泰日文化倶楽部は取り立てて宣伝に力を入れているわけではないので、新しい生徒がわーっと申し込んで来ることはない。4月に入って、ぽつりぽつりと問合せがあるだけだ。その対応に応じるのは私の仕事だが、電話だけではあまりよく分からない。見学(1コマだけ無料)をお勧めすると、本当に見学に来られる方は70%程度だ。あとの30%の方達は、何故、来ないかというと、タイ語を勉強する曜日と時間がうまく合わないからだ。
グループ・レッスンの曜日と時間が合わないということであれば、個人レッスンを選択するしかない。1時間半の授業で¥5,400(消費税込み)。高いと思われるかもしれないが、マッサージだと1時間¥6,000が相場だから、タイ語の授業を受講するほうが安いのではなかろうか。
語学の勉強に限って言えば、お金をかけたからといって、急に上手になるわけでもない。グループ・レッスンで根気よく勉強し、学習意欲の持続をはかるかが肝心である。
中級まで進むと、生徒達の心構えも定着し、よほどのことが無い限り、もはややめることはしない。やめてしまえば、これまでの努力が水泡に帰してしまう。つぎこんだお金と時間は戻ってこない。
10年や20年、あっというまに過ぎてしまうものだ。20年を3回繰り返せば、60年となり還暦を迎える。だが成人するまでの20年間は、自分の人生があまりよく分からないものだから、意識的に生きていると明言できるのはそれから後の60年であり、長くて80歳までだ。
ああ、人生はなんと短かいことよ。ぼやぼやとはしていられない。
上智大学グローバル学部
昨日から上智大学でのタイ語の授業が始まった。今年、新しい学部であるグローバル学部が新設され、私はそちらの傘下にある言語教育研究センターに所属することになった。
初心者対象の「タイ語初級クラス」には、約35名の学生が出席したが、皆さん、タイのことを知りたいという気持ちが強く、これから始まる1年間が愉しい授業になるであろう感触を得た。
そして、昨夕はグローバル学部に所属する専任教授・非常勤講師・職員達が初めて会合する懇親会が行われ、新学部の船出を祝った。
その際、フィリピノ語もアラビア語も受講者がものすごく多いと聞いて、タイ語も負けてはいられないと思った。初めて開設されたのはスワヒリ語。果たして何人の学生が受講するのか興味深い。
タイ語受講生の中には、今年も帰国子女が入っていた。彼らに対する授業は、初めてタイ語を勉強する学生に対する授業とは少し変化をつけて指導しなければならない。何故ならば、すでにタイの空気だけはよく知っており、タイ語も少しは話せるからである。
電車の中で会ったタイ女性
一昨日、アジア・アフリカ語学院へ行くために、新宿から中央線に乗った。たまたま席が空いていたので、これ幸いと思い座った。ところが左隣りに座っている女性が化粧を始めた。新宿から荻窪までの12分間、マスカラでまつ毛を塗る動作がうっとうしくてたまらない。降車駅である吉祥寺までもう少しだから我慢しようと思った矢先、隣りの女性が私に話しかけてきた。「八王子はまだですか?」
その口調を聞いて、日本人ではないことがすぐにわかったので、「どちらのお国の方ですか?」と尋ねると、「タイです」と、彼女は答えた。
それを聞くや否や、「サワッディー・カ」と私はすかさず言った。そして、先ほどの不愉快さは忘れ、吉祥寺に着くまでの5分間、タイ語でしゃべった。
「八王子にあるタイのお寺に行きます。明日13日がソンクラーンだから、お参りに行くのよ」
なるほど、それはいいことだと思った。20年、東京に住んでいるそうだ。名刺をくれた。姓が日本人の名前であった。名前の後ろの括弧にタイの愛称を書いていた。その愛称は、泰日文化倶楽部の先生と同じものであったので、思わず苦笑した。
10年前の生徒 & 20年前の生徒
1週間前に、「私、10年前の生徒のMOです。先生、覚えてくださってますか? 来週からバンコクで働くことにしました。不安が半分、ワクワク感が半分ですが、乗り出した船ですから、バンコクで頑張ってみます! 亡き母と先生をだぶらせて、メールを送りました」という内容であった。
私はすぐに返信し、「意気軒昂たる精神で、頑張ってください」と書いた。
彼女は、「泰日文化倶楽部での2年間がとても楽しかったです」という言葉で結んでいた。今頃は、タイの大らかな空気に包まれて、楽しく仕事を始めておられることであろう。
ところで、昨日は、20年前の生徒の来訪があった。「もう60歳です。そろそろ定年後のことを考えて、またタイ語を始めたいと思っております」と、彼は言った。
若いと思っていた彼もすでに還暦! 一緒に勉強していたクラスメートはすでに83歳に達しておられる。
お世辞かもしれないが、「先生、20年前と少しも変わりませんね」と、彼は言ってくれた。
私はすかさず言った。「是非、来週から勉強にいらしてください!」
アジア・アフリカ語学院の新校舎
昨日、三鷹市新川にあるアジア・アフリカ語学院へタイ語を教えに行った。「アジア・アフリカ諸語祭」が有ったからである。校舎が新設されてから初めて行ったので、建物がどんなものであるか、とても楽しみであった。
1階と2階の一部が三鷹市の南部図書館になっており、2階と3階がアジア・アフリカ語学院であった。教室の中はすべてが新しく、とても気持ちよく授業が出来た。
ところで、私のもう一つの期待は、この新校舎完成にあわせて鋳造された菊地三郎先生(創立者)の胸像を拝顔することであった。先生のお顔は在りし日のお顔そのものであり、実におだやかであった。この世に紳士はたくさんおられるかもしれないが、私の眼から見た男性の中で紳士と言えるのは、菊地三郎先生お一人である。
先生はアジアやアフリカの諸言語を日本人に学んでもらいたいと強く思われて、1961年、アジア・アフリカ語学院を創設された。私は1976年からここでタイ語を教える機会を持ったが、菊地先生のアジア・アフリカ諸語を広めるという熱意は私の体の中に埋め込まれた。「言語を学ぶことは、武器よりも力を発揮する。平和を築くために言語を学ぼう」という先生の精神。とても崇高である。
カラスのいたずら
昨日、ベランダを掃除した後、箒をそのままベランダに置きっぱなしにしていた。今朝、気がついたのだが、カラスがやって来て、私がいない間にどうやら箒を食い散らかしたようである。
以前にもそういうことが有ったので、ああ、またかと思う程度で、カラスに恨みを持たなかった。むしろ、カラスの遊び道具としてお役に立ったと思うことに考えを切り替えた。空ばかり飛んでいると、各家のベランダがよく見える。何か面白そうなものがあれば遊び道具にする知恵をカラスから学んだ。
ところで、昨夜の「タイ語中級 木曜日19:00」のクラスで、魔法瓶やポットの単語が出てきた。魔法瓶はกระติกน้ำ、電気ポットはกาน้ำไฟ。ヤカン(กา)という単語は、カラス(กา)と同音異義語である。
ついでに、カラスが登場する単語としては、「カラスの足マーク กากบาท」は、○xのx印、そして、「赤十字 กาชาด」という単語にも出てくる。そうそう、「目尻の小じわ ตีนกา」も有りました!
女性の皆さん、目の周辺のマッサージをお忘れなきように…..。
アジア模様の洋服
東京は桜が終わり、サツキの花が咲き始めた。ハナミズキも美しい。昨日は、ハナズオウという花を見つけた。花爛漫なり!
2日前の木曜日は天気予報で24度位になると聞いたものだから、アジサイ色の洋服を着て出かけた。だが、夜10時過ぎに泰日文化倶楽部の教室を出ると、夜の街は寒かった。
幸いにも馬喰町の問屋街で買った洋服を持っていたので、すかさずはおった。その洋服にはタージマハールを模した小柄模様が連続してプリントされている。5月~6月に着るのが一番適切な服なので、これを一枚はおったところで寒さが解消できるわけではないが、暑い国インドに関連した模様だから、気分だけでも持ちこたえられた。
私の場合、タイで買った象の模様の服が多い。だが、気分を変えてもう少し西に飛んだインドも決して悪くない。アジア諸国の代表的な模様がプリントされた服。早く気候が安定し、いろいろな色、いろいろな模様を楽しみたいものだ。
久々のフランス語
受講生の仕事の都合でフランス語の授業が3週間、ストップしていたが、昨日から再スタートした。
フランス語講師はプリントを用意して来られ、これまで教えた簡単な表現をフランス語で書くようにと指示した。
ところが、これがなかなか書けない。何故、書けないのかと反省してみると、3週間の空白期間にフランス語がすっ飛んでしまい、感覚が戻って来ていないまま、授業に臨んだということが分かった。
語学はやはり書いて書きまくらないと、スペリングが怪しくなって、講師をがっかりさせることになる。
「先生、フランス語で<恥ずかしいです>というのは何と言いますか?」と言って、教えていただいた。
フランス語はアルファベットだから何とかなると思ったが、何とかならない歯がゆさ。語学は何語であれ、指でスペル・アウトし、指で正しい綴りを覚える必要があると思う。
愛称の名付け親
4月1日から開講した「タイ語入門 水曜日19:00」のクラスは、昨夜、第2回目の授業が実施された。
受講生の一人であるA子さんが6時半頃から教室に現れたので、「30分ばかり、自習していてくださいね」と、私は言った。
すると、彼女は「先生、私にタイのニックネームをつけてください!」と懇願してきた。「名付け親? 責任を感じますね」と、答える私。
しかし、彼女の願いは本物であった。私も真面目に考えてあげることにした。
数分後、「ฟ้า ファー 空」という単語が浮かんだ。そうだ、これに決めよう。
理由は、私の愛称がドーク・ファー(天上の花→高嶺の花)なので、娘のようなA子さんに、私の愛称の半分を上げることにしたわけである。
底抜けに明るいA子さん。自由を愛するA子さん。そういう彼女には青い空、広い天空が似合う。
6月末にはタイへ行ってしまわれる彼女。タイの広々とした空のもと、活き活きと生きて行ってもらいたい!
日本語を教えるのも、また愉しかりけり
私は1974年に、国際交流基金主催の日本語教師養成講座に1年間通い、日本語教師の資格を取った。だが、タイ語教師の道を選んだので、この資格は一度も有効活用をしたことがない。
ところが、泰日文化倶楽部のボン先生から、「主人に日本語を教えてくださいませんか?」という依頼が有ったので、3月から日本語を教え始めた。
御主人はすでに1年半、自宅に家庭教師を招いて日本語を学んだ経緯があるので、私としては初心者扱いをせず、実用的な表現を教えるように心がけている。
教えながら感じたことは、東京ですでに3年も生活しておられるから、日本語の音はたくさん耳に入っている。しかし、会社では英語で仕事をしているため、日本語を話す必要が無い。したがって、聞くのは少しわかっても、自ら話す自信は無いということだ。
私はたくさんしゃべってもらうために、たくさん話しかける。まずはしゃべりたいという意欲を彼から引き出してあげることが肝心だと思っている。
昨日の授業で傑作なことが有った。「その人は大田区に住んでいます」と私が言うと、彼は勘違いして聞いてしまった。「その人はオタク」、と。どうやらオタクという単語は彼の耳によく入っていたようだ。
いずれにせよ、本当に分からない点に対しては、私がタイ語で説明してあげることができるので、家庭教師から習っていた時よりも、日本語に対するもやもや感が無くなって、ものすごくよく理解できるようになったようである。