羅という織物

 東京国立博物館の平成館に於いては、「クリーブランド展」と併せて、「人間国宝展」も開催されている。会場内に入ると、人間国宝の創造的意匠はもちろんのこと、緻密さと緊迫感と情熱が感じ取られ、至極の芸術作品からは神々しさが放たれていた。 
 数々の作品の中から、「羅 ら、うすもの」という織物に心打たれた。何故ならば、「羅」という漢字は、森羅万象、とか、曼荼羅、そして、沙羅双樹という中で使われているので、非常に神秘的だからだ。さらには羅針盤という単語にも登場し、なんだか未知なる世界に導いてくれるような感じもして興味深い。
 展示されている「羅」は柿色であったが、一見、透明なビニール、あるいは、ナイロンや化繊にしか見えなかった。しかし、目を近づけてよく見ると、1ミリくらいの菱形模様が生地全体に織り込まれており、それはそれは見事であった。
 ネットで調べると、「羅」の織り方は4世紀に中国から伝来したとのこと。元々は、鳥を捕まえるための網のことを「羅」と言ったので、生地は網の目のようになっており、それが連続紋となって延々と織り込まれているそうだ。「羅」という意味は、実に深い。

琴棋書画図

 一昨日、東京国立博物館の平成館特別展示室で開催されている「クリーブランド美術館展」を観に行った。アメリカへ行った時、オハイオ州にあるクリーブランド美術館の前まで行ったが、丁度、修理中で閉館していたので、今回はどうしても観ておきたくなって出かけた。戦後処理としてやって来たGHQ所員の中に東洋美術担当者がいて、その彼の目利きによって蒐集された日本や中国の美術品がクリーブランド美術館にたくさん収蔵されていることを初めて知った。
 たくさんの展示品の中から、17世紀の江戸時代に描かれた「琴棋書画図」という作品に興味を覚えた。理由は、その絵が、「人間というものは、音楽、囲碁、書物、そして、絵画に親しむべし」、と喚起しているように思えてならなかったからである。
 私の場合はそのいずれにも縁が無い。楽器はからきし駄目。囲碁や将棋が面白いと言われても、一度もやったことが無い。読書といっても、まだまだ不十分。小さい時は絵画教室にも通ったりしたものだが....。
 外国語が好きなので、それで生活できてはいるものの、はてさて、外国語は上記4種の中のどの部類に入るのであろうか。「書」の部類に入れるのには無理がある。新たに「語」のジャンルを追加して、21世紀に描かれる絵には、辞書を片手に、口をパクパク開けて、外国人と語り合っているモチーフの絵画が後世に残されることを希望する。

韓国人ファミリーと8分間の会話

 昨日の朝、新宿駅で総武線上りホームに立っていると、大学生が3人連れの家族と英語で話していた。どことなくタイ人に見えたが、「ハナ、トゥル…」と言いながら駅の数を数え始めたので、韓国人であることが判明。大学生の説明はなかなからちがあかない。そこで、「どこへ行かれたいのですか?」と私は韓国語で訊いた。秋葉原だと言うので、四ッ谷までなら一緒に行けると思った私は、一緒に総武線に乗ってもらい、何駅目で降りればいいかを教えてあげた。
 Q.「休暇でいらしたのですか?」 A.「オフィシャルです」
 Q.「それじゃあ、公務員ですか?」 A.「どうして知ってるの? 地方公務員ですが」
 Q.「ソウル在住ですか?」 A.「いいえ、京畿道です」
 Q.「息子さん、東京ディズニーランドへ行かれましたか?」 A.「いいえ、まだです。今日は息子がコンダムを買うので秋葉原へ行きます」
 私は、ああ、ガンダムのことだと、すぐに思った。 父親は、韓国の映画スターを列挙しながら、好きかと訊いてきた。そうかと思うと、歌手のチョー・ヨンピルの名前を挙げた。
電車が四ツ谷に着いたので、私は降りた。「秋葉原はあと5つ目ですよ」と教えてあげた。たどたどしい韓国語とはいえ、喋ることに意義有り、と、自分を褒めた。

ラオスのシルク

 昨日、御成門にある日本アセアン・センターへ行った。「エージア・パニック」の店主から、「ラオス製品の展示会が有るので、一緒に行きましょう」と、誘われたからである。彼女の場合は、いいものが見つかれば、その場で仕入れをしたいという意気込みに満ち溢れていた。
 私はといえば、タイが好きな度合いを100とすると、ラオスに対する興味は5くらいしか無い。もうすでにタイ・シルクのスカーフを持ち過ぎているので、ただ見るだけにして、絶対に買わないつもりで展示場を見て回った。
 だが、その場に1時間半もいて、ラオスの人達からにっこり微笑まれると、だんだんラオスの雰囲気に惹き込まれていき、そのうちにラオス・シルクが私にささやき始めた。「ほら、わたし、素敵でしょ」、と。
結局、3枚のシルク・スカーフと、1枚の藍染スカーフを買うことになった。ラオス製品の色合いは確かにとても上品で魅力的だ。
 「エージア・パニック」の店主の話によると、ラオスでトップの店だそうである。したがって、絶対に値引きはしないということであったが、タイ語でガンガン頑張り、ついに値下げにこじつけた。ラオス人と私のタイ語の綱引き。それが一番、面白かった。

羽幌へ

 来月、札幌の雪まつりに合わせて教え子達の同期会が有るので、今から楽しみにしている。北海道には留萌近くの羽幌というところで働いている教え子もいる。彼の結婚式(15年前)以来、一度も会っていないので、羽幌まで足を延ばし、単身赴任中の彼を激励することにした。
 「先生、羽幌には電車が通っていません」と彼が言ったので、高速バスを予約した。札幌のバス・センターの予約係のおじさんの話し方がとてもおだやかで、温かみを感じさせる口調だったので、零下10~25度の北海道を体験するのが今からとても楽しみになった。
 ネットで羽幌線を調べてみると、1927年に一部開通し、1987年に国鉄最後の廃止路線であると書かれてあった。北海道JRの問題がたくさんニュースになって報じられているだけに、これまでの様々なる経緯が気になってきた。
 今回は時間の関係で羽幌には1泊しかしないが、春や夏も、そして、秋にも北海道へ行き、教え子達を激励しながら、北海道の自然を満喫したいと願っている。

密会

 昨日、韓国語クラスに参加した。授業は17時から19時までの2時間だが、私は最後の30分、いつも教室を抜け出している。理由は19時から始まるタイ語クラスのための教室準備をしたり、早く来ている生徒達からいろいろな要望を聞くためである。
 再び、韓国語クラスに戻ったところ、韓国語講師から、「密会していたのですか?」と訊かれた。「密会」は、ミルへ。ただし、実際の音は、ミレに聞こえる。
 そう言われて、ドキリとした。だが、私はすぐに応じた。「はい、おじさん達二人と」。きつい冗談には、阿保な答えで切り返すに限る。
 以前、教えて下さった韓国人女性講師から、「先生の家にはいつ招待してくれますか?」と訊かれたので、「ああ、いつか…..」と、日本人的に答えた。すると、会うたびに同じ質問が飛んでくるようになった。なかなか招待しなかったので、彼女はついに私に言った。「背信者 ペシンジャ」。そこで、私はあわてて彼女を自宅に招待する日を持った次第である。
 韓国人を少しでも理解できればと思って、韓国語クラスの末席に座っている。韓国人のきつい冗談に慣れるのにはまだまだ時間がかかりそうだ。

留学生の部屋探し

 昨夜からベトナム語のクラスが再開された。ベトナム語講師から豆菓子とインスタント・コーヒーのお土産が生徒達に渡された。ベトナムでトップ・ブランドのインスタント・コーヒー。今朝、飲んでみたが、確かに美味しい。
 ところで、ベトナム語講師は悩みを抱えていた。それは、4月から大学の夫婦寮を出なければならなくなったために、部屋探しをしているが、初めての経験だけに、思うように事がはかどらないということだ。「今日、不動産屋に案内されて物件の下見に行きました。大変に気に入ったのですが、いろいろとありまして…..」
 東京に於ける留学生の部屋探しは本当に大変だと思う。2月中に見つけないと、3月では遅いであろう。何故ならば、地方から新しい大学生がやって来るため、日本人学生達におさえられてしまう。それに大家達は東南アジアからの留学生にはあまり貸したがらないからだ。
 政府は留学生を増やしたがっているが、あまりにも寮が少なすぎる。有ることは有っても、期限つきだ。次から次にやって来る新しい留学生達にも機会均等のチャンスを与えているからである。
 いずれにせよ、東京の住居費はあまりにも高い。何とかならないものかと思うが、何ともならない。それが東京だ。

休学者 & 復学者

 1月7日からスタートした2014年度の授業は今日で2週間が経過することになる。授業は毎日、つつがなく進行していっているが、予想に反して休学者が多い。その理由は以下の通りである。
 1.寒いから春まで休みたい。
 2.目下、リハビリ中なので、1月だけ休みたい。
 3.転職準備中。
 4.引越しで忙しい。
 5.親の介護に集中したい。
 皆さんの理由を聞いて、納得である。
 そうかと思うと、12年ぶりに復帰したいという方がおられる。タイ料理に精通している女性だ。個人レッスンを希望され、しかも、私を御指名だ。タイ料理のレシピをタイ語で読む授業をしようと思っている。

若者の20年後・初老の20年前

 大学の講義は先週で終わった。あとは学年末試験をして成績を出すだけである。
 そこで、最後の授業の時、成人式を終えたばかりの学生達に質問した。「あなたたち、20年後を想像したことがありますか? 40歳頃、何をしてると思いますか?」
 だが、返事はなかった。
 次に、社会人として参加しておられる60歳前後の男性2名に訊いてみた。「もし、20年前に戻れるとすると、何をしたいですか?」
 あまりにも唐突な質問でありすぎたのであろうか、やはり回答は得られなかった。
 語学教師としての私は青年達からも初老人達からも、夢を語ってもらいたかっただけである。夢が虚妄にすぎなくてもかまわない。喋ることに意義有り。そのように私は考えているが、日本人って、人前ではしゃべらない体質が染みついているようだ。喋ろうとすると、単語を探し、文章を構成しようとする意識が連続し、脳の活性化が進むので、自然と意欲的になれるのだがなあ…。

バングラデシュの国旗

 去年10月から、「タイ語入門 水曜日13:00」のクラスで勉強しているK子さんは、バングラデシュで数年間、保健栄養士として駐在した経験を有し、今でも毎年、出張でバングラデシュの地方に行かれておられるので、ベンガル語がとてもお上手である。ベンガル語を習いたい生徒がいるならば、是非、先生になってもらいたいと思っている。
 そのK子さんがジュート製の手提げ袋を持って来られた。袋には、日本国旗とバングラデシュの国旗が仲良く描かれていた。とても興味深かったのは、バングラデシュの国旗が、緑の地色の中に赤い丸が描かれており、日本の国旗とデザインが酷似していたからである。
 ネットで調べると、バングラデシュの国旗の場合、赤い丸が中心よりやや左側に位置されており、赤い丸は太陽ではなくて、独立を勝ち取った民衆の血の色であり、緑は緑地を意味していると解説してあった。意匠としてはほかにも異説があるようだが…..。
 K子さんは言った。バングラデシュでは、かつてはジュート製の袋が常用されていたのに、今はビニール袋に代わってしまっています、と。米袋として使われて来たジュートの袋。持っていると、少々、痛いが、エコのためを思うと、存在価値のある袋なのである。