ラーチャブリー県のコウモリ

一昨日、元講師のK先生から、動画が送られて来た。ラーチャブリー県(又は、ラーブリー県)にあるカオチョンプラーン寺院に於いて、コウモリ(ค้างคาว)の大群が飛び回っている動画であった。
 「ค้างคาวบินออกจากถ้าชั่วโมงกว่าโดยไม่หยุดเลยค่ะ ถ้าอาจารย์ไปเมืองไทยจะพาไปดูค่ะ」
「コウモリが洞窟から出て来てどこにも止まらず、1時間以上、飛び回っています。もしも先生がタイにいらっしゃれば、ご案内しますから見てください」
 コウモリの大群を1時間以上も見物することに果たして耐えられるか? ほんの1分見ただけでももう気持ちが悪くなりそうな気がする。
 ところで、コウモリというタイ語は、ค้าง(ぶら下がっている)+ คาว(生臭い)の単語が合わさってできている。言葉から見ても、気持ちが悪い。一方、日本では、コウモリ=蝙蝠で、漢字の中に「福」に近いものが含まれているので、目出度い生き物とされている。昔の書院には、襖の取っ手が蝙蝠模様の金具になっているところもある。
 最後に、宿題。「タイ語中級Ⅱ」のテキストにも出ている次の単語、または短文の意味を言いなさい。
1)ค้างคืน 2)ค้างไว้ 3)มีงานค้างอยู่ 4)อย่าค้างค่าเช่าบ้าน 5)น้ำค้าง 6)เหล้าค้างปี 7)ค้างชำระ 8)ค้างเดือนค้างปี 9)ค้างมรสุม 10)หนังสืออ่านค้างไว้

台北でタイ料理

日曜日の午前中に個人レッスンを受講しておられるY子さんが、昨日、台湾のお菓子を持って教室に現れた。そして、9月中旬に行った台北旅行について、興奮気味に話してくださった。
 彼女は過去2回、ツアーで台北へ行ったことがあるが、人まかせの旅行だったのでほとんど覚えていないとのこと。したがって、今回の一人旅は深夜に着いたせいもあって、びくびくものだったそうだ。
 「中国語がわからないので、空港から市内までタクシーに乗っている時も怖かったです。屋台で買う時も、困りました。語学の大切さを痛感しました」
 そこまでなら彼女の困惑ぶりが十分に想像できた。ところが、なんと次なる話のおまけが有った。
 「街を歩いていると、タイ語が聞こえて来たので、タイ人達にタイ語で話しかけました。すると、これからタイ料理を食べに行くので一緒に行こうと誘われ、それからはタイ語の世界へ。台北でイサーン料理を食べたのが一番の思い出になりました」

仏暦2511年~2512年

昨日、「タイ語中級 土曜日12:15」のクラスを代講した。生徒は古株の男性2名。彼らは途中退会は有るものの、復帰して来られて早くも8年近くになる。
 授業の冒頭、<西暦2018年9月22日土曜日>をタイ語で書かせた。タイ語が正しく書けるかをまずチェックするためである。ついでに仏暦も書かせた。
 私の場合、仏暦2559年(ラーマ9世崩御の年)でストップしたままなので、今年の仏暦がすぐに出て来ない。西暦に543年を足せばいいのは分かっているが、計算がめんどうだ。すると、幼なじみの生徒達はすかさず答えた。
 「今年は2561年です。僕達は50歳。僕達が生まれた年は2511年なので、50年を足すと2561年になります」
 それを聞いて、私は言った。「私は2512年にタイ大使館に勤めました。2512という数字は忘れることができません。毎日、2512を書類にタイプしていましたから」

トルネードという毛糸

今月から新しい毛糸を買ってベストを編み始めている。ものすごく太い糸なので8ミリ棒を使用している。この毛糸を選んだ理由は、第一に編物講師が勧めてくださったこと、そして、第二に色がきれいであったことだ。深海を思わせる緑や青のグラデーションの色合いが魅力的!
 ところがである。毛糸の名前を知って驚いた。それは、「リッチモア トルネード」。トルネードとは竜巻だから、急に怖くなった。果たして仕上がりやいかに…….。
 イタリア製の毛糸だが、英語で次なる説明が書かれてあった。
 ”The Effect of the Gradation is Beautiful. Felty Wool Loving yarn. It’s Voluminous!! It’s Comfortable!!”

スマホのタイ語翻訳

昨日、「タイ語入門 火曜日13:00」に出席された女性の生徒さんが、着席するや否や、次なる話をされた。
 「パタヤにいるタイ人の友人に、<今日から私はタイ語の勉強に行きました>という文章を、スマホの翻訳機能を使って送りました。皆さん、喜んでくださっています」
 私はその文章を見せていただいた。すると、私という一人称が、女性が使うฉัน(チャン)ではなくて、男性が使う ผม(ポム)であった。したがって、文章のおしまいにつける丁寧語も、女性のค่ะではなくて、男性のครับであった。
 私はすかさず教えてあげた。
 「これは主語の使い方が間違っています。末尾の言葉も男性用になっていますよ」
 この話を、昨夜、「タイ語初級 火曜日19:15」のクラスの男性3名に話して聞かせると、一人の生徒が次のように言った。
 「僕の場合はその逆です。主語が女性の私になっており、末尾も女性言葉になってしまうのです」
 困った困った。男性は男性の主語、女性は女性の主語に書き換える必要があるが、文字が全くわからない初心者には書き換える学力がまだついていない。しばし、性を気にしないでライン交換することを良しとするか…..。

短母音 vs 長母音 (2)

昨日に引き続き、短母音と長母音の単語の意味を書きなさい。語彙力のチェックも兼ねている。
1)ไก่ / กาย2)กำ / กาม3)คับ / คาบ4)คุณ / คูณ5)ดำ / ด้าม6)ตำ / ตาม7)มัก / มาก8)ยักษ์ / ยาก9)มัก / มาก10)นั่น / นาน
あと10問。さあ、頭を動かそう。
 11)ไร้ / ราย12)ไล่ / ลาย13)ไห / หาย14)ไอ / อาย15)ไฟ / ฝ่าย 16)ไหม / หมาย17)ไส / สาย18)ดัน / ด้าน19)ลบ / โลภ20)หัน / หาร
 まだまだいくらでも出題できそうだが、やめておく。要は、短母音と長母音の母音の長さを早く習得することが必定だ。先日、バンコクに遊びに行った生徒さんから、「タイ人とクーイしています」というラインが来た。私はすかさず、「クーイではなくて、クイ(คุย)ですよ」と直してあげた。

ネットのタイ語翻訳

昨日、「タイ語入門 火曜日13:00」に出席された女性の生徒さんが、着席するや否や、次なる話をされた。
 「パタヤにいるタイ人の友人に、<今日から私はタイ語の勉強に行きました>という文章を、ネットの翻訳機能を使って送りました。皆さん、喜んでくださっています」
 私はその文章を見せていただいた。すると、私という一人称が、女性が使うฉัน(チャン)ではなくて、男性が使う ผม(ポム)であった。したがって、文章のおしまいにつける丁寧語も、女性のค่ะではなくて、男性のครับであった。
 私はすかさず、「これは主語の使い方が間違っています。末尾の言葉も男性用になっていますよ」と教えてあげた。
 この話を、昨夜、「タイ語初級 火曜日19:15」のクラスの男性3名に話して聞かせると、一人の生徒が次のように言った。「僕の場合はその逆です。主語が女性の私になっており、末尾も女性言葉になってしまうのです」
 困った困った。男性は男性の主語、女性は女性の主語に書き換える必要があるが、文字が全くわからない初心者には書き換える学力がまだついていない。しばし、性を気にしないでライン交換することを良しとするか…..。

短母音 vs  長母音

昨日、電車に乗っていたら、レーザー治療の宣伝が目にとまった。レーザーという英語はlaserと書く。それに対して、皮革のレザーはleather。この二つの単語は、本来の英語では発音が相当に異なるが、カタカナで書いてしまうと、違うのは母音の長さだけ。
 では、今日の出題。以下に列挙する単語の意味を書きなさい。出題の意図は、タイ語にも短母音と長母音の違いにより意味が大きく異なる単語が多々有るので、十分に意識して発音してほしいということである。
1)เกาะ / กอ  2)เคาะ / คอ  3)แคะ/ แค่ 4)ตก / ตอก 5)ตน / ตอน 6)สด / โสด 7)หัด / หาด 8)มิ / มี9)มิด / มีด10)รัก / ราก 11)ปัด / ปาด 12)ลง / โลง 13)ริบ / รีบ 14)รำ / ราม 15)นั่น / นาน  16)อัด / อาจ 17)ถัด / ถาด 18)ตบ / ตอบ 19)เห็ด / เหตุ 20)ราคะ / ราคา

ベトナム語の通訳

昨日は完全オフ日。布団を干したりしてのんびりと過ごすことができた。午前中、NHKのBSで「ハノイからホーチミン 国道1号線バスの旅」という番組(再放送)を見た。真面目に見ると、一緒にバスに揺られて旅をしている気分にひたれた。そして、村人の生活ぶりがよくわかった。昔のアジアがまだまだ残っている。
 一昨日、私はベトナム語の通訳をしている男性に会った。彼は2年間の猛勉強で通訳になったそうだ。タイ語は5声、そして、ベトナム語は6声。泰日文化倶楽部でも一時、ベトナム語クラスを開いたことがあるが、完全に習得した方はわずかに一人。声調がひとつ増えるだけでもものすごい負担に感じたのを覚えている。
 通訳をしている彼は言った。「私にはベトナム語がとても合いました。一緒に勉強していた人でどうしても合わない人がいました」
 それを聞いて、私は「そうですね」とすかさず同意した。語学にも相性がある。ぴたっと合えば、勉強は楽しい。そして、実力がついていく。

「敬う」というタイ語

今日は「敬老の日」。全国で65歳以上の女性が2千万人を超えたそうだ。老人意識はまだまだ持ちたくないので、「老」という漢字は無視して、「敬」という漢字について考えたい。
 「敬う」という漢字は、これまでにいやというほど書いて来た。何故ならば、私の名前だからだ。「草カンムリ+句」という成り立ち方は気に入っている。自然の中で、多種多様な表現が短くとも上手にできるようになればいいなあと日々、願っている。
 ところで、「敬う」をタイ語では何というか。それは、นับถือ(ナップトゥー)である。นับ(数える)+ ถือ(保持する)が合成されて成立しているが、以前からこの合成語がどうして「尊敬する」という意味になったのか不思議でならなかった。だが、นับも、ถือも、別の意味として、いずれも「見なす」という意味を有しているので、「見なす+見なす=崇める/尊敬する」となったのであろう。因みに、「信仰する」も同じくนับถือと言う。