音読訓練をしよう!

今朝、NHKで「音読チャレンジ」と称する脳活を勧めていた。専門家の助言によると、次なることをすれば良い結果が得られるそうである。

1) 小説等を開いて、見開き2ページを一気に音読する。

2) 読み間違いは全く気にしなくてかまわない。

3) 内容を吟味する必要はない。

4) 音読することで、脳に刺激を与えることが狙いである。

5) 知的好奇心も湧いて来るはずだ。

 いずれにせよ、自粛生活で衰えてしまった言語能力の回復をはかる必要がある。タイ語の生徒達はタイの小説か新聞で訓練を!

絵の解説

手元に『世界の美術』(河出書房新社 1965年)が有る。色が褪せた感じなので捨ててしまいたい…..。しかしながら、絵の解説がすばらしいので取ってある。
 『世界の美術 26 ルソー/デュフィ』の解説は詩人の大岡信氏だ。最近の我々は何を見ても「すごい!」と叫んで終わり。その先の言葉が貧弱。そこで、大岡氏の解説を引用し、短文のまとめ方を参考にしたい。

 1.ルソー <オートゥイュの高架橋> = 細密な筆致で丹念に描かれた風景画。遊覧船・馬車・釣人など懐かしく古風な銅版画を思わせる古拙な情景である。

 2.デュフィ <室内のバラ> = むせるような初夏の緑に完全にまじりこんだバラの花。外の光や空気は室内に自由に侵入し、明るい感覚の歓びをうたっている。

「水無月」という和菓子

京都では、室町時代以来、6月30日に「水無月」という和菓子を食べる習慣が有るそうだ。三角形の白い外郎(ういろう)の上に小豆を乗せたもので、6月にしか買えない和菓子である。
 これは「夏越の祓え(なごしのはらえ)」に供されて来た菓子で、邪気払い、悪魔払いの願掛けだとのこと。
 白い外郎は、「氷」を模しており、地位が高い人は実物の氷を食すことができたが、庶民はそういうわけにはいかなかったようだ。いずれにせよ、邪気払いは是非ともしたい。
 今日(6月19日)より、日本全国どこへでも行ってよいことになった。あいにくの雨だから出足をくじかれた。ネットであちらこちらを検索している。そのうちの一つに、「有松絞り」で有名な愛知県の名鉄沿線の有松が目にとまった。浴衣といえども結構お高い。
 したがって、有松絞りの浴衣を着て、水無月の和菓子を食べるイメージだけにひたっている。

江戸時代末期の寺子屋

東京都中央区に在る大伝馬町と小伝馬町の歴史を調べていると、江戸時代末期に於ける寺子屋のことが記述されていた。箇条書きにするので、タイ語に訳してみよう。

1.江戸後期、小伝馬町に読み書き・計算を教える寺子屋がたくさん出来た。

2.町人の子弟に教育をほどこそうという熱意が感じとれる。

3.神官の千代田信安が経営する「好学堂」という塾には、明治2年、
男子生徒が68名、女子生徒が62名いた。

4.安政から慶応までの14年間に、江戸の寺子屋の数は400~500に達し、
全国では、16,560の塾が存在した。

5.指導者の中には、元士族の浪人も多くいた。

町家 vs コンクリートの箱物

昨日、NHKの朝のニュースで、建築家の隈研吾氏が次なる内容を話しておられた。「これまで箱物ばかりに関心を持って来ましたが、今度のコロナで、町家の素晴らしさを再認識しました」
 私は町家形式の家で育ったから、コンクリートの家にいつも憧れていた。しかしながら、コロナ禍に於いて、確かに町家も悪くないなあと思う。玄関を入ってから、家の奥まで履物をはいたまま通り抜けられる。ということは、空気がいつも流れていて換気が良いということだ。そして、坪庭を眺めていれば、閑静であり風流でもある。
 昨日の午後、豊島区役所へ行く用事が有った。その区役所は隈研吾氏が設計したものである。1階のテラスでアイスコーヒーを飲みながら周囲を見渡すと、更地になったばかりの土地が目にとまった。さらにその奥にある古アパートも解体されようとしている。おそらくまたコンクリートの箱物が建つにちがいない。

最近の高田馬場

6月1日(月曜日)から授業を再開したので、昨日15日の「タイ語中級 月曜日18:00」のクラスは早くも3回目であった。このクラスはピカピカ先生が担当しておられたが、彼女が4月から会社に就職したため、私が責任を持って指導している。
 そして、このクラスのお楽しみは、授業後、東京で一番安い居酒屋へ行くこと。私も参加して、いろいろな話題に耳を傾けている。
 居酒屋は机を減らした。お店の方達は以前よりも気をつかっている。客は静かに飲んでいる。私達は店に感謝あるのみ。何故ならば、無くなったら困るから……。
 最近の高田馬場周辺はピーク時の3分の1の人出である。歩道を歩いていても歩きやすい。郵便局へ行っても並ばなくて済む。隣りのビルに入っている有名な旅行会社はシャッターを閉めたまま。
 生徒達はタイへ行きたい。だが今は叶わない。じっと我慢してタイ語を勉強しようと言いながら居酒屋を出た。

今日の宿題

形容詞に注意しながら、タイ作文をしてみよう。

1.暗い話題はもう結構。何か明るい話題は有りませんか?

2.明るくてさわやかな声が聞きやすい。しわがれ声は聞きにくい。

3.文句が多い客は嫌いです。おだやかな客を歓迎します。

4.幅広い視野で新しい企画を講じたい。古い考えよ、さようなら。

5.時には大雑把、時には緻密。そのような行動でいいと思う

岡倉天心『茶の本』

今日から茶道教室が再開する。そこで、一夜漬けのような気持ちで、岡倉天心の『茶の本』を斜め読みした。この本はあまりにも有名な本なので多くの翻訳書が有るようだが、手元にあるのは、古本屋で見つけたもので、訳者はソーントン・F・直子さん(海南書房 1969年刊)。
 第一章「人間性の茶碗」の中に、次なる文章が見られる。コロナ禍の今、参考になる内容であると思う。
 
 ーー 茶礼の哲学は、一般に言われる審美主義ではありません。茶道は、倫理や宗教と融け合って、私たちが、いかに人間と自然との総体を見るべきかを示しているのです。
 また茶道は、きびしく清潔を説くので、衛生学といえます。複雑で高価なものよりも、むしろ簡素の中にこそ安らぎのあることを教えるので、経済哲学ともいえましょう。また、宇宙に対する人間の姿を定義することから、精神幾何学であるともいえます」
 
 反論するのがはばかられるが、現実の家元制度下における茶道の世界は魑魅魍魎。それはそれとして、精神を鍛えて、抹茶で免疫を高めたい。

賀茂真淵

6月19日以降、東京を出てもよいらしいので、どこへ行こうかとあれこれ考えている。まずは友人のいる浜松へ? 
 そう思って、浜松市内の地図を見ていると、「賀茂真淵記念館」というのが目にとまった。これまで友人宅に2度ばかり泊めていただいたが、記念館がすぐ近くに在ることがわかり、次なる楽しみとなった。
 賀茂真淵(1697-1769)のことは教科書で学んだ。本居宣長とセットで登場。本居宣長のほうが印象が強い。
 ネットで調べると、江戸中期の国学者で、浜松で生まれ、10代で国学を学び、20代で私塾を開き、30代で京都に学び、その後、浜松に戻って来るが、やがて江戸に出て、50歳で徳川家の和学御用掛を務め、64歳で引退。その後は著述に専念し、73歳で没した。
 国学のことは門外漢だが、彼の国学一筋の生き方に魅力を感じる。

「神前」という名字

日本人の名字に関心を持って調べれば、面白い発見がいくらでもある。NHKの番組に追随したくはないので、私の場合は、これまでに御縁が有った親戚、近所の人達、同級生、教え子達、そして、仕事やニュースで知った名字を検索し、その名字が何番目にランキングしているかをカードに書いて遊んでいる。そうすることにより、たくさんの人々との邂逅を懐かしんでいる。
 ところで、「神前」という名字(第5259位)だが、果たして何と読むか? もしかすれば、聞いたことが無い名字だと思われるかもしれない。それもそのはず、大阪府、和歌山県、そして、香川県に多い名字だからである。ネットには次なる読み方が列挙してある。
 
 ①こうざき ②かみまえ ③かんざき ④こうさき 
 ⑤こうまえ ⑥かんまえ ⑦かめまえ ⑧かなまえ
 ⑨かみさき ⑩かみぜん ⑪しんぜん ⑫じんぜん 
 ⑫じんまえ

 母方の親戚にいたが、母は「かみまえ」と呼んでいた。しかし実際は「かんざき」であった。日本人の名字は読み方があまりにもたくさん有り過ぎて、実にややこしい。