うっかりミスの効用

昨日、編物教室へ行ったが、うっかりして、現在編んでいるカーディガンの製図とは異なる過去の作品の製図を持って行ってしまった。クリアファイルに入れているので、大丈夫だと思っていたが、出かける前の最後の点検を怠ったために、稽古が進まなかった。
 そこで、編物の雑誌を10冊ばかりパラパラとめくり、今年の秋冬のトレンドを探る。いずれの作品も毛糸の色がきれいで、とてもすばらしい。自分でも編めるような気がするが、そうはいかない。
 だが、ふと考えた。雑誌のモデルはすべて欧米人(ฝรั่ง)。欧米人の若い娘達や子供達はモデル姿がよく似合っている。最近は、日本人モデルも多くなった。それは認めるが、ファッション雑誌を飾るのはやはり欧米人のほうが突き抜けた表情を示してすばらしい。
 ファイルを間違えるという失敗のおかげで、ファッション雑誌を楽しむことができ、気分転換という効用を得た。

古希( 古稀)

今日、知人が古稀を迎えた。御祝いをするつもりである。
 よくよく考えると、私の周辺には70歳前後の人ばかり。皆さん、70年間、よくぞ生き抜いて来られた。すばらしい!
 古稀という漢字は、最近では古希と書くらしい。なぜならば、「稀」という漢字が常用漢字に入っていないからだそうだ。「古来、稀れなり」から来ているのに、常用漢字に入っていないという理由で、「希」に変えてしまうのは解せない。世の中の漢字を簡素化し、音だけで当てはめていくのはいかがなものか。
 とまれ、ひるがえって考えるならば、「希」は「希望」に通じる。人生百年というコマーシャルが毎日流されているが、あと30年を生きるのは、身体的、経済的、そして、頭脳的に考えて、かなり厳しい。
 これまで生きて来た道を、小さな希望を持って、お遍路さんの如くひたすら歩くしかない。目標は88歳(米寿)!

虫垂炎

昨晩、生徒さんから虫垂炎になり、緊急入院したというラインが入って来た。手術は必要なく、抗生剤でなんとかおさまる軽症だとはいえ、痛みはつらいはず。早期回復を祈るしかない。
 虫垂炎は、タイ語で、ไส้ติ่ง(サイティング)。ไส้(サイ=腸)+ ติ่ง=(ティング=本体から突起しているもの)から成り立っている。正式に言うと、ไส้ติ่งอักเสบ(サイティング・アクセープ)。アクセープは炎症状態を表わす。
 先週の土曜日、指輪先生がサングラスをかけて来られた。おしゃれのためかと思ったが、違っていた。ものもらい(ตาอักเสบ ター・アクセープ = 目+炎症)ができたといって、赤くなった目を見せてくれた。
 6月は体調をととのえるには難しい月である。仕事も大切だが、いろいろな病気にかからないように、休養も肝心だ。

さくらんぼ到来

昨日、さくらんぼを食べに大連へ帰って行った中国語講師のことをブログで書いた。うらやましいなあという気持ちがいっぱい有って書いた。
 ところがである。その3時間後に、私の部屋のチャイムが鳴り、さくらんぼがやって来た。福島県からだった。不思議や不思議。タイミングが良すぎる。
 去年6月末、青森県八戸市へ行った時もたくさんさくらんぼを食べた。さくらんぼと言えば、山形県が有名だが、どうやら、山形県だけではなさそうだ。
 そこで、大連の経度を調べてみた。すると、仙台と同じだということが判明。サンフランシスコとも同じだそうだ。
 語学の勉強はさておき、地理の勉強もなかなかに楽しい。地理がわかると、それに関する単語も知りたくなる。外国語の勉強は個人の工夫次第で大いに面白くなる。

新しい中国人講師

去年9月から開講した中国語クラスは生徒3名で、のんびりと勉強している。担当の講師が「大連に戻って、櫻桃(さくらんぼ)を山ほど食べて来たい」と言って、急に大連へ帰ってしまわれたのでびっくり。しかし、彼女が帰京するまで、代講の講師を用意してくださっていたので一安心。
 新しい講師は浙江省寧波の出身であった。そこで、浙江省の観光地やご家族の話をしていただいた。見るからに裕福な家庭に育ったお嬢様という感じ。
 ずっと同じ先生に習うのもいいが、新しい先生に新しい風を吹き込んでいただくのも、なかなかに興味深い。
 タイ語の勉強も然り。いろいろなタイ人に会うこともタイ語の勉強の一手法である。

รา(黴)というタイ語

6月は湿気が多いため、特に黴(カビ)が生えやすい。「黴が生える」という表現は、タイ語では「ขึ้นรา クン・ラー」という。風通しを良くして、カビ対策を徹底させないといけない。
 ところで、タイ語には同音異義語が多いので、この「รา ラー」という単語の別の意味を調べてみることにした。すると、『タイ日辞典』(冨田竹次郎著)には、動詞として、次なる意味が書かれてあった。 
 ①阻む、抵抗する、②次第にやめて行く、③ゆるめる、少なくする。例)ราน้ำ 舟から手や足を出して水中に入れ、舟の進むスピードをおくらせる。ราไฟ (炭や薪を減らして)弱火にする。รามือ 手を弱める、手加減する、手をひく。
 タイ語は簡単そうな発音(単音節語)でも、なかなか微妙なニュアンスを表わす単語が多い。暇な時間が有れば、辞書を読む作業もまた楽しかりけり。

高齢者福祉を研究するタイ女性

一昨日、知り合ったタイ女性は、高齢者福祉に関する博士論文を書くそうだが、タイの現状についてはもうほとんど書き上げているとのこと。最後に、日本に於ける高齢者福祉のことを併記するため、4月から4ヶ月の期間、データの収集に来ていることがわかった。
 彼女はタイの高齢女性が一人で暮らしている写真を私に見せた。しかし、老女の周囲には若い女性がいっぱい。さすがはタイ。というか、アジアだ。それに引きかえ、日本では、他人を拒み孤独死をする老人が多い。
 老人ホームや千葉市の区役所で入手したデータは、タイでは今すぐには役に立ちそうもない。だが、タイもいずれは日本と同じ高齢者問題を抱えるに違いないから、研究者は先見性をもって、諸問題を惹起する必要がある。
 幼い時に母親を亡くした彼女(41歳)は、一人暮らしをしている父親(71歳)に、毎晩、電話をしているという。そして、父親に雑貨屋を開いてあげているそうだ。儲けるためではなくて、お金を計算することで、ボケ防止をはかっているとのこと。これぞまさしく高齢者対策だ。彼女はパワフルな実践家である。

或るタイの少年の話

昨日、通訳を依頼して来たタイ女性(41歳)は病院で9年間、ケア・マネージャーとして働いた経験が有るので、いろいろな死に接して来たそうだ。その彼女から、次なる話を聞かされた。
 8歳の少年の命が尽きようとしている。家族ももうあきらめていた。最後に何かやりたいことはないかと少年に尋ねると、窓から見えるセブンイレブンへ行ってお菓子が買いたいと答えた。そこで、最後の願いを叶えるべく、その少年をセブンイレブンへ連れて行き、思い通りお菓子を買わせた。するとその少年はそのお菓子を道端にいる物乞いの少年達に与え、病室へと戻って行った。そして、数日後、息をひきとった。
 わずか8歳でこのような行為ができるということに、私は驚きと感銘を覚えた。さすが仏教国! ものごころつく頃から、喜捨の精神は浸透している。

通訳で老人ホームへ

昨日、指輪先生からSOSのラインが入った。
 「タイから大学の先生が研究調査のために来日しておられますが、頼んでいた通訳にドタキャンされて困っています。どなたか通訳を紹介してください。明日(6月6日)の午前10時から、千葉県の老人ホームでインタビューが有ります」
 あまりにも急な話なので、誰かに頼むわけにもいかない。日頃からお世話になっている指輪先生に恩返しをする意味で、私が行くことにした。
 だが、その老人ホームの場所をネットで探してみると、アクセスが非常に悪い。千葉駅から出ているバスは1時間に1本しかない。仙台へ行くほうが早い感じ。
 近い将来、老人ホームにお世話になることを考えているが、アクセスが悪いと、都心に出かけるのも容易ではない。それに、友人も会いには来てくれない。足腰を鍛え、健康に留意して、なんとか現状維持でいきたいものだ。

和敬清寂

昨日はまるで梅雨があけたかの如き天候であった。日差しがきつく、あたかもタイにいるみたいな錯覚を覚えた。
 最近、同じマンションに住む高齢の男性がよく散歩をしておられるのを見かける。聞くところによれば、一日3回の散歩を心掛けておられるそうだ。理由は奥様を亡くされ一人暮らしになってしまったので、足腰を鍛えることが肝心と心に決められたとのこと。
 さて、本日の小題は「和敬清寂」。茶道ではあまりにも有名な評語であるが、「和敬静寂」と間違って書く人が多いそうだ。注意されなければ、私もそのように書くはず….。
 「清」という漢字は、「清める」という意味。したがって、茶道講師からは、「清める」という精神をたたきこまれている。
 夏があまりにも早くやって来たから、心も体も夏を受け入れる準備ができていない。しかし、いらいらすることは禁物。お互いに「和やかに」、そして、相手を「敬い」、「清め」の精神で、かつ、「静寂さ」を保ち、日々、無事に過ごしていこう。