映画鑑賞

昨日、久々に映画館へ行った。茶道の世界を描写した『日々是好日』が私の所属している茶道教室で話題になっているからだ。
 お茶の先生の感想=私は茶道の手前がどのようになされるか、そればかりが気になって仕方がありませんでした。映画の中のお茶は「表千家」。我々の流儀は「裏千家」。かなり違っていましたね。
 中年の生徒さんの感想=私は主人公の生き方に注目。したがって、お茶のことは二の次でした。原作者と同じ世代だから、人生のつまずきに共鳴を覚えたわ。
 一番年上の生徒さん(75歳)=画面がいちいち黒でカットされる編集の仕方が気になって仕方がなかったの。
 私=樹木希林の達観した演技がすばらしかった。彼女は茶道を一度も習ったことがない。しかし、茶道講師としての演技はもはや演技を通り越して、自分のこれまでの人生を在りのままカメラに撮らせ、映像におさまった感がする。眼光がするどかった。
 映画館を出てエレベーターに乗った時、数人が映画の中に出て来た主菓子がどこの菓匠のものかを当てっこしていた。そういう観方もあるのかな…..。

枯れと緑

 昨日、茶道教室に出席した。御軸は「時雨洗紅葉」。香合はたわわに実った稲穂。そして、生けられた花はすすきと小菊。茶碗は織部。茶杓は奈良公園の鹿の角を切る季節に因んで鹿の角製。銘は「千秋」。御棗は、気彫り(注:極細の鏨で微細に彫られている)。茶菓子は、私が金沢から買って来た生落雁。名前は「万葉の花」。いずれも、いや、もう見事なり。
 茶道講師が説明をしてくださった。「ものみな枯れゆく季節に入りました。ですから、葉先が枯れつつあるすすきを意図して使っております。枯れてゆくということは、色が無くなるということです。しかし、それでは寂しいですね。ですから、織部の茶碗で緑を演出しています」
 枯れの中に緑を取り入れるということ、そこに希望が有り、蘇生を感じさせる。これから寒さに向かう折柄、日常生活においても、そのような考えを取り入れていきたいものである。

ฆ(ระฆัง)を使った単語

辞書を引くと、ฆ(ระฆัง)を使った単語は極めて少ない。以下に列挙する単語を知っていれば十分である。
1)殺す(ฆ่า)、 殺人(ฆาตกรรม)、 殺人者(ฆาตกร)
2)鞭打つ(เฆี่ยน)
3)宣伝(โฆษณา)、 アナウンサー(โฆษก)
4)雲(เมฆ)、曇り(มีเมฆ)
5)鐘(ระฆัง)、銅鑼(ฆ้อง)
6)万仏節(มาฆบูชา)
7)在家、俗人(ฆราวาส)
 最後の単語である「在家、俗人」(ฆราวาส)は、ฆร(家)+ อาวาส(所有者)から成立するとのこと。即ち、家を所有する者=俗人というわけだ。所有すれば雑念にさいなまれる。俗人の域を脱するのは凡人には難しい。

今日の宿題

週末なのに宿題を出すのはいかがなものかと思うが、勉強に平日も週末も関係ない。一年365日が勉強だから。
 天気予報士によると、東京における9月と10月の日照時間はきわめて少ないそうだ。そういえば、「曇り時々雨」というのが多かった。異常気象とすっきりしない天候で、健康を害してはいないだろうか?
 健康というタイ語は、สุขภาพ(スッカパープ)。 สุข(スック=幸福な)+ ภาพ(パープ=状態)の単語から構成されている。
 では、ภาพという単語が使われたタイ語を10語、書き出しなさい。出題の意図としては、接尾辞(=状態を表わす)としての単語を要求するが、このภาพはそもそも「絵」という意味を有するから、「~ภาพ」でも、「ภาพ~」でもよい。
 最初は辞書を使わずに、自力で頑張ってみよう。10語を列挙するのはなかなかに難しい。すらすら書けるようであれば、タイ語の底力がついて来ていると言えよう。

鋳物師(いもじ)の町

金沢からどこにも寄らずに帰京するのはもったいないと思い、在来線(石川鉄道線)に乗って高岡市へ行った。目下、JRのコマーシャルで、吉永小百合さんが高岡市金屋町のお店からのれんを押して出て来る映像が繰り返し流されており、それがインプットされていたことは否めない。だが、この決断はとてもよかった。
 富山県高岡市は日本一の銅器(銅合金鋳物)の産地であり、4百年も綿々と続いているそうだ。鋳物師と書いて、「いもじ」と読むとのこと。
 最初に、金屋町の鐵瓶屋に入った。茶道で使う茶釜や鉄瓶がずらりと並んでいる。いずれの品々も精緻で、歴史を感じた。じっと見ていると、江戸時代の鋳物師の頭に見えてきた。暑さ寒さに関係なく、一年中、そして、己の一生を鑿とともに渾身の鐵瓶を造り上げた精神に心打たれた。

白川郷とタイ人

10月15日、金沢駅から観光バスに乗って白川郷へ行った。白山白川郷ホワイトロードを通って行ったので、現地に着いたのは11時45分。現地での観光時間は昼食も含めて、わずかに1時間半。展望台へ行くミニバスは超満員。したがって、乗るのはあきらめた。
 さてどうしようかと思っていたら、タイ語が聞こえて来た。7名くらいの若いタイ女性がコスモスの写真を撮り合っている。タイは目下、休みが取りやすい時期だ。大勢のタイ人が日本に来ているから、人気の白川郷にタイ人がいるのは納得。
 トイレにタイ語で併記されていた。女性専用トイレ ห้องน้ำเฉพาะสำหรับสุภาพสตรี
そして、駐車場にもタイ語が書かれていた。 ที่จอดรถนี้ปิดเวลา17:00 กรุณานำรถออกก่อนเวลาปิด

金沢とタイ人

東京から金沢まで新幹線でたったの2時間28分。大宮、長野、そして、富山しか停車しなかった。これでは日帰り出張も可能だ。石川県の高校生が関西をやめて、東京に進学して来る理由がよくわかった。
 金沢駅は観光客でごった返していた。人混みに酔った。駅前のホテルで3時間ほど仮眠をして、その後、夕食に出た。
 信号待ちをしていると、背後からタイ語が聞こえて来た。さっそく、話しかけた。
 「タイのどこからいらしたの? 金沢は初めて?」
 すると、娘さんがテキパキと答えた。「バンコクからよ。日本には2度来たことがありますが、金沢は初めて」
 彼女は両親を帯同していた。両親は無口であったが、我々は合掌(ไหว้)をして別れた。この間、わずかに15秒。
 信号を渡り、私は親戚と待ち合わせをしている鮨屋へ向かった。彼らも全く同じ方向へ。どうやら金沢の魚を満喫しようとしているらしかった。

金沢へ出かけます!

来日中の兄嫁(พี่สะใภ้)、姪(หลานสาว)、そして甥(หลานชาย)と一緒に、今日から2泊3日で金沢へ行く。金沢には3回行ったことがあるので、だいたいのところは観ている。楽しみは料理と和菓子。
 北陸新幹線に乗るのは初めて。東京から2時間半で行けるとは! 便利過ぎて、拍子抜けがしそうだ。昔、糸魚川近くの海岸線を車窓から眺めたのが懐かしい。
 帰京は16日(夜)。したがって、明日(พรุ่งนี้)と明後日(มะรืนนี้)のブログは休筆とする。

変な英語表記

昨日、アメリカからやって来る甥を迎えに新宿バスタへ行った。3日前にすでに到着している兄嫁と姪も一緒である。羽田からのリムジンバスが到着する3階で待っていると、姪が言った。「英語表記が変ね」
 役に立たない英語表記の実例は以下の通りである。
1)ここはバス専用降車場です。This is a bus exit for the bus.
2) ガラス戸外のエスカレーターで下りてください。Get off the there escalator.
3) ここは3Fです。Here on the third floor.
 姪の指摘を受けて私ははたと思った。日本人の英訳はあまりにも直訳すぎる、と。このような英語表記のボードを作成する場合、欧米人のチェックが絶対に必要だ。
 そしてさらに思った。日本人の我々は単に英語が併記されているくらいにしか思わず、たいして関心を持たない。だが、「おもてなしの国 日本」に着いたばかりの外国人には、意味をなさない英語表記を見て、首をかしげるばかりである。

บวชชี & ปวดฉี่

昨晩、「タイ語上級 木曜日18:30」のクラスに久々に行ってみた。このクラスは先月までは19:00スタートであったが、都合により30分切り上げて、18:30スタートに変更している。
 女性の生徒さんがタイのデザートである「กล้วยบวชชี」のことを話題にしていた。すると男性の生徒さんが、บวชชี(buat 低声+chii 平声)を、ปวดฉี่(puat低声+chii低声)と発音した。前者の意味は「尼僧になる」、そして、後者は「尿意をもよおす」という意味である。
 私はすかさず彼に向かって声調の間違いを注意してあげた。何故ならば彼はいつも声調の違いがわからないとぼやいているからだ。発音矯正はその場ですかさず徹底させるのが一番。
 そしてもう一点。บวช(buat)の「บ」と、ปวด(puat)の「ป」の違いを聞き分けることが、日本人にとっては難しいことがわかった。授業の現場は、思わぬ発見が有って面白い。