小銭の使い道

 キャッシュレスが主流になって来ているので、小銭を使うのが嫌がられる傾向にある。私の場合、新しい硬貨だと、それを貯めておいてお賽銭に使う。先日も巣鴨のとげぬき地蔵にお詣りした際、賽銭箱にたくさん入れて、平和と厄除けを祈った。

 一昨日、郵便局へ行って税金を払う時、端数を小銭にした。すると、局員から言われた。「50個以上だと手数料がかかりますよ」、と。銀行では手数料がとられると聞いていて知っていたが、庶民の味方の郵便局までもが….。そういえば、郵便局も「ゆうちょ銀行」という銀行になっていた。嗚呼。

 最近、テレビで遺品整理業者の作業を報道することが多い。全部を整理し、残るは台所のシンクの下に置かれたバケツだけ。するとそのバケツの中に小銭がザックザク。それを渡された相続人は大変だあ。銀行へ持って行って両替をしようとすると手数料が馬鹿にならない。とすれば、神社仏閣めぐりをしてお賽銭にすればよい。10年分くらいは余裕だ。

今日の作文

 『五十歳でも老人 八十歳でも青年』(森村誠一 KKベストセラーズ 2012年)の第四章「身体の老いは恐くない、一番恐いのは心の老い」から出題する。

1.外に出て、他人と会話を交わすことが、気力を維持することにつながる。

2.気力を充実させ、心の張りを保つには、予定表をつくることとボランティアを体験することも、とても効果がある。

3.それが、社会や他人との関わりを持つきっかけになる。

4.友人が入院し、日ごとに無気力になってしまった。

5.見舞いに行ったわたしは、彼に予定表をつくれと勧めた。

6.彼は「入院中だから何の予定もないじゃないか」と反論した。

マスターズ開幕

 今年もマスターズがやって来た。第86回とのこと。この4日間はとても楽しみだ。とりわけジョージア州に在るオーガスタ・ナショナル・ゴルフクラブの美しさに毎年、魅了されている。開業は1932年。90年の歴史とともに樹々も草花も見事に自然の中にとけ込んでいる。はてさていかなる悪魔が住んでいるか、クリークや池に。

 昨日は医療用のコルセットについて書いたが、コルセットと言えば、『風と共に去りぬ』のスカーレット・オハラを思い出す。胸元から腰にかけてコルセットでぎゅうぎゅうに締め上げているシーンが印象的。この作品の舞台はジョージア州アトランタ。オーガスタと同じ州だ。

 もう一つ愉しみなのは、中嶋常幸氏の解説である。経験値に基づいた優しさがにじみ出ている。そして、実況のTBSアナウンサーの声の美しいこと。うっとりする。

コルセット

 タイ人講師がヘルニアになったということで、医者から勧められて腰にコルセットをつけている。泰日文化倶楽部のすぐ近くの医院に通院しているとのことだが、そこの院長はマヒドン大学で研究したことがあるそうだから、アジアの人々にはことのほか優しい。看板はアジアの諸言語で書かれている。

 「コルセットはタイ語で何と言いますか?」とタイ人講師に尋ねると、「สายรัด」とすかさず答えてくれた。何故、尋ねたかというと、スマホの単語集にはいろいろなことが書かれており、いずれの表現にも首を傾げていたからである。

 私が時々行っている整骨院の先生にコルセットのことを話すと、意外な意見を聞かされた。「コルセットはですね……。あまり使わないほうがいいです。コルセットに頼って、自然治癒が遅れますから」 それを聞いて、私は杖も同じだなあと思った。何であれ、頼りすぎるのは駄目。内面からの治癒力を呼び覚ますのが一番だ。

今日の翻訳

 今日は短文を紹介する。内容は元タイ人講師からの庭造りの様子である。

1.จ.สมุทรปราการ ทำให้ดินดี ต้นไม้งอกงามโดยไม่ต้องใส่ปุ๋ย

2.เนื่องจากไม่มีคนสวน คอยตัดแต่งกิ่งไม้

3.เฟื่องฟ้าเลื้อยไปเองตามธรรมชาติ ก็สวยไปอีกแบบหนึ่ง

4.ปล่อยไว้แบบนี้สวยดีค่ะ แล้วจะเอาต้นเฟื่องฟ้ามาปลูกเพิ่มให้ใต้ต้นไม้ใหญ่ๆในสวนอีก

5.ชอบดูรูปถ่ายของการจัดดอกไม้ ได้ไอเดียดีๆในการจัดดอกไม้ค่ะ

めりはり

 『ことばの花道 ーー暮らしの中の芸能語』(赤坂治績 筑摩書房 2003年)を読んで、芸能由来の日常語があまりにも多いことに改めて気づかされた。例:十八番、お家芸、どんでん返し、泣き落とし、千両役者、立役者、大立者、花形、板につく、裏方、派手、だんまり、どら息子、早とちり 大車輪、等々。枚挙にいとまがない。そのうちの一つに、<めりはり>に関する解説が有った。

 ~ 一般に「物事の抑揚・起伏」を「めりはり」と言い、「生活にめりはりをつける」などと使う。めりはりは本来、歌舞伎のせりふ術の用語である。「滅る(緩む)」、「張る(強める)」という二つの動詞が合体して生まれた。

 新年度がスタートしたものの、世の中は内外を問わず、もやもやしており、霞の中。空模様もはっきりしない。せめて自分の心だけは「めりはり」を意識して一日を過ごそうではないか。

 

愛の里

 今年3月に東横線綱島駅近くに開店したタイ料理店「バーンラック」のPRを、最近、スマホで見た。「愛の家」(บ้านรัก)だと思ったところ、画面をスクロールしていくうちに店の看板の写真が出て来た。「ร้านบางรัก」。すなわち、バンコク市内に在るバーンラック区の名称であった。訳すと、「愛の里」。バレンタインの日にタイ人カップルが婚姻届けを出す例の地区である。

 外国の地名をカタカナ表記にするのは難しい。長母音か短母音かわからなくなる。末子音のn/ngの違いもまぎらわしい。今一度、タイの地名や飲食物を、カタカナからタイ語に直して書いてみよう。

 1.パタヤ 2.アユタヤ 3.チェンマイ 4.チャルンクルン 5.ラチャダムリ 6.ガパオライス 7.カオマンガイ 8.ヤムウンセン 9.ビアシン 10.クルンテープマハナコン

今日の作文

 『杉浦明平を読む』(別所興一・鳥羽耕史・若杉美智子 風媒社 2011年)の中から出題する。

1.1989年11月の「老いをみつめる」と題したエッセイの中で、76歳の老体につきまとう”不快との戦い″に関連して、杉浦は次のように心境を書き留めている。

2.はっきり言えば、一日一日が、老いという不快きわまるものとの肉体的精神的苦痛の連続だといってよい。

3.そんなら早く首でも吊って死んでしまえばよいという向きもあろうが、やはりもう一度出直しのきかぬ命をそうむざむざと捨てる気はない。

4.わたし自身は、今や観客の一人にすぎぬが、中国、東欧をはじめ世界中のめまぐるしい変転、人間の栄枯盛衰など、からくり芝居以上。

5.どのように相成るやら、もう10年か20年ほど生きて、推移を見物していたいものである。

名は体を表す

 先日、日本に住んで長い外国人タレントが、日本通であるということをひけらかさんがために、「名は体を表す」という慣用句を使っていた。だが、どうやらまだ自分のものになっていないらしく、視線をカンニングペーパーに向けていた。

 その際、彼は「名はテを表す」と発音した。あれあれと思った私はネットで確認した。「名は体(たい)を表す」は、「名は体(てい)を表す」とも読むと書いているではないか。外国人タレントの発音が甘くて、「てい」が「テ」になったと納得。

 「他人事」を、「ひとごと」ではなくて、「たにんごと」と読む人が多くなった。気になって仕方がない。私は「一生懸命」とは書かない。「一所懸命」を固持している。

新年度スタート

 今日から2022年の新年度がスタートする。泰日文化倶楽部も新たなる気持ちで邁進したい。広島へ転勤になったSさん、海外へ留学するA子さん、資格試験のために頑張りたいBさん、そして一時休学されるKさん、等々、皆さん、どうかタイ語を忘れないでくださいね。

 とはいえ今月から復帰される生徒達も数人おられる。休んでおられた分、早く語学センスを取り戻してほしい。生徒は出たり入ったりだが、結局のところ、生徒数はプラマイゼロ。よって、「泰日文化倶楽部丸」は常に航行中。

 ここ数年、気候変動で気温の差が激しい。春を通り越して、すぐに夏がやって来る。体調がなかなかついて行かないかもしれないが、そこを自分でうまくコントロールし、タイ語の勉強を通じて脳を鍛えよう!