上智大学初代学長の胸像

 今週から上智大学の秋期授業が始まった。なつかしい顔と再会し、無事にスタートすることができたので、ほっとしている。
 大学の正門を入ると左側に胸像がある。上智大学初代学長の胸像だ。いつもお花が絶えない。この胸像だが、世の中によく見られる胸像とはどことなく違う。よく見ると、ほんの少しだけ首を傾けている。決して威張っていない。瞑想にふけっているわけでもない。そこで、私は思った。初代学長は学生達に次のように問いかけているのではないか、と。
 1)みんな、学問していますか?
 2)大学生活、楽しいですか?
 3)青春の悩み、かかえていませんか?
 4)将来、何をやりたいのか、よく考えてますか?
 学生達は皆、それぞれに頑張っている、と、私は思う。就職先が内定したことを教えてくれたS子さん。とても賢明なる選択であった。来年から留学を決めたN子さんも、未来に向かって生き生きしている。
上智大学は今年で創立100周年を迎えた。新たなる始まりを感じる。

泰日文化倶楽部 祝25周年!

 1988年(昭和63年)10月から創立された泰日文化倶楽部は、タイを愛する皆様のおかげで無事に満25周年を迎えることができました。四半世紀という時間は感無量です。
 これまでタイ語を勉強したいという熱心な方達がたくさん集まり、思い思いに巣立って行かれました。そして、新たなる生徒達が代わる代わる入会され、延々と教室が持続できておりますことは、仏陀に感謝です。
 昨晩も、見学者が有りました。彼女は9年前の生徒でした。「吉川先生、お変わりないですね。いや、9年前よりも若返ったみたい」と、言ってくださいました。そのようなことは有り得ません。でも、嬉しかったです。新たなる1年に踏み出す意欲がかきたてられました。
 3ヶ月、半年、9ヶ月、を大切にしていますと、あっというまに1年が経ち、それが、5年、10年、15年、20年、そして、25年になっただけです。これからも、タイ語を勉強したい方達のために、授業料が安くて、駅から近くて、楽しいタイ語教室を展開してまいります。タイ語の学力を少しでも向上させたいと思われる方は、是非とも泰日文化倶楽部で学んでください!

戻り鰹

 昨日、行きつけの割烹へ行くと、メニューに「気仙沼の戻り鰹」が有ったので、さっそく注文した。脂がのって、とてもきれいな色をしていた。
 毎年、5月上旬には、「初鰹」、そして、初秋には「戻り鰹」を食べることにしているので、これで今年に於ける食の行事のひとつが完結し、気がすんだ。
 「初鰹」は黒潮に向かって北へと向かう。そして、「戻り鰹」は、大いに成長して、今度は反対に南へ戻って行く。おおよそ半年間の旅である。半年で鰹は見事な成長を遂げた。
 我々日本人も4月を入学や初出勤をする月と定め、それにのっとって社会活動をしている。今日は9月30日。4月から数えれば半年が経過したことになる。
 タイ語の勉強の成果やいかに? いや、そんなこと、深刻に考える必要は全く無い。成果など、そんなに見えるものではないのである。自分が自分の実績を評価し、新たなる半年に挑戦すればいい。

タイ・シルクの手提げ

 私は昔からタイ・シルクが大好きなので、たくさん洋服を作った。生地もいっぱい持っている。だが、光沢が有りすぎるので、日本で来ていると目立ち過ぎて困る。したがって、最近はあまり着なくなった。
 先日、生徒のY子さんがジムトンプソンの生地を使って創作したオリジナル手提げを持って、教室にいらした。とてもすばらしい作品であった。彼女の腕前に感動した私は、20年ほどタンスの底に眠っていたタイ・シルクを思い出し、手提げの裏地として使ってもらおうと思い、彼女にプレゼントした。
 すると、彼女はその生地とジムトンプソンの生地を使って、翌週、新しい手提げを私のために作って来てくださった。20年間、眠っていた生地が生き返った! 
 最近、着物をほどいて、洋服に仕立て直し、この世に一つしかない洋服を楽しんで着こなしている女性達を見かける。私もそのようにしたいと思っているが、まだまだ先のこと…..。
 いずれにせよ、眠っているものに新しい息を吹きかけることはいいことだ。今、伊勢神宮の式年遷宮が行われているが、20年単位の見直しは、人生にとっても非常に貴重なことである。

大きな声、よく通る声

 昨晩、個人レッスンが入っていたので、706号教室で授業をした。木曜日の生徒さんが私に見せたいものがあるということで、彼は707号教室へ行ったが、「タイ語初級 金曜日19:00」のクラスを教えている新しいタイ人講師に、「吉川先生はさっきまではいましたが、今はいません。きっと、806号教室でしょう。上の階へ行ってみてください」と、言われたそうだ。
 そこで、彼は806号教室へ行ってみたが、私がいないので、「タイ語上級 金曜日19:00」のクラスをしばらく見学してみることにしたとのこと。
 ところが、どこからか、私の声が聞こえるので、近くにいることは間違いないと、彼は確信した。「チャイ マイ?」、「チャイ マイ?」、と、繰り返す私の声。その声を頼りに、ついに彼は、806号教室の真下にある706号教室へとやって来られた。
 この話を707号教室で勉強している生徒に話すと、女性の生徒が言った。「私も706号教室の前を通った時、吉川先生の声が聞こえました」
 私は授業をする時、腹に力を込め、精一杯の声を出すようにしている。次なる授業展開を考えている時も、常に複式呼吸で、「さあ、力強く発声するんだよ」と、自分に発破をかけている。高齢化と共に、声が細ることを恐れているが、毎日、授業をしていれば、まだまだ大きな声、よく通る声を持続させることはできそうだ。 

糠に釘 豆腐に鎹

 昨日、泰日文化倶楽部の最高齢の生徒さんであるS氏(81歳)がタイ語の作文を書いて来られた。「豆腐に釘を打つ」という文章を読み上げたが、タイ人講師にはそれが何のことだか、さっぱりわからない。S氏は補足した。「日本のことわざで、糠に釘、豆腐に鎹(かすがい)というのが有りますが、タイ人には糠の意味が分からないと思って、豆腐に釘と言い換えてみました」
 しかし、タイ人講師はますます分からないという顔をしている。そこで、私が助け舟を出して、そのことわざの意味を説明すると、しばらく考えてから、彼女は言った。「ああ、タイにも同じような格言が有ります。川にナム・プリックを溶かす ละลายน้ำพริกในแม่น้ำ と言います」、と。
 格言は直訳しても、タイ人には通じない。その意味するところをよく汲み取って、タイの文化、生活に密着した単語や表現を使って、比喩(直喩 または 暗喩)に徹しなければならない。

見学者との対話

 このところ、毎日、見学者が有る。「いつでも、お気軽に教室にいらしてください」と言っているので、ふらりと来られるわけだ。授業が行われていない時間帯にいらっしゃる方には、何故、タイ語を勉強したいのかと、ついつい訊いてみたくなる。
昨日、見えた方は、次のように話された。「これまで、バンコクは経由地でした。ですから、あまり、知りません。ですが、バンコク、好きです。タイ語を勉強して、これから旅行に行きたいです。特に、冬はタイへ逃げたいですね」
 そういえば、5年ほどタイ語を勉強しておられるミセスGも、トルコやインドに住んでおられた元駐在員夫人だ。彼女の話では、「インド駐在時代には、買い出しといえばバンコクの伊勢丹。バンコクの駐在員夫人よりも伊勢丹のことなら詳しいわよ」と、おっしゃっておられる。
 バンコクもチェンマイも、日本女性にとっては天国だ。マッサージやエステ、それに、ゴルフとショッピング。タイ語を使って買物をするのも、これまた楽しかりけり。タイ語の勉強は簡単ではないが、楽しく学べる言語だから、女性達よ、さあ、10月からタイ語を始めよう!

10年前の生徒からの電話

 昨日、ある女性から電話が有った。「10年前に泰日文化倶楽部で勉強していたことがあります。また、タイ語を勉強したくなりました。きちんと習いたく思っております」
 お名前を尋ねると、確かにそのような名前の女性がいらしたことを思い出した。私はすぐに快諾し、是非とも見学に来ることをお勧めした。10年ぶりにお会いすることができるかと思うと、今から楽しみである。
 今朝、10年前に他校で習っていたという男性からメールが入った。この方もタイ語を習いなおしたいらしい。早速、早めの見学を勧めておいた。
 タイ語を習った方はものすごく多い。しかし、何らかの理由で辞めて行かれた。やがて10年が経過し、タイ語を習う気力と環境が充実してきたので、また勉強を再開したい。それでいいのだ。大いに歓迎する。

ミルフィーユ凝り

 2週続きの3連休が終わった。朝晩、かなり冷え込んできた。今朝の東京は19度。猛暑から解放されて嬉しいが、衣替えの準備をしなければならないので忙しくなる。
 今朝、NHKのニュースで、「ミルフィーユ凝り」を取り上げていた。いつのまにか肩が凝って、なかなかすっきりしない状態を言うらしい。フランス菓子の「ミルフィーユ」から採った命名だそうだが、言い得て妙だ。
 「ミル(千)+フィーユ(葉)」。実際のお菓子が千枚の層になっているわけではなくて、この場合は、「ミル(千)」という意味合いが「たくさん」と拡大解釈されているとのこと。
 そういえば、タイ語の「セェーン แสน」も、本来の意味は「十万」だが、「多数」というように比喩的に使われている。
 これから冷え込んでくると、筋肉が固くなる。だが、うまくほぐして爽快さを取り戻し、タイ語の勉強に励もうではないか。年末までに新しい単語を1千語、増やそう!

割烹で働くネパール女性

 シンガポール在住のY子さんが久々に東京に遊びにみえたので、日本料理を味わっていただこうと思い、近所の割烹にご案内した。その割烹にはずっと長くネパールの女性が働いている。私は彼女と「ナマステ!」というだけの間柄であるが、Y子さんがシンガポールから来たことを言うと、急に英語をしゃべり始めた。彼女の英語はとてもきれいな発音であった。
 私が「ご主人は日本人ですか?」と尋ねると、「ネパール人です。東京駅の近くのインド・ネパール料理店で働いております。子供が2人います。15歳の娘と13歳の息子です。カトマンズーにある学校の寄宿舎に入れております」と、彼女はたくさん喋った。
 「それじゃあ、将来が楽しみですね」と言うと、彼女の目が輝いた。
 夫婦二人で一生懸命、働いている。子供たちはしっかり勉強している。私はまたしても付け加えた。
 「いずれ、ネパールに帰られることでしょうが、もしかして、日本料理店を開くんじゃないの?」
 彼女は、「いいえ」と、謙虚に答えた。