ร้อยというタイ語

 昨日の授業で、怪我をした指に止血のための布を巻き付ける話が出て来たが、それはタイ語では「พันนิ้ว」。このพันという動詞だが、名詞では数字の桁である「千」である。即ち、同音異義語だ。

 そこで、私はさらに補足した。「では、百(ร้อย)という名詞ですが、動詞としてはどんな意味が有るでしょうか?」 生徒達の反応はいまいちであった。「タイの街角に女性達が座り込んで花に糸(又は細い針金)を通す姿を見たことがあるでしょう?」

 タイ人講師が白板に「ร้อยมาลัย」と書いた。意味は「花を通す=レイをつくる」。すると生徒の一人が「ああ、ジャスミンの花を通してますよね」と言った。もう4年もバンコクへ行っていないから、エラワンの神様の祠堂のところで花輪作りをしている光景がなつかしい。一方、私はといえば、「ร้อยเข็ม 針に糸を通すこと」にイライラしながら老いを感じている。