ケチ vs  節約

 昨日のニュースで「大阪の三ケチ」であった最後の一人の吉本晴彦氏の死去が報じられていた。吉本氏は大阪マルビルの創業者である。私はこのマルビルの形がかねてより面白いと思っていたので、大阪で元生徒の結婚式が有った時、このマルビルの中に入っている第一ホテルに泊まったことがある。
 大阪人は「ケチ」、「ドケチ」、「しぶちん」等という単語に非常に親しんでいる。商売をやり、大勢の人を雇用すれば、そうせざるを得ない。決して、悪いイメージの言葉ではない。何故ならば、大阪人はこれらの言葉にユーモラスな感情を補填しているから。
 7月に八戸へ行った時、古い着物や服を裂いて改めて織りなおす「裂き織り」という布が作られる工程を見た。着古した布を新たなる手法で蘇らせるのは「節約精神」からの賜物だと思う。
 ひるがえって、「ケチ」も「節約」も、もとはといえば同じ土壌のような気がしてきた。

海田市の読み方

 先日、広島県へ元生徒のお見舞いに行くため呉線に乗ったが、駅のホームの行先案内板に「海田市 KAITAICHI」と書いてあるのを電車の中から見て、「あっ、誤植だ」と思った。何故ならば、私は漢字を見て、「KAIDASHI」と読んでしまったからである。その地域にうとい自分を恥じた。だが、そういうケースは全国を旅行していると、いくらでもあると思う。地名の読み方はなかなかに難しい。
 その海田市がここ2~3日、ニュースでよく登場している。何故ならば、自衛隊駐屯地に迎撃ミサイルTHAADの設置を完了したからである。海田町の丘陵にいっぱい広がっている住宅街を病院の最上階から見た景色が焼き付いているだけに、住民の緊張感やいかばかりか。平和そのものの長閑な島根、愛媛、高知にもTHAADが配備された。
 武器商人(=死の商人)は莫大な特需を享受するかもしれないが、被害を被るのはいつも一般市民なのだ。 

全米プロゴルフの松山秀樹

 全米プロゴルフ選手権2017の松山秀樹をずっと応援していた。メジャーの優勝を今度こそは期待していた。しかし、結果は5位タイ。
 「足りなかったものは何ですか?」というインタビュアーの質問に、彼は短く答えた。「考えます」
 世界で戦う日本スポーツ選手をテレビ中継を通じて見るにつけ、いつも思うことがある。最後の最後の段階で力尽きる。精神的なものが大きい。運が左右するともよく言われるが、日本人が世界で弱いのはやはりメンタルだ。
 音楽やバレーの世界では日本人がたくさん優勝している。だがスポーツの世界の壁はまだまだ高くて厚い。体力は鍛え上げることが出来るが、精神力は果たしてどのようにすれば鍛え上げられるのか? 有名選手でなくても、普通の人間にも精神力が肝要だ。その解決策を考えるお盆休みにしたい。
 

岡山後楽園の少年ガイド

 昨晩、TBSの情報番組で、岡山の後楽園で英語のガイドとして大活躍している8歳の少年が紹介された。生後半年から母親が彼に英語のCD等を聞かせて、常に英語の環境にひたらせたようであるが、それにしてもすごい。後楽園を訪れ、彼の英語を聞いた欧米人は、「日本人特有の英語発音が全くみられない! ネイティブそのものだ」と評価。
 留学もせず、岡山でひたすら英語を勉強している少年。その持続力に私は脱帽した。そして、後楽園内を韋駄天の如く走り回って、外国人に声をかける積極性にも感心した。
さらにすばらしいと思った点は、歴史を説明する時、文章がよどみなくすらすらと出て来たことである。わずか8歳なのに、後楽園の由来をしっかりと覚え、正確に伝える態度。彼の度胸と英語に対する愛。タイ語を学ぶ我々は、彼をお手本として、タイ語に対する愛と持続力を持つようにしよう。

鮫小紋

 昨日、八戸の着物店で6月下旬に購入した鮫小紋の着物が送られて来た。この着物には曰く因縁が有る。
 私は八戸へ仕事で行く時、東京から鮫駅までの切符を買い、蕪島神社をお参りした後、海猫を見て楽しんだことはすでにブログで書いた。八戸での初日、市内の着物屋へ行ってみた。青森県固有の珍しい着物が有るかどうか知りたかったからだ。折しも七夕が近かったので浴衣ばかりが揃えられていた。
 翌日も別の着物店へ行ってみた。店主は墨流しの着物を勧めた。「墨は黒。黒は苦労に通じます。ですから、墨流しは苦労を流すということになります」 「私は鮫小紋を探しているんですけど…..」と言うと、店員が店の奥から出して来た。その着物を見て、私ははっとした。新宿のデパートで勧められた着物と全く同じものであったからだ。
 鮫小紋は武士の裃に使われる生地であり、精神的に強靭なものと思われている。八戸で私を待ち構えていた鮫小紋。何かの縁を覚えて、今度は見送らなかった。

証明写真の不受理

 一昨日、泰日文化倶楽部の近くに在る写真館へ行き旅券申請用の証明写真を撮った。そして、昨日、それを受取りに行き、その足で都庁の旅券センターへと向かった。何故にこんなに人が多いのかと思うくらい、旅券センターは混み合っていた。
 待つこと20分、やっと私の番になった。担当の女性は私の写真を見て、「これはダメです。粗すぎます」とすかさず言い放った。私は写真館で撮ったことを証明するために、写真が入った小さな封筒を示しながら、「ほら、ちゃんと写真館で撮ったんですよ。画像が粗いというのはとても信じられません」と強気で言った。
 すると、女性は上司のところへお伺いを立てに行った。かなりの時間が経った。そして、上司と一緒に私の前に戻って来て、やはりだめであることを告げた。「ルーペでよく見てください」と言われたので、その通りにした。すると、確かに幾筋もの横線が見えた。
 私は写真館のおやじさんの腕を疑った。プロとは言えない。電話をかけて事実を報告した。よって、再度、作り直しとなった。だが、よく考えてみると、私の顔にいっぱい皺ができ始めているのかもしれない(笑)。

創業1782年の佃煮屋

 昨日、かねてより注文していた佃煮が宅急便で届いた。箱には次なるちらしが入っていた。
 「創業天明二年 おいしさ届けて三世紀。新橋玉木屋は、一七八二年、江戸片側町(現在の新橋)にのれんを掲げて以来、三世紀にわたって、伝統の味・日本の味を守り育ててまいりました。初代七兵衛は、越後の国、通称玉木村の出身。江戸に出て、独自の製法で売り出したざぜん豆が好評を博し、その後、佃島の漁師の保存食に着想し、独特の味わい深い佃煮をつくり上げました」
 このように長く引用すると、まるで玉木屋の宣伝をしているみたいだが、私の注目するポイントは、「一七八二年」という西暦である。この同じ年に、クルンテープ遷都が有り、現在のラタナコーシン王朝が誕生しているからだ。
 昨晩、「タイ語初級 水曜日19:30」の生徒達がクルンテープという呼称に関心を示したので、40分近く、タイの歴史を解説することになった。クルンテープと江戸の佃煮屋。全く関係が無いものの、歴史の偶然性を面白く思う。

倦まず弛まず、三年こつこつ

 昨晩、「タイ語中級 火曜日19:00」のクラスを代講した。久しぶりにこのクラスを担当したが、生徒達の語学力がよくわかり非常によかった。
 出席者は3名。いずれも皆、約3年、泰日文化倶楽部に通って来られている。おとなしい感じの方達ばかりだが、まじめにタイ語の学習を続けておられる。実にすばらしい。テキストは4冊目に入り、難易度が増しているが、タイ語の文章もすらすらと読めて、全く問題が無い。
 3年、倦まず弛まず努力をすれば、必ずや基礎力がつく。だが、そこからまた新たなるスタートが始まる。単にタイ語を読むだけにとどまらず、タイ語で考えるという段階に入って行ってもらいたい。いずれにせよ、「こつこつ精神」は、語学の学習にとって必須である。

一言のおもてなし

 昨日、タイから来客が有ったので新宿駅まで行った。待ち合わせ場所は「新南口」。バスタの方だが、甲州街道側ではなくて、高島屋に近い改札口であった。新宿駅の改札口はたくさん有るので、人と待ち合わせをする時には注意を要する。
 その新南口の改札前の広い通路に臨時の荷物預り所が設置されていたので、カバンを1個預けることにした。食事に行くには荷物が少ないほうがいいから….。
 荷物を預けている丁度その時、留学中の息子さんがやって来た。我々3人がタイ語で話しているのを聞いていたアルバイトの若い女性が、我々が立ち去る時に、「コープクン カ」とタイ語で言った。彼女はその一言しか話せなかったが、彼女の気持ちが十分に通じてきた。これぞ「一言のおもてなし」だ。

青春を謳歌している元テレビマン

 8月3日午前9時3分、岡山行きのひかり号に乗って東京を出発。午前10時36分、浜松駅で友人夫妻の出迎えを受けた。我々は東海道線に乗り換えて弁天島へ。そこでご夫妻の友人であるO氏を待った。O氏とは私もすでに知己の間柄。だから、我々4名は久々の同窓会という感じであった。
 弁天島で大変に繁盛している料亭へ行き、刺身と鰻を食べ、それから、太平洋沿いにあるホテルで1時間ばかり温泉につかった。太平洋を見ると憂いは吹っ飛び、気持ちが大らかになった。
 ところで、O氏は元テレビマン。退職後はずっと中国に在住。日本に一時帰国した時は、いつも青春18切符で日本全国をのんびり回っておられるとのこと。青春を謳歌しているO氏の青春はまだまだ続く。