長寿の親戚

 先日、55年も会っていない横浜在住の「はとこ」から電話が有った。去年から私に会いたいと言ってきているが、私の都合がつかなくて、いまだに実現していない。
 「あのね、あなたのお母さんの従妹がなくなりましたからお知らせします。99歳でした」
 彼女の父親と私の母親が「いとこ同士」。亡くなった方は、彼女の叔母らしい。
 そのようなことを言われても、私にはピンと来なかった。親戚付き合いがどんどん減ってきているからだ。
 だが、話を聞いていて参考になったのは、97歳まで頭がはっきりしていたということ。現在も、私の親戚には96歳と95歳の女性ががんばっている。話し方も明晰。あやかりたい親戚だ。

「マットな」という単語

 今朝、NHKの「イッピン」という番組で、徳島県鳴門市で生産されている大谷焼という焼き物のことを知った。レポーターの若い女性が、「マットな感じ」という言葉を連発した。しかし、この「マットな(matte)」という形容詞が私にはピンと来なかった。
 調べてみると、化粧関係で使われていることがわかった。たとえば、「マットな仕上がり」という使われ方をするそうだ。意味は、「つや消し」、「光沢がない」。したがって、「てからせない」ということらしい。
 化粧に興味がない私は、化粧業界の表現についていけないことが判明。しかし、伝統の焼き物にまで、このような外来語が使われるとは…..。どうにも落ち着かない。
 若いレポーターの皆さん、伝統美に対してはもう少し美しい日本語を使ってくださいな。

「オイ アクマ」という掛け声

 藤本義一氏の『歎異抄に学ぶ人生の知恵』(PHP文庫 2008年)の中に、彼の祖父(職人)に関する描写が有る。
 「祖父は起きると顔を洗い、拭わずに鏡の中の自分に向って絶叫した。オイ、アクマ。オイ、アクマ。オイ、アクマ!」
 幼かった藤本氏は怖くてたまらなかったが、その意味は、オ=怒るな、イ=威張るな、ア=焦るな、ク=腐るな、マ=負けるな、だそうだ。
 4月に入ってすでに1週間が経過した。仕事をしている人も、家庭でいる人も、皆、それぞれにストレスが溜まってきているはずである。「オイ、アクマ」と唱えながら、マイペンライ精神で過ごせば、なんとか乗り切れるのではなかろうか。
 私の場合、いろいろな職業、いろいろな立場、そして、いろいろな境遇の中にいる人達と、毎日、接している。皆さん、よく我慢しているなあと思う。だが、「がまん、がまん」と自分に号令をかけると、それだけでストレスが溜まって来そうだから、「まんが、まんが、すべては漫画」と思うことにしよう。

マスターズ開幕

 マスターズが開幕した。美しいオーガスタに魅せられること40年。今年は第81回大会。そのうちの半分はテレビ中継で観ていることになる。タイガーの大活躍の時が何と言っても一番印象的だ。もちろん、日本人選手への応援は毎年のこと。
 中嶋常幸氏の解説がとてもいい。わかりやすい。経験に基づいているから安心して聞いていられる。だらだらとしゃべるのではなくて、めりはりが効いたしゃべりをするから好きだ。
 初日は強風。松山、池田、谷原の3日本人選手は苦戦。2日目に期待したい。
 中嶋氏の助言:「流れを良くしよう!」

詩人 大岡信氏

 詩人の大岡信氏が、昨日、逝去された。私は彼の署名入りの本を持っている。それは、『世紀の変り目にしやがみこんで』(思潮社 2001年)という本だ。第一章の最初の詩のタイトルは「FRAGMENTS」。その冒頭の詩を引用すると…..

   アナログ時計の秒針にうちまたがり
   同じ場所を飽きることなく回っている人。
   デジタル時計の数字の階段を
   あへぎあへぎジャンプしつづけてる人。
   「時」はかれらの外側で いつも
   豊かに溢れつづけてゐるのに。
   —この人びと かれらは
   わたしだ。

ゼンマイ(蕨)の芽

 先日のお茶の稽古の時、先生が一本の帯を生徒に見せた。それはおたいこの部分にゼンマイ(蕨)の芽が絵柄として入っている帯であった。
 風呂敷の唐草模様は、長寿、延命、子孫繁栄という意味を持つが、ゼンマイの芽も同じく目出度い柄だそうだ。
 「どなたか余裕が有る方、この帯、要りませんか?」と茶道講師が言った時、私はすかさず手を挙げた。理由は、ゼンマイの芽が、タイ数字の「๑」に見えたからである。
  ๑ =1。 1はすべての始まりだ。「和の帯にタイ数字の柄」と思えば、誰も知らない遊び心が生じて楽しい。こういう形における「日本とタイの折衷」をこれからも見つけよう。

発音が上手な駅員さん

 昨日、即刻の仕事が入って来たので、大急ぎで浅草まで向かったが、乗換え地点である上野の地下鉄の改札で勢い余ってスイカが反応しないまま通り抜けてしまった。したがって、案の定、銀座線浅草駅の改札口でひっかかった。
 「駅員がいるところへ行ってください」という表示が出たので、すかさず駅員がいる窓口まで行った。
 ところが、欧米人がその駅員に道を尋ねているところであった。早く終わってほしいなあという思いがつのる一方、その駅員の英語についつい聞きほれてしまった。英語の発音がものすごくきれいであったからだ。
 思わず、「さすがは浅草だ」と感心した。彼はどのようにして英語を学んだのであろうか? 落ち着いて話す態度も実にすばらしかった。

東京、桜満開

 昨日、東京の桜が満開になったと発表された。私は学習院大学の正門前の桜を写真におさめ、海外在住の友人や元生徒達に送信した。
 3月29日からピカピカ先生のご両親が来日されている。お父様が大の桜好きなので、毎年この時期に来日することに決めておられるが、今年はベストタイムだ。お母様は紅葉の時期にも来たいようだが、それが叶わなくて残念そう。
 来週に入ると、知り合いのタイ人が続々とやって来ることになっている。4月下旬頃、弘前のホテルの予約を頼まれているが、もうすでに満室。さて、どうするか。
 有名な所ではなくて、人があまり行かないところに咲いている桜を見るほうが個性的でいいと思うが、大部分の外国人観光客は観光地ばかりを目指して来るから、ホテルの予約に四苦八苦する。

JR30周年

 昨日、JRが30周年を迎えたというニュースを見た。駅構内にもそれを知らせる掲示が有ったのですでに知ってはいたが、30年という数字にしばし思いを馳せた。何と短かかったことか…..。
 私が東京に来たのは1965年。その時は「国電」と呼ばれていた。ラッシュ時の酷さから、「酷電」とも揶揄されていた。「国電」の後、一時は「E電」という名称が使われたが定着しなかった。
 中央線の初乗りは1965年(昭和40年)当時、10円。現在は133円。したがって、13.3倍に値上げされていることになる。当時の初任給は2万円位だったから、現在に換算すると、26万6千円の初任給が出て当然。しかし、現実は否。
 JRの運賃は高いと外国人は言う。私もそう思う。もっと安くならないものか。豪華な客車に乗る気は全くない。普通車でいい。人間観察にはローカル線のほうが断然面白い。
 いずれにせよ、私の場合、新宿や池袋のターミナル駅の連絡通路をいまだに走り抜けする毎日である。
 

活気あふれる高田馬場駅周辺

 今日から4月。高田馬場に春がやって来た。これから1ヶ月間は早稲田大学生の新入生コンパで高田馬場駅周辺はにぎやかになる。若者の息吹の中を歩くと、とても気持ちがいい。若さのおすそわけをもらって、自分も明るくなれる。
 さらには日本語の勉強に来ている外国人留学生が高田馬場駅周辺にいっぱい。彼らの勉強したいという意欲は実にうらやましい。
 泰日文化倶楽部が入っているビルの中の一室に、最近、ミャンマー留学生のための相談室が開設された。したがって、ミャンマーの人々とエレベーターでよく会うようになった。
 新年度、新学期を迎えるたびに人の移動があるが、勉強意欲にあふれる進取の人々が高田馬場を席巻することは大いに歓迎する。