか容易ではない。タイとの闘いは死ぬまで続く。

ファティマの聖母

 70歳で定年のため、19年間、勤務した上智大学を退職した。大学を去る日、隣接するイグナチオ教会へ行き、中央の壁に掛けられたキリスト像に拝礼をして、そして、献金箱に気持ちを表わした。
 その後、同じ敷地内にある書店に寄って、自分のために記念品を買った。上智大学での教鞭生活を一生忘れないようにするためである。そこはカトリック関係のものばかりしか置いていない。私が選んだのは、蛍光スタンドの台に置けるイタリア製の置物(4x5cm)で、「ファティマの聖母」というブロンズであった。聖母に向かって、3人の牧童が素直に聞き入っている姿が気に入ったからである。
 帰宅後、調べてみると、1917年5月13日、ポルトガルの寒村であるファティマ(リスボンから約150Km)に、聖母が突如、出現したそうな….。今年は2017年。丁度、100年前のことになる。私は自分が太って(ファット fat)いるので、親近感を持ってファティマの聖母を選んだが、それは単に語呂合わせにすぎなかった。ブロンズの彼女はすらりとして美しく、後光が射している。