諭吉の両親

今日もまた、司馬遼太郎の『街道をゆく』のシリーズから、大分県の中津の部分を引用する。中津と言えば、福沢諭吉。下記の文章に書かれている百助とは、諭吉の父上のことである。
 百助は中津藩の大坂蔵屋敷で小吏として、「余剰米を大坂の市に出すこと、現金化すること、借金をすること、あるいは返済についての言いわけをすることなどの業務」をしていたそうだ。
 「日常、接待の酒席が多かった。新町などで大商人の番頭と酒を飲むことで、こういう宴会のことを<お振舞(おふれまい)>といった。本好きの百助は、それがいやでたまらず、上役にしばしばお役替えをしてほしいとたのんだが、ついに死にいたるまでつとめさせられた。よほど有能だったのにちがいない」
 百助さんは45歳で急死。さらに読み進めると、母親が実におおらかで、かつ独創的な女性であったかがわかった。小学校の教科書に出ていた諭吉の母のことが鮮明に思い出された。

囲炉裏の友

昨日、今年初めての茶道教室が開かれた。床の間の掛け軸は般若心経。
 「お彼岸ですから、皆さん、御先祖様に思いをはせましょう」と、茶道講師。
 お点前の最後にやりとりされるお道具拝見で、茶杓の御名が「囲炉裏の友」と聞かされた。久々に集う仲間。炉の周辺に座り、茶友が点てた一服のお茶をいただく。
 仲間が集まり切磋琢磨することは、素晴らしい時間であり、かつ空間である。
 タイ語の仲間も集まろう! そして、90分間、タイ人講師のご指導のもと、タイ語の世界にひたろう!

今日の英語

今日は大雨。のんびり過ごすしかない。だが、少しは頭を語学脳にするべく、英単語を書いてみよう。

1. 感染拡大

2. 感染拡大の予兆

3. 規制強化

4. 外出制限

5. 生活必需品

6. 罰金

7. 病床使用率

8. 空港検疫

タイ語は対面授業がお勧め

明日(3月21日)で「緊急事態宣言」が解除されますので、22日からは通常授業に戻します。
 去年の第1回目の「緊急事態宣言」(4月7日から6月30日まで)の時よりも長かったため、生徒の皆さん、休み癖がついてしまったのではないかと危惧しております。
 休みの間、いろいろなツールを使って勉強なさったかとは思いますが、タイ語は声調言語ですので、一人で勉強するのには限界が有ります。やはり教室に通うことが肝心。
 タイ語は対面授業がベター(ดีกว่า)。絶対にお勧めです。そして対面授業は泰日文化倶楽部で!

今日の翻訳

今日も幼児向けの本である『ทำเอง เก่งจัง』から出題する。簡単そうに見えても、一つの単語の意味を知らないと、ちょっと戸惑ってしまうものだ。そんな経験を繰り返しながら、辞書無しでもすらすらと訳せるようになろう。

1.เทแป้งเล่นฟุ้งกระจายทั่วห้อง

2. รอให้คุณแม่มาสวมเสื้อให้

3. กินมูมมาม ใช้มือหยิบอาหาร

4. ทิ้งขยะเกลื่อนกลาด ไม่ช่วยเก็บให้เรียบร้อย

5. ฉีดน้ำเล่น ไม่ช่วยรดน้ำต้นไม้

6. ตะโกนเสียงดังเวลารับโทรศัพท์

7. ทำหน้าบูดบึ้ง พูดสอดแทรกขณะผู้ใหญ่คุยกัน

8. ค้อมศีรษะทุกครั้งเมื่อผ่านผู้ใหญ่

八幡と八

昨日、タイ語の「แปด 8」が出て来る慣用句を書いたが、今日は、日本語の「八」について書く。たまたま『街道をゆく 34 大徳寺散歩 中津・宇佐のみち』(司馬遼太郎著)の中の「八幡大菩薩」を読み始めたら、司馬氏が次なる蘊蓄と解説を書いていたからである。
 ~八幡(やはた)の語源は、古代、この神(八幡神)をまつるときに、たくさんのハタ(幡)をたてたからだという。「や」とは、数多くの、という意味の古語である。
~さきにふれたように″八(や)”とは、古代、数の多いさまをいう。用例としては、雲の多いことを八雲、種類の多いことを八種(やくさ)、たくさんの種類の草のことを八千草(やちぐさ)、道がいくつにもわかれているさまを八衢(やちまた)….。
 そう言われれば、いくらでも思いつく。 八百屋、八百万(やおよろず)の神様、嘘八百。

ร้อยแปดพันเก้า

先日は「เจ็ด 七」が出て来る慣用句について書いた。その流れで、今日は「แปด 八」について書く。引用は『タイ辞典』(冨田竹次郎編纂)からである。

1. มืดแปดด้าน =(直訳)八面が暗い
 (意訳) 八方ふさがり、五里霧中

2. ร้อยแปด =(直訳)108
(意訳)種々様々

3.  ร้อยแปดพันเก้า = (直訳)百八・千九
(意訳)種々様々

4. แปดเหลี่ยมแปดคม แปดเหลี่ยมสิบสองคม
(直訳)八角八刀 八角十二刀
(意訳)策略の多い、手練手管の多い、狡猾な

今日の作文

昨日、桜の開花宣言が有った。今週末が満開だとか…..。
 以下の短文をタイ語で書いてみよう。

1. 友人の息子さんが東京の大学に合格した。

2. 彼は経済学部で経営学を勉強するそうだ。

3. 卒業後、帰郷し、いずれは父親の会社を継ぐことになるであろう。

4. 4年後の2025年、日本の経済はどうなっているであろうか?

5. 東京一極集中の時代は終わり、地方がより活性化していることを望む。

อู่ข้าวอู่น้ำ

 昨日は一日中、土砂降りであった。時々、春雷も聞こえた。しかし、春に向けての恵の雨と思えば、苦にならなかった。何故ならば、植物にとって、水こそは大いに伸びる栄養源であるからだ。
 翻訳の添削をしていると、「อู่ข้าวอู่น้ำ」という表現が出て来た。直訳すれば、「米の源、水の源」だが、その意味するところは「米どころ」。
 「อู่」という単語は「ゆりかご」とか、「源」という意味があるから、この言葉自体、とても優しい印象を与える。
 日常でよく使われるのは、「อู่เรือ 船のドック」とか、「อู่รถ 車の修理工場」。ある時、「อู่หมู」というタイ人に会ったことがある。状況から判断して、「養豚場」だった。
 そろそろ春本番に向けて、農家の方達は準備万端の一歩手前であろう。

ชั่วเจ็ดทีดีเจ็ดหน

3月21日(日曜日)で、1都3県の緊急事態宣言が解除されるか否か、あと7日となった。
 そこで、タイ語の「เจ็ด 七」を『タイ語辞典』(冨田竹二郎編纂)で調べてみると、次なる慣用句が書かれてあった。

 ชั่วเจ็ดทีดีเจ็ดหน 悪事七回善事七回。禍福はあざなえる縄の如し。

 タイ語は母音や子音の数が多いから押韻(=韻を踏む)された表現が好まれる。この慣用句の真ん中にある、<ที>と<ดี>が見事に韻を踏んでいるのも、その一例である。
 我々も語彙数を増やして、韻を踏んだタイ語が書けるようになりたいものだ。