高齢者福祉を研究するタイ女性

一昨日、知り合ったタイ女性は、高齢者福祉に関する博士論文を書くそうだが、タイの現状についてはもうほとんど書き上げているとのこと。最後に、日本に於ける高齢者福祉のことを併記するため、4月から4ヶ月の期間、データの収集に来ていることがわかった。
 彼女はタイの高齢女性が一人で暮らしている写真を私に見せた。しかし、老女の周囲には若い女性がいっぱい。さすがはタイ。というか、アジアだ。それに引きかえ、日本では、他人を拒み孤独死をする老人が多い。
 老人ホームや千葉市の区役所で入手したデータは、タイでは今すぐには役に立ちそうもない。だが、タイもいずれは日本と同じ高齢者問題を抱えるに違いないから、研究者は先見性をもって、諸問題を惹起する必要がある。
 幼い時に母親を亡くした彼女(41歳)は、一人暮らしをしている父親(71歳)に、毎晩、電話をしているという。そして、父親に雑貨屋を開いてあげているそうだ。儲けるためではなくて、お金を計算することで、ボケ防止をはかっているとのこと。これぞまさしく高齢者対策だ。彼女はパワフルな実践家である。

或るタイの少年の話

昨日、通訳を依頼して来たタイ女性(41歳)は病院で9年間、ケア・マネージャーとして働いた経験が有るので、いろいろな死に接して来たそうだ。その彼女から、次なる話を聞かされた。
 8歳の少年の命が尽きようとしている。家族ももうあきらめていた。最後に何かやりたいことはないかと少年に尋ねると、窓から見えるセブンイレブンへ行ってお菓子が買いたいと答えた。そこで、最後の願いを叶えるべく、その少年をセブンイレブンへ連れて行き、思い通りお菓子を買わせた。するとその少年はそのお菓子を道端にいる物乞いの少年達に与え、病室へと戻って行った。そして、数日後、息をひきとった。
 わずか8歳でこのような行為ができるということに、私は驚きと感銘を覚えた。さすが仏教国! ものごころつく頃から、喜捨の精神は浸透している。

通訳で老人ホームへ

昨日、指輪先生からSOSのラインが入った。
 「タイから大学の先生が研究調査のために来日しておられますが、頼んでいた通訳にドタキャンされて困っています。どなたか通訳を紹介してください。明日(6月6日)の午前10時から、千葉県の老人ホームでインタビューが有ります」
 あまりにも急な話なので、誰かに頼むわけにもいかない。日頃からお世話になっている指輪先生に恩返しをする意味で、私が行くことにした。
 だが、その老人ホームの場所をネットで探してみると、アクセスが非常に悪い。千葉駅から出ているバスは1時間に1本しかない。仙台へ行くほうが早い感じ。
 近い将来、老人ホームにお世話になることを考えているが、アクセスが悪いと、都心に出かけるのも容易ではない。それに、友人も会いには来てくれない。足腰を鍛え、健康に留意して、なんとか現状維持でいきたいものだ。

和敬清寂

昨日はまるで梅雨があけたかの如き天候であった。日差しがきつく、あたかもタイにいるみたいな錯覚を覚えた。
 最近、同じマンションに住む高齢の男性がよく散歩をしておられるのを見かける。聞くところによれば、一日3回の散歩を心掛けておられるそうだ。理由は奥様を亡くされ一人暮らしになってしまったので、足腰を鍛えることが肝心と心に決められたとのこと。
 さて、本日の小題は「和敬清寂」。茶道ではあまりにも有名な評語であるが、「和敬静寂」と間違って書く人が多いそうだ。注意されなければ、私もそのように書くはず….。
 「清」という漢字は、「清める」という意味。したがって、茶道講師からは、「清める」という精神をたたきこまれている。
 夏があまりにも早くやって来たから、心も体も夏を受け入れる準備ができていない。しかし、いらいらすることは禁物。お互いに「和やかに」、そして、相手を「敬い」、「清め」の精神で、かつ、「静寂さ」を保ち、日々、無事に過ごしていこう。

唐傘・番傘・蛇の目傘

梅雨と言えば雨傘が手放せない。昨日の茶室には、香合として、ミニチュアの番傘が飾られていた。
 番傘といえば我が家(旅館業)には何本も用意してあった。遊びに出かける客達に臨時に貸し出すためである。ネットでその由来を調べてみると、傘に番号がつけられていたので、番傘と名付けられたそうだ。
 そのほかに、唐傘というのがあるが、これは539年に中国から到来した傘で、傘の開閉がからくりみたいに見えたから、最初は「からくり傘」と称され、やがて、「唐傘」となったというのもわかった。
 では、蛇の目傘とは? 番傘、唐傘と同じ作り方だが、同心円の中央部あたりに、昔は「家紋」(例:蛇の目)を入れていたそうだ。番傘、唐傘、そして、蛇の目傘を総じて和傘と呼び、洋傘(パラソル)とは区別される。
 最後に、頭の体操をしよう。「傘」を使った表現を思いつくだけ書き出してみよう。たとえば、「アメリカの傘の下」。うーん、嬉しくない表現だ。

海外バードウオッチングツアー

公益財団法人「日本野鳥の会」が送って来た『野鳥 6月号』の表紙裏に、国内と海外のバードウオッチングツアーの広告が残っている。
 ①ハルマヘラ島(インドネシア)¥375,000、 ②スラウェシ島北部 ¥488,000、 ③ジャワ島とスマトラ島 ¥480,000、④モンゴル・中央ゴビと南ゴビ ¥498,000、⑤秋の黒海沿岸 ¥352,000、⑥オーストラリア西部 ¥562,000、⑦ウガンダ ¥536,000、 ⑧ブラジル ¥698,000、⑨アルゼンチン ¥748,000。
うーん、いずれも高額だ。去年の暮れに募集された「タイ 越冬シギチの大群と日本の珍鳥」というツアーは、バンコク近郊のとっておきの探鳥地へ連れて行ってくれるものであったが、¥289,000。
 冬期はタイへ避寒したい日本人が多くなったが、日本に生息している鳥たちも、どうやらタイが好きらしい。しかし、鳥はいいなあ。自前の羽で飛んで行けるから….。飛行機代がかからなくて済む。

大福帳=大宝恵(おぼえ)

 昔の商家では「大福帳」が書かれていた。この大福帳を、「大宝恵」ともいうそうだ。その読み方は、「おぼえ」。商家は商売繁盛が第一だから、大福帳はその家の宝である。大福帳の中に「福」が入っているのはまことに目出度いが、「大宝恵(おぼえ)」にも「宝」と「恵」が入っており、商人の商魂が垣間見られる。
 皆さん、最近、単語を覚える力やいかに? おそらく、減退、あるいは、停滞を感じてはいまいか。
 では、覚える力を増強させるにはいかにすべきであろうか? それには学習時間を増やし、何度も暗誦することである。それなら家にいてもできる。なにも教室だけが勉強の場所ではない。
 たくさん覚えて、「大宝恵(おぼえ)」=大福帳の厚みを増やしていこう!

6月を実り豊かな月にしよう!

今日から6月(เดือนมิถุนายน 水無月)。元旦(วันขึ้นปีใหม่)数えると、今日は152日目に当たる。約41.3%が過ぎ去った。残すは213日。いかに有意義に過ごすか…..。
 真夏はばてて体力消耗。したがって、これからの1ヶ月半が勝負だ。時間を大切に使おう。
 先月、新潟へ行った時、新幹線の車窓から田植えが終わった水田を見た。まだ10センチ位の苗であった。だが、9月には稲刈りが始まる。植物の成長は早い。
 それに比べると、学習効果というのは実に遅速である。半年では無理。1年経っても、2年経っても、実績は怪しい。しかし、やめてしまうと嫌悪感におちいる。
 稽古事は、自分で自分を牽引する力が無いと持続しない。6月という月は、昔から稽古事を始めるにふさわしい月である。気分一新して、学習効果を狙うべく、日々、精進しよう。

美濃和紙

今日で5月も終わり。着物の世界では、袷(あわせ)から単衣(ひとえ)に衣替えだ。そこで袷の着物をたたみ、買って来ておいた「呉服たとう紙」にしまう。そのたとう紙は美濃和紙で作られており、説明書きには次のように記されていた。
 「千三百年余年前、天平時代の文化が発展したころ、中国より美濃の国に伝来し、山々に群生していた楮(こうぞ)の木を利用して、鵜飼で名高い長良川の清流で漉かれた世界一美しいと言われる美濃和紙が完成しました。美濃和紙の特徴である<流し漉き>の方法で、紙質は柔らかく、絹の様な肌ざわりから、この和紙を絹漉と呼んでいます」
 たとう紙を触ってみると手触りが実にいい。伝統が醸し出す優しさに接した感を覚えた。なかでも「本美濃和紙」というものは、世界文化遺産に選ばれているそうだが、納得。
 ひるがえって、話をタイ語に向けてみよう。我々のタイ語学習においても、タイ航空のモットーである”Smooth as silk”(シルクの如くなめらかに)を真似て、シルクのような滑らかさを目指したいものである。

タイ文字の勉強

タイ文字の判読がいつまで経っても苦手な生徒が多い。しかし、その苦手意識を払拭して、ただただタイ文字を書きまくる必要が有る。書いて書きまくれば、タイ文字の仕組みがわかり、面白さにも気づくはずだ。
 そのためには、習ったタイ語を毎日、少しでも書き写すこと。基本単語(動詞・名詞・形容詞)の中から50語を選んで、それらを何回も書いてみると、親しみがわいてくるものだ。
 私の場合は、母音だけ、子音だけを一気に教えることはしない。それよりも、単語そのものを書かせるようにしている。漢字を覚える時と同じように….。
 タイ文字に馴染めない生徒に対しては、声調の規則を一度に全部教えても、かえって混乱を招くだけである。ある程度、わかってきた時には、総合的にまとめるものの、最初から規則、規則という授業はしたくない。
 とにかく、タイ文字で学習が立ち往生している生徒は、早く、タイ語の川を渡って、反対側の岸に向かってもらいたい。タイ文字が読めるようになれば、タイ語の世界は広がるから。