シルク vs  シルック

 今日は初釜。そこで新しい半襟をつけて清々しい心で臨もうと思い、半襟を買いに行った。ところが正絹(ไหมแท้ๆ)はあまりにも高く、買うのを躊躇した。どうせすぐ汚れるわけだから一番安いもので我慢しようと思い、呉服屋の店主に尋ねた。「一番安いものはいくらですか?」
 店主は答えた。「シルックというのが¥1,122でございます」、と。
 シルックと聞いただけで、私の頭の中はシルクのイメージがふわーっと沸いてきた。
 帰宅後、その製品を出してみると、それがポリエステルであることがわかった。「東レシルック(Sillook)は高貴な光沢で、絹の様にしなやかなサラリとした風合いを持ち、その上、丈夫で色あせや黄変がしにくく、保存が簡単です」と書いてあった。
 シルクは絹。だが、シルックはポリエステル製。企業のネーミングのうまさに一本取られた。

若者の俳句

 伊藤園のティーバッグには「新俳句大賞」に入選した俳句が書かれている。それを読むのが楽しみだ。最近、たまたま「恋愛編」のシリーズにあたった。以下の句が素直で気に入った。

 「赤らめる 私の心の チューリップ」(第23回 中学生の部 優秀賞 14歳女子)
 「片耳の イヤホンとられ 急接近」(第24回 中学生の部 優秀賞 15歳男子)
 「花よりも 花を見ている 君が好き」(第18回 ユニーク賞 16歳女子)

  76歳の女性も入選している。漢字の使い方で高齢者とわかる。
 「其のままの 貴方が好きと 毛糸編む」(第22回 都道府県賞」

今日のタイ語作文

1.語学の勉強とスポーツの練習には類似点が有る。

2.しかし、両者には異なる点も有る。

3.スポーツには勝利が求められ、チームワークも大切だ。

4.語学は勉強する過程を一人で楽しみ、幅広い知識を蓄積することに利点が有る。

5.他者と比較する必要は全く無い。

6.体力、気力、財力、そして、関心を集中させて、気長に語学道を進んで行こう。

 タイ語の「ขี้(糞)」は、いろいろな形容詞と合成されると、新たなる形容詞が生まれ、それらがマイナスのイメージを有することは、タイ語を勉強している人なら誰でも知っている。
 ひるがえって日本語はどうであろうか? 「糞」がつく表現がやはり多い。例)1,糞味噌にけなす 2.くそみそに言う 3.くそっかす 4.くそっ、今に見てろよ 5.くそ食らえ、6.クソ野郎、7.クソ婆あ、等々。
 「糞」を使った表現はどこの外国語でも有るはずだ。要は、自分にとって不愉快なものに対するはけ口を「糞」で表現しているのだ。
 「糞」と言えば、『糞尿譚』(松竹映画 原作:火野葦平 主演:伴淳三郎 1957年 )を思い出す。10歳であった私が面白い映画だと思った最初の社会派映画である。
 コロナの第8波到来が聞こえて来た。「コロナよ、くそっ、いい加減にせい」

通訳は縁の下の力持ち

 国際間の動きが顕著になると、それに伴って通訳・翻訳の仕事も増える。広島県在住のM子さん(元生徒)のFBを見ると、彼女の活躍は年々、すごさを増している。最近の仕事では、「オンライン商談会で、中国、台湾、タイなどのアジアの国々の海外エージェント約60社に、通訳者30名で広島県内のあらゆる事業者さん約50社をご紹介して売り込んでいくというお手伝いをしました」と書いてあった。
 M子さんは大学の教え子だが、彼女は格別に優秀であった。何よりも積極性に於いて留まることを知らなかった。彼女の前向きの気性が広島県でも十分に活かされているかと思うと嬉しい限りだ。
 通訳者のおかげで商談が進むと、広島県の中小企業もアジアへ打って出て行けビジネスが拡大する。JETROがこの種の企画を昔から実施していたのは知っていたが、商談の成立は必ずしも100%ではない。しかしながら、通訳がいないと話が進まないのも事実。通訳は縁の下の力持ちなのである。

今日の翻訳

 『อยู่กับก๋ง』(หยก บูรพา著 สำนักพิมพ์ประพันธ์สาส์น社 พ.ศ.๒๕๑๙)の「๑…รุ่งอรุณ」から出題する。

1.เสียงไก่ขันกระชั้นรับกันเป็นช่วงๆดังมาจากทางด้านหน้าบ้างด้านหลังบ้างของห้องแถว เป็นบทเพลงเบิกอรุณที่คุ้นหู

2.มันเป็นไก่ที่ชาวตลาดห้องแถวย่านนี้เลี้ยงอย่างปล่อยปละละเลย ไม่ต้องมีเล้า

3.แต่มันก็ไม่เคยออกไปหากินไกลตาเจ้าของ จะออกคุ้ยเขี่ยหาอาหารของมันเรื่อยไป จนแดดลำสุดท้ายหมดไปจากชายฟ้า

4.มันจะกลับมาเกาะคอนไม้ไผ่ลำเขื่องที่เจ้าของพาดไว้ให้มัน

5.นิ่งอยู่อย่างนั้นตลอดคืนเหมือนถูกล่ามไว้ จนรุ่งสาง มันจะขยับตัวแล้วโก่งคอขันรับกันเสียงเสนาะใสอยู่

6.สักครู่ก็จะโผลงจากคอนแล้วออกคุ้ยเขี่ยหากิน… เป็นอย่างนี้มาทุกวัน

一服の吸引力

 昨日、抹茶を点てた。15日の初釜に備えて少しは練習しておこうと思ったからである。茶道は精神的な世界へ導く効用が有るため、コロナ禍の閉塞感が蔓延する中、是非ともお勧めしたいと我が茶道講師はおっしゃっておられる。
 抹茶を一服したのち、気合を入れて教室へ向かった。個人レッスンの生徒さんを迎え入れると、不思議や不思議、彼女が和菓子を差し出したのである。「松江に帰省しておりました。松江のお菓子です」
 私はすぐに応じた。「松江と言えば大名茶人の松平不昧公(松江藩中興の祖)が有名。松江には美味しい菓匠がたくさん有るんでしょうね」
 茶道は主菓子をいただいてから抹茶を喫する。昨日の私の場合は菓子が無かったから抹茶だけで済ませた。ところが茶の神様が私を憐れんで江戸時代からの菓匠の菓子を届けてくださった。一服の吸引力に不思議を覚えた。
 
 

生徒さんのカムバック

 泰日文化倶楽部は昨日(1月7日)より授業を開始した。午前10時半のクラスにサプライズが有った。それはインドへ遊学していた大学生のA子さんが再び教室に現れ復学してくれたことである。
 彼女はインド滞在中、日本語を教えていたそうだ。だから遊学ではなかった。チベットまで足を延ばしたと聞くと、漫遊学の体験を積んだことになる。
 ヒンズー語も結構わかるようになっていたが、それはタイ語を習っていたからだと思う。帰路、タイに1週間、滞在したのでタイ語の感覚も冴えていた。
 何よりも日本を出る前の顔と帰国後の顔つきが変わっているのに一番驚いた。インドでの体験は彼女の人生に大きなインパクトを与えたに相違ない。

今日のタイ語作文

1.昨日、雑排水配管の洗浄業者が教室に来た。

2.洗浄後、彼は壁に貼られているポスターを見て言った。

3.「あの人はプミポン国王ですよね?」

4.私は尋ねた。「どうしてラーマ9世をご存知なの?」

5.「タイ料理が好きで、タイ料理店によく食べに行ってますから」と彼は答えた。

6.そして、付け加えた。「まだ一度もタイへは行ったことがありません」

7.私は彼にタイ語を習うことを勧めたかったが思いとどまった。

持ち物の再確認

 電気代が上がったので暖房をつけずに暮らしている。どれだけ耐えられるかの実験だが、答えは簡単。編物教室で編んだ毛糸製品がいっぱい有ることを思い出し、今は自作のセーターやカーディガンを着たり、マフラーをぐるぐる巻きにして楽しんでいる。スコットランドの羊毛でできた毛糸の保温力は抜群だ。
 さらには、コロナ禍で化粧をしなくなったから化粧品代はゼロに近い。化粧をしないことが肌にはかえって良いこともわかった。外出する時、額にファウンデーションを少し塗るだけ….。これまで使い切っていないファウンデーションのケースがごろごろ有るので、引っ張り出して来て大切に利用している。
 ひるがえって、タイ語の教科書について言及する。これまでたくさんの教材を使って来たと思われるが、一回だけの利用はもったいない。もう一度、自分なりに復習すると、初心者の時には見えなかったものが見えて来る。そして新たなる追求が始まれば、その時こそ一歩前進だ。