昨日の朝、タイ人夫婦を迎えに池袋のメトロポリタン・ホテルへ行った。丁度、チェック・アウトの時間帯であったため、ロビーには大勢の客がいた。聞こえてきたのは主として中国語。ソファーに座っていると、前方からも後方からも、そして、右側からも左側からも中国語が聞こえてきた。
成田発のリムジンが到着しても、タイ人夫婦はいなかった。仕方なく、次のリムジンまで待つことにして、再びソファーに座り込む。すると背後からタイ語が聞こえてきた。振り返って見ると、タイ人ファミリーであった。これからタイへ帰国するようだ。
待てども待てどもタイ人夫婦は現れない。ホテルのアーケードを見て歩く。すると、携帯が鳴った。「今、マクドナルドです。マクドナルドまで来てください」と、タイ女性は言った。私はすかさず答えた。「メトロポリタン・ホテルのロビーで待ち合わせることになっていたのだから、必ずここまで来てください。マクドナルドと言ったって、池袋にはいっぱいありますよ」
「それじゃあ、行きます。あと15分待ってください」
結局、タイ人夫婦は現れたものの、彼らは成田から東京駅までバスで来て、山手線で池袋まで来たことが分かった。ものすごい荷物を持っていたので、リムジンでホテルまで直行が一番、便利であったのに…..。
いずれにせよ、ホテルのロビーで中国語、タイ語、そして、ポルトガル語を聞いて2時間過ごし、なかなか面白いなあと思った。
インドネシア製の段ボール
もうすぐタイ人夫婦が私のところにやって来る。最後の準備で大忙しだ。ガラクタをしまっておくために、先日、大型スーパーで段ボールを5つ買ってきた。それを組み立てていると、インドネシア製であることがわかった。ガムテープを貼って出来上がった段ボールはとてもやわで、軽いものしか入れられない。衣服やバッグ等はかろうじてOK。しかし、本は絶対に入れられない。品質が悪いことこの上ないが、用途に応じて使うことにしよう。
次にランチョンマットであるが、すこし汚れていたので洗濯をしアイロンをかけた。するとインド製であることに気がついた。なかなかしっかりしていて、色合いもデザインもいい。これからはインド製品でいこうかなあ….?
目下、「エイシア・パニック」の店主が、バングラデシュに買付けに行っている。刺子製品をいっぱい買ったというラインが入ってきた。彼女、バンコク経由でバリ島にも足を伸ばす。泰日文化倶楽部のインドネシア語講座での勉強が役立って、値段交渉には全く問題がない。
彼女が仕入れて来られる製品が楽しみだ。何点か買うつもりであるから、またまたアジアの製品が私の部屋を占領しそうだ。
桜咲く
昨日、高知は桜満開になったと報じられた。桜前線は次第に本州を上がってくることであろう。
よくよく考えてみると、桜の花を待ちこがれている時のほうがいいような気がする。何故ならば、咲いてしまうと一週間で散ってしまうから、どことなく気ぜわしい。世の中もなんだか浮き足立ってくるし…….。
昨日、北海道でヒットしているというお菓子をいただいた。「スプーンでたべる桜餅 Sakura」という名前である。色合いが本物の桜と同じように上品である。日本人であることの喜びを覚える。きざんだ桜葉が混ぜ込まれてもいる。トップには桜の花(塩漬け)もあしらわれている。薄紅色の道明寺。
すべてのアイディアはすばらしいのであるが、何かが足りない。よくよく考えてみると、和菓子屋で売られている道明寺は桜の葉で包まれていて、香りを楽しみながらいただく。それに引きかえ、北海道の桜餅はプラスティックの容器に入っており、香りの点では期待できない。
日本人は何かを食する際、舌はもちろんだが、目で色合いを、そして、鼻で香りを楽しむ。一枚の桜の葉は大きな役割を果たしているのだ。
私の同時代の人々は、「サクラサク」という大学合格電報に一喜一憂した。今はインターネットで番号を確かめるだけ。
いずれにせよ、桜の花は日本人の心の奥深くに何かをもたらす。2014年の春。大いに楽しみたいものだ。
単語の選び方
タイ語の生徒達から次なる質問をよく受ける。「日・タイの辞書を引いても、いろいろな単語が出ていると、果たしてどの単語を使っていいのかわかりません。例文が有るといいのに」
それを聞いた私は、いつも次のように答えることにしている。
「たくさんの文章を読んでいると、自然に単語の使い方がわかってきます。ですから、まずはタイ語の本をたくさん読むことですね」
しかし、生徒達は納得しない。何故ならば、膨大なタイ語の文章を根気よく読み続けていくのは時間的にも体力的にも無理だからである。
ところで、昨日は、日本語から英語に翻訳してほしいという依頼を受けた。仕事ではなくて、ボランティアとしてである。久々に『新和英大辞典』(研究社 第四版 1997年 第35刷)を書棚から取り出し、法律関係の単語と格闘する。
「差押え」という単語を引くと、attachment, seizure, distraint, distress の4語が出ていた。法律の門外漢である私は、果たして、どの単語を使っていいのか困り果てた。英語で書かれた法律書に親しんでいるのであれば、お茶の子さいさいかもしれないのだが……。
結論。語学はやはりたくさんの例文に接しておく必要が有るなあと痛感。生徒達の悩みがよくわかった。
一枚のバスタオル
散歩する道に雑貨屋さんが有る。家賃がとてつもなく高いのに、女性一人で頑張っているので、私は少しでも買物をして、彼女を励ますことにしている。
先日、バスタオルを買った。寝具製品ではトップの会社のものであったので、信頼して購入した。「暮らしのメンテナンスを重視した衛生寝具。この商品には、抗菌・防臭加工が施されており、衛生的です」と書いてある。
ところで、3月27日からタイ人御夫婦が我が家に泊まりに来ることになった。2年前からバンコクに行った泰日文化倶楽部の元生徒S氏が、自動車免許の更新のために一時帰国したということで、先週の土曜日、久々に教室にいらしてくださった。その際、彼はこう話を切り出した。
「僕のタイ語の先生が27日から東京に留学して来るのですが、1週間だけ、泊まるところがありません。先生のところに泊めてもらえませんか? 御主人も一緒です」
それを聞いて、すかさずOKを出した。何故ならば、東京でホテルを探すのは思いの外、大変であることを知っているからである。3月、4月は人が移動する時なので、ホテルは満室である。仮に見つかったとしても、連泊は難しいし、それに高すぎる。日本は一部屋いくらではなくて、一人いくらで計算するから、二人で泊まるとなると倍額だ。
ということで、目下、受け入れ態勢にとりかかっている。先日買ったバスタオルを洗っておくため袋から出した。裏側の端っこに付けられたタグを見て驚いた。なんと、Made in Thailand と書いてあるではないか! 偶然とはいえ、バスタオルはタイ人のお客さんを待っていたのである。
ボン先生ご一家の東京観光
目下、ボン先生のご家族が東京に遊びにみえています。浅草へ行った時の話が面白かったので、かいつまんで書いてみますね。
ボン先生、御主人、お母さん、お兄さん、そして、妹さんの5人は、浅草を着物を着て歩いたそうです。着付代金は、着物の借り賃と、ヘア・セットの両方で、一人¥2,500。おお、安い!
5人が楽しそうに歩いていると、変なおじさんがお母さんに声をかけました。
「おねえさん、きれいだね。どこから来たの?」
ボン先生が答えました。「タイからです」
「タイか。タイへ行きたいな。タイへ行って、タイの女をおれの女にしたいなあ」
それをそのままボン先生がお母さんに訳すと、お母さんはむっとして、変なおじさんから去りました。そして、そのあと、ボン先生に言いました。「この話、お父さんには絶対にしちゃだめよ」
失礼な話をするおじさんが、浅草にいるとは! 世界各国から来た女性に向かって、そのように言っているのかしら?それで、一日が面白おかしく過ぎるなんて、なんと安易な人生であることか。
しかしながら、ボン先生や妹さんには目もくれず、お母さんに声をかけたということは、お母さんがとても素敵な女性であったということです。どうか自信を持ってタイにお帰りくださいませ。
イタリアへ留学するN子さん
イタリアへ留学するN子さんからメールが届いた。とても嬉しい文面であったので、引用させていただく。
「3月も下旬になり、だいぶ暖かくなってきましたね。いよいよ明日イタリアへ出国となりました。今日はそのご報告でご連絡差し上げました。今期、タイ語の授業では私はあまり優秀な生徒とは言えませんでした。それでも先生の授業ではタイ語の面白さや学びやすさ、またタイの人々の愛らしさを教えて頂き、毎回タイに魅了されていました。
タイ語の授業のあった月曜火曜の食卓ではその日習った内容を家族に話し、先生みたいな面白くて可愛いおばちゃんになりたい!といつも言っていた覚えがあります(笑)」
“面白くて可愛いおばちゃん”? あれあれ、彼女は私をそのように見ていたとは!
N子さんはタイへ行くべきか、それとも、イタリアへ行くべきか、ものすごく悩んでいた。タイに数ヶ月、滞在した経験があるので、彼女はタイのニックネームを持っていた。タイ語も上手であった。だが、イタリア好きは高校生からであったので、最後の最後でイタリアを選んだ。
私は返信した。「イタリアに遊びに行きますからね」、と。
バンコク散策〈終)
3月1日、午前11時半、太陽君の家を出発。空港まではわずか15分。土曜日だったので、タイ航空660X便羽田行きは空いていた。
さて、今回の旅を総括しよう。何の用事もない旅であったので、一日中、ホテルで寝ていてもよかったのだが、私の性格上、歩きまわるのが好きなので、「街の空気や、いかに?」とばかりに、またまたいろいろなことを見聞きした。
バンコクは行くたびにおしゃれになっている。しかし、それがなんだか変だ。違和感を覚える。ゲートウェイの横にある昔ながらの美容院の店主がこう言い放った。
「ゲートウェイなんか、地震でも何でもいいから潰れりゃいいのよ」
時代の流れについて行けない人達が必ずいる。賄賂でぬくぬくとしている役人。今回の反政府派の街頭におけるアジ演説では、何故か英語の「コラプション corruption 」という言葉がよく聞こえた。それだけ腐敗しきっているのであろう。
反政府派の動きを経済的に支持する人達。彼らは国政の改革を求めて果敢に闘っている。彼らの動きを譬えて言うならば、棒高跳びだ。しかし、バーが高すぎて、そこを飛び越すことが出来ない。政治や経済の汚職で塗り固められたバー。中産階級や知的人々の熱き要望でもってしても飛び越えることができない「バー」。
かつて、「自由タイ」というグループがいて、タイを戦勝国に導いたことがあるが、その時の青年達には気概が有った。今、タイは生まれ変わろうとしている。新しい時代を造るべく、民主の声をまとめ、それを実行に移すことができる強く、清きリーダーの登場が不可欠だ。
バンコク散策(19)
2月28日(第5日目)。マーブンクローンの中にある金の販売店の前を素通りしたが、ここも客が入っていなかった。従業員達が退屈そうにしている。
クーポン食堂で100バーツのクーポンを買う。パッタイとココナッツアイスクリームを食べた。座ったところがフレッシュ・ジュースのブース前であったので、リンゴ・ジュースが飲みたくなった。しかし、60バーツ。100バーツのクーポンでは不足であったので、40バーツ、クーポンを追加する。以前であれば、100バーツ以内におさまったのに。
バンコク散策もこの日でおしまい。翌日はスワンナプーム空港に行き、東京に帰るだけだ。5日間、歩き続けると、どうやら顔が日焼けしたような気がした。そこで、精神を落ち着けるためにエステへ行った。店先の看板を見ると、「月曜日から木曜日は20%割引」と書いてあった。だが、この日は金曜日だ。店の受付嬢と交渉する。「この店、来たことがあります。だから、金曜日も20%割引にしてちょうだい」
すると、「客がいないから、特別に認めます」という回答。かくして、リラックス・ムードのBGMが流れる中、顔の火照りをしずめ、肩の力を抜いた。
午後8時、太陽君のお母さんがスタバにやって来た。スタバの前におしゃれな自然食品店があったので、そこで赤米の混ぜご飯を食べる。
太陽君のお母さんの車にはテレビがついていた。駐車している時は映像が画面に映る。しかし、いったん走り出すと運転が危険だということで、音声だけが流れる。ニュースを聞いていると、反政府派による道路封鎖中止が発表された。「3月2日をもって道路封鎖をやめます。皆さん、今後はルンピニ公園に終結してください」
バンコク散策(17)
エラワン・ホテルのロビーに行ってみたが、そこにも客はいなかった。空港で見かけた欧米人達はおそらくバンコクを避けて、パタヤやプーケットへ行ったのであろう。
ラーチャプラソン交差点からマーブンクローン・センターがあるパトゥムワン交差点まで歩く。いずれも反対派が占拠しているところであるが、デモはやや下火になっていた。だが、ステージの辺りから反政府リーダーのアジ演説が聞こえてきた。本物みたさにステージのほうへ行ったが、彼はいなかった。どうやら陣取っている交差点のステージすべてに彼の映像が送り込まれていたようだ。
聞くところによると、デモ参加者に提供される弁当の金額が一日で百万円。しかし、寄付する人が大勢いて、資金面で枯渇することはない。ステープ氏が歩いていると、路地からおばあさんが出て来て、ステープ氏の手にお金を託したが、なんとその金額が、100万バーツ(日本円で約320万円相当)であったとか!
パトゥムワン交差点にあるシルクの店に寄ってみた。店はオープンしてからもうかれこれ30年近くになる。老婦人の姿は無かった。若い人が跡を継いでいた。カフェも併設されて、今風だ。
本来の高級服よりも、反政府派を支持するためのTシャツが目にとまった。いずれも皆、手書きで書かれた一点物ばかり。「Shutdown Bangkok」という文言のTシャツを買った。農民を支援するTシャツも買った。「農民の力が結集して稲穂となる。なのに農民は苦しみと困窮ばかりだ」と書かれてあった。