虚実等分

 昨日、「アジア女性のための生け花教室」を開催した。参加者はわずかに3名。コロナ禍が下火になって来たので、用事ができた方達が多かったようである。華道講師は生徒数が多かろうと少なかろうと全く気になさらない。いつも懇切丁寧にご指導くださる。
 中国人女性に向かって講師は仰った。「生け花には、<虚実等分>という考え方が有ります」
 白板に書かれた漢字を見ると中国人も私も何となく表面的な意味は理解できた。しかし、その言わんとする深い意味はわからなかった。生け花に虚実があろうとは……。
 調べてみると、花そのものは<実>。しかし、枝を切ったり撓めたりしながら生け花にしていくことは<虚>だそうだ。その<実>と<虚>を等分に仕組んで<美>を作り出す行為を「虚実等分」というとのこと。華道を習って17年目に入ったが、華道講師から初めて聞く四文字熟語であった。

からす麦クッキー

 広島から上京した元生徒さんからお土産に「からす麦クッキー」を頂いた。とても素朴で健康にも良い。広島と縁が深い現役の生徒さんにこのクッキーのことを話すと、30年前から爆発的によく売れている広島名産のお菓子だとのこと。もみじ饅頭とお好み焼きだけしか知らなかったので、新しい興味を覚えた。
 このクッキー会社の会社概要を調べてみると、菓子以外に、タイレストラン経営というのが目にとまった。広島市内の繁華街でもう20年も営業していることがわかり、私の関心はクッキーよりもタイレストランに向かった。広島在住の元生徒さんに尋ねると、「とてもお上品な店です」と回答が有った。
 日本国内のタイ料理店にはあたりはずれが有る。「本場のタイ料理」と宣伝していても、期待はずれに終わることが多い。20年も存続しているということは、「良き店主・良き客」のハーモニーが抜群なのであろう。

今日のタイ語作文

1.水瓶座は1月20日から2月18日までの期間である。

2.2月をタイ語で書くのはなかなか難しい。

3.2月の略語は、ก.พ.である。

4.あと1ヶ月もすれば、桜が咲く。

5.4月13日(ソンクラーン)に親友が新潟県から上京して来る。

6.5月中旬、バンコク勤務の元生徒さんが一時帰国するので、私に会いたいとラインして来た。

ตาย/ถ่าย

  最近、使用している教材は45年前の古い古いものである。何故、そんなものを使っているかと問われるならば、タイ人の基本的生活が書かれているので頻出単語がどれも役に立つからである。
 昨日の授業で「ถ่าย 排泄する」の単語を教えた。すると、生徒さんから「ตาย(死ぬ)の発音とどのように違いますか?」と質問が有った。私は意外な気がしたが、その違いを丁寧に説明した。
 そして分かったことは、日本人には有気音と無気音の違いが耳で聞き分けにくく、その結果、正しい発音ができないということである。そして、声調も永遠の課題と言えよう。
 よく似た発音はまだまだ有る。例:ทาย 推測して当てる/ ท้าย 終り/ ไทย タイ/ ค่าไถ่ 身代金/ ไถนา 田を耕す/ ได้ 出来る/ ใต้ 下・南/

ロシア料理を楽しむ

 昨日、元生徒さんが上京したので高田馬場駅まで来てもらった。「ロシア料理、イタリア料理、とんかつの三択から選んでください」と言うと、彼は躊躇なくロシア料理を選んだ。私もひそかにそれを希望していた。
 理由はロシアとウクライナの戦争が昨年2月24日に始まってからほぼ1年が経つので、ロシア料理を食べながらこの1年を振り返り、そして、今後の見通しと展開を話したかったからである。
 店内の客達は老舗の味を楽しみながら静かに食事をしていた。そこには平和が有った。店の人達もいつもと全く変わらず忙しく料理を運び、手際よく皿を片付ける。
 食べる人も作る人も幸せ。料理は何料理であれ人々を幸せにし平和の使者だ。久しぶりのボルシチを頂きながら、早く戦争が終わってくれることを祈った。

今日の翻訳

 タイの民俗学者であるアヌマーンラーチャトン氏のお子様3名が著した『พ่อของลูก』(สำนักพิมพ์แม่คำผาง刊 พ.ศ.๒๕๓๐)の本の中から、長女(สมศรี สุกุมลนันทน์)が書いた「บ้านของพ่อ」一部抜粋して出題する。人間関係がややこしいかもしれないが、主語の使い方(ลูก=私/ ท่าน=お父様)に気をつけて訳してみよう。

1.พ่อเคยพูดว่า บ้านที่ไม่มีเด็ก ไม่มีหมา ไม่ใช่เป็นบ้าน เป็นแค่ที่อยู่อาศัย

2.บ้านของพ่อ มีอายุกว่าหกสิบปี ไม่เคยขาดเด็กและหมา จำนวนมากบ้าง น้อยบ้าง บางเวลา เคยมีเด็กมากกว่าสิบ และมีหมาคราวหนึ่งแปดตัว

3.พ่อตายมาได้๑๖ปีเต็ม เดี๋ยวนี้บ้านของพ่อมีเด็กคนเดียว หมาสาม เด็กคือเหลนของพ่อ หมดสมัยครอบครัวมีลูกเก้าคน

4.เด็กในบ้านของพ่อมีอายุเปลี่ยนแปลงไปตามลำดับของอายุลูก

5.ระหว่างสงครามโลกครั้งที่สอง ลูกอยู่มหาวิทยาลัย มีเพื่อนมาอยู่ด้วยหลายคน เพราะไม่มีหอพักที่จะอยู่ได้โดยปลอดภัย

6.ท่านบอกว่าท่านนึกถึงลูกของท่านเองว่า ถ้าตกอยู่ในสภาพแวดล้อมระหว่างสงคราม ท่านคงจะยินดีที่มีผู้ให้ความอบอุ่นคุ้มครองแก่ลูก

7.เพื่อนคนไทยของท่านมีความจำเป็นต้องส่งลูกให้เข้ามาเล่าเรียนในเมืองหลวง ท่านก็รับไว้ให้อยู่ในบ้าน

三猿

 三猿と言えば日光の猿が有名だ。私の書棚にも誰かから頂いた三猿を飾っている。ところが昨日、そのガラス入りの書棚を見ると、三猿が二猿になっていた。残っていた猿は、「見ざる、聞かざる」。消えた猿は「言わざる」。
 私の仕事は声に出して大いに話すことだから、「言わざる」が遠慮してどこかに消えたようである。御主人思いの猿だ。
 「見ざる、聞かざる、言わざる」は人間関係をスムーズにするための昔の人の知恵。しかし、情報手段がこれだけ飛躍的に発達した21世紀に於いては、三猿はもう通用しない。否が応でも情報が飛び込んで来るからだ。
 時には、「見る、聞く、言う」で対抗しよう。それには日本語と外国語の両方のレベルアップが必須である。

雨水(うすい)

 今日は二十四節気の「雨水」。立春から数えて15日が経過し雪解けが始まる頃を言うそうだ。テレビで見ると、伊豆の河津桜も水戸の偕楽園の梅ももうきれいに咲いている。
 昨日、目白駅を利用すると、駅のコンコースに立派な雛壇が飾られていた。調べてみるとお雛様を飾るのは雨水の頃からだと書いてあった。目白駅の気配りに感嘆した。
 タイで長期滞在をしている日本人は日本の細やかな季節感を忘れてしまっている。タイはタイの良さがあるから甲乙をつけることは不要。だが時には日本のことも思い出してほしい。タイ在住の元生徒達に季節の写真をラインで送信すると、「あら、もうそんな季節?」という反応が多い。
 もう一度、寒気が来て、そして三寒四温を繰り返しながら春が来る。タイ語の勉強は三歩後退・四歩前進で根気よく続けよう。

今日のタイ語作文

1.ソム(みかん)先生には同じく女医である親友がいる。

2.その彼女の愛称もソム。したがって、後輩のソム先生と区別するためにソム・ヤイと皆は呼ぶ。

3.私はスコータイ・ホテルで二人と会食したことがあるが、ソム・ヤイ医師はとても快活であった。

4.彼女が今年7月から半年間、渋谷区内の病院に研修を受けに来るそうだ。

5.コロナが蔓延する前まで開講していた火曜日19:00のクラスの生徒達はソム・ヤイ先生を知っているから、皆さんに連絡をして、是非とも歓迎会を開催したいと思っている。

ลายというタイ語

 タイ人講師が「品川駅は人が多すぎて目がくらくらする(ตาลาย)ので羽田へは浜松町からモノレールで行きます」と言った。確かにテレビで品川駅の通勤者がよく報道されているのでそうかもしれないが、東京駅や新宿駅と比べるとそれほどでもない。
 それよりも、「ตาลาย 目がくらくらする」という表現に私は興味を持った。「ลาย」の意味は模様とか縞柄だ。辞書で調べてみると、「ลายตา まばゆい」というのも有った。
 そこで、「ลาย」を使った単語や表現を列挙する。
๑.ม้าลาย / ๒.ทางม้าลาย / ๓.ลายมือ / ๔.ลายเซ็น / ๕.ลายนิ้วมือ
๖.ลายไทย / ๗.ลายไม้ / ๘.ลายเสือ / ๙.สิ้นลายเสือ / ๑๐.เป็นลายลักษณ์อักษร