大山捨松 と スペイン風邪

昨日、会津若松から立派なリンゴが送られて来た。送り主は元生徒のお父様。20年以上にわたり、福島県の美味しい果物をずっといただいているが、会津の男性の律儀な態度にはいつも感銘を覚えている。
 さっそく御礼の電話をかけると、「会津若松に遊びに来てください。会津は立派な女性が出たところです。大山捨松です。この間、NHKの番組でもやってましたが」と言われた。
 大山捨松(1860-1919)は「鹿鳴館の華」であることは知っていたが、あの新島八重と同じく会津若松の出身であったことは初めて知った。
 早速、ネットで調べてみた。そして、彼女(会津藩士の娘)の波乱万丈な人生に興味を覚えた。戊辰戦争後、函館へ渡りフランス人家庭で生活しながら、やがて日本女性初のアメリカ留学生の一人に選ばれ、10年間、アメリカで暮らした。彼女が明治時代に活躍できたのも、英語、フランス語、ドイツ語の3ヶ国語に堪能で、国際的機敏さを有していたことがものをいった。
 日本の文明開化に寄与した大山捨松。だが、彼女は1919年、スペイン風邪に罹り、58歳で亡くなってしまった。