私塾

 目下、『回天の門』(藤沢周平 文春文庫 1986年)を読んでいるが、主人公である清河八郎という男が、酒田近くの村で幼少期を過ごしている時から江戸に憧れ、江戸にある塾でしっかりと学び、学儒になって自らも私塾を開く場面がたびたび描写されている。
「塾は建坪二十一坪のものを新築した。五十二両かかった。浅野と二人で古家を改築して住めば、一人十両と計算した最初のもくろみからみると高い費用だったが、八郎は満足していた。小さな塾だった。だがそれは少年のころからの夢が結晶した建物だった」
 「十一月五日に八郎は塾をはじめた。内弟子わずかに二人、学僕一人という塾だった。しかし間もなく評判を聞きつたえて、通い門人が出来、荘内藩江戸屋敷からも入塾する者が来た」
 「秋めいてきたその年の八月、清河八郎は駿河台淡路坂のほとりに塾を開いた。三河町の塾が火事で焼けたあと、両国薬研堀の家は地震に逢って開塾できず、漸く三年目に念願を果たしたわけである。場所は昌平橋の南で、神田川をへだてて聖堂の森が見えた。
 しかし塾を開いてみると、思ったほどには門人が集まらなかった。最初の三河塾が、小さい建物だったにもかかわらず繁昌したのにくらべると、意外な感じがしたが、そのことにも八郎は時代の推移をみた」