私塾

目下、『回天の門』(藤沢周平 文春文庫 1986年)を読んでいるが、主人公である清河八郎という男が、酒田近くの村で幼少期を過ごしている時から江戸に憧れ、江戸にある塾でしっかりと学び、学儒になって自らも私塾を開く場面がたびたび描写されてる。
「塾は建坪二十一坪のものを新築した。五十二両かかった。浅野と二人で古家を改築して住めば、一人十両と計算した最初のもくろみからみると高い費用だったが、八郎は満足していた。小さな塾だった。だがそれは少年のころからの夢が結晶した建物だった」
 「十一月五日に八郎は塾をはじめた。内弟子わずかに二人、学僕一人という塾だった。しかし間もなく評判を聞きつたえて、通い門人が出来、荘内藩江戸屋敷からも入塾する者が来た」
 「秋めいてきたその年の八月、清河八郎は駿河台淡路坂のほとりに塾を開いた。三河町の塾が火事で焼けたあと、両国薬研堀の家は地震に逢って開塾できず、漸く三年目に念願を果たしたわけである。場所は昌平橋の南で、神田川をへだてて聖堂の森が見えた。
 しかし塾を開いてみると、思ったほどには門人が集まらなかった。最初の三河塾が、小さい建物だったにもかかわらず繁昌したのにくらべると、意外な感じがしたが、そのことにも八郎は時代の推移をみた」

タイ語入門からタイ語初級へ

昨日、「タイ語入門 火曜日13:00」のクラスの生徒さんから、『タイ語初級』のテキストを購入したいと言われたので、すかさずお売りした。
 このクラスは昨年9月からスタートしたクラスだが、最初は生徒が1名だけ。11月になって、もう1名、生徒が入会されたので、現在は2名。お二人ともものすごく熱心なので、教えていて幸せを感じる。
 昨日、無事に『タイ語入門』のテキストを終えた。20課(120ページ)のテキストを7ヶ月かけて、丁寧に勉強した。さあ、いよいよ本格的なタイ語学習である初級クラスへと入って行く。タイ文字も読めるようになっておられるから、生徒達は『タイ語初級』のテキストにもなじめるはずだ。
 タイ語中級クラスでは、同じテキストを3~4回、繰り返し使用している。いろいろな角度からテキストを復習することにより、タイ語の語彙の中に新たなる面白い発見がある。1年ぶりで学び直すと、成長した自分の学力が後押しをして、タイ語との相性がぐんと増えていること、間違い無し。

96歳の元寮監

先日、母校に行った折り、現在は廃寮となってしまった西寮(当時)の元寮監が大学前にあるレストランにいらしているという情報を得たので、私は元寮監に一目お会いしたくてそのレストランに行ってみた。
 96歳におなりになっておられたが、ジャケットとセーターを品良く着こなし、今でも現役の寮監として頑張れそうな眼光をそなえておられた。
 ご挨拶だけという気持ちでうかがったが、もう少しお話がしたくなり、私もアイスコーヒーを注文した。すると、元寮監は千円札をすかさず幹事に渡した。私のコーヒー代を支払うというのである。もちろん、私は遠慮した。ところが、元寮監はこうおっしゃられた。
 「私は皆さんにごちそうしたいのよ」
 それを聞いて、96歳の心意気にびっくり。私もあやかりたい。

スマホ翻訳の変

目下、ピカピカ先生のご両親が来日中である。桜を堪能され、買物もほぼ終わったことと思い、昨日、お食事会を打診した。すると、次なるタイ文+スマホ翻訳文が送信されてきた。
 นัดอาจารย์วันอังคารเย็นสะดวกไหนคะ
火曜日の夜に先生に予約をしてください。
 ดิฉันจะกลับวันที่11/4ไปกึงสนามบินนาริตะประมาณเที่ยงค่ะ เครื่องบินออกห้าโมงเย็นค่ะ คิดถึงอาจาจารย์นะคะ
私は正午にタイの11月4日に成田空港に戻ります。機械は5時に出ています。
 日本語の翻訳文は変だ。無いほうがいい。

命の泉

昨日、母校の東京女子大学へ行った。「卒業後50年お花見の会」が開催されたからである。50年ぶりに会った学友。5分もすれば、学友の顔から入学時(1965年)に初めて会った顔が浮かび上がってきた。
 私は仕事が忙しいという理由で、英米文学科の同窓会にはこれまで一度も顔を出したことがない。しかし、今回は行った。理由は卒業後、無事に50年、仕事を継続することができたという感謝の念を母校に示したかったからである。おお、50年!
 鹿児島出身の寮友が「命の泉」と題して感話を述べた。私はキリスト教徒ではないが、母校へ行くと、賛美歌を歌い、聖書の一節を聞く。
 ヨハネによる福音書 4章13-14節 イエスは答えて言われた。「この水を飲む者はだれでもまた渇く。しかし、わたしが与える水を飲む者は決して渇かない。わたしが与える水は人の内で泉となり、永遠の命に至る水がわき出る」

卒業後50年お花見の会

昨日、母校の東京女子大学へ行った。「卒業後50年お花見の会」という催しが開催されたからである。50年ぶりに会った学友。5分もすれば、学友の顔が入学時(1965年)に初めて会った顔にもどっていった。
 私は仕事が忙しいという理由で、英米文学科の同窓会にはこれまで一度も顔を出したことがない。しかし、今回は行った。理由は卒業後、無事に50年、仕事を継続することができたという感謝の念を母校に示したかったからである。おお、50年!
 敬虔なる寮友が、「命の泉」と題して感話を述べた。私はキリスト教徒ではないが、母校へ行くと、賛美歌を歌い、聖書の一節を聞く。
 ヨハネによる福音書 4章13-14節 イエスは答えて言われた。「この水を飲む者はだれでもまた渇く。しかし、わたしが与える水を飲む者は決して渇かない。わたしが与える水は人の内で泉となり、永遠の命に至る水がわき出る」

クラス編成

昨晩、友人からラインが来た。内容は、彼女の妹さんの友達の知り合いがタイ語を習いたがっているというものであった。ご紹介いただけるのは嬉しいが、果たして諸条件が適合するか否かが心配である。
 タイ語を習いたい女性は、かつてどこかの教室でタイ語を習っておられたが、若い人達と勉強するのが苦手だったとのこと。お嫁さんがタイ人なので、タイ語をしゃべりたいみたい。
 その2つの条件にあたる最適クラスは「タイ語初級 木曜日13:00」のクラスである。このクラスは平均年齢60歳くらいの主婦クラスである。お嫁さんがタイ人というお姑さんもいらっしゃる。きっと話が合って、仲良く勉強できることであろう。
 いずれにせよ、クラス編成はむずかしい。うまくいくクラスは長続きする。

今日の宿題

4月に入ってからも三寒四温の日々が続いている。一昨日、「タイ語中級 水曜日18:30」のクラスで、三寒四温のことが話題になった。すると、タイ人講師がタイでも「3วันดี4วันไข้という表現が有ります」とおっしゃった。
 直訳すると、「3日間は(体調が)良くて、4日間は熱が出る」ということになる。ということは、なかなか治りが悪いということではなかろうか。だが、いずれにしても、治ることは治る。
 今日の宿題として、「3วัน…… 4วัน…….」を使って、タイ語で短文20文を作ってみてください。

神田川 と タイ留学生

昨日、江戸川橋から高田馬場駅まで神田川沿いを歩いた。午後4時頃であったから、人が少なくて静かに桜見物ができてとてもよかった。
 途中、橋の上から神田川に向かって垂れ下がる枝ぶりを鑑賞していたら、タイ語が聞こえてきた。男性3名、女性1名のグループだ。
 「こんにちは。観光でいらしたの?」と私が女性に尋ねると、「勉強に来ています」と彼女は答えた。「とすると、早稲田大学?」と私が続けて尋ねると、彼女はうれしそうに頷いた。
 彼女はとびきり美人であった。橋の上で桜をバックにポーズする彼女の顔は幸せに満ちていた。他の男性3名も優秀な顔をしていた。これから早稲田大学で勉学に励むぞという意欲が見て取れた。

午後8時の高田馬場駅

昨夜、「タイ語中級 火曜日19:00」の授業風景を見て、生徒の皆さんが和やかに楽しそうにしているのがわかり、安心して高田馬場駅へ向かった。
 今春も新しい早稲田大生で高田馬場駅早稲田口はいっぱい。みどりの窓口も、定期券の購入で長蛇の列。ところが、改札内も人がいっぱい。私は駅員に尋ねた。「電車が止まっているのですか?」
 すると、駅員は答えた。「西武線が止まっています」
 そこで電光掲示板を見ると、人身事故で西武線が止まっているのが判明。
 新入生の喜びが有るかと思えば、人生を終えてしまう人もいる。とばっちりを受けた通勤客は電車が動くのを静かに待つのみ。
 泰日文化倶楽部は高田馬場駅から1~2分。小さな私塾だが、生徒の皆さんは90分の授業をマイペースで楽しんでおられる。