高田馬場の地名の由来

 『江戸東京物語 山の手編』(新潮文庫 平成14年刊)の後部には12ページからなる年譜が編まれている。最初の1行には、「948年(天暦2年)白山神社が加賀国から本郷元町に勧請される」という記述がある。目を走らせていると、同じ1ページ目の中に「1604年(慶長9年)、家康、江戸城造営を開始。日本橋を基点とする五街道の整備を開始」とあり、さらには、続けて「1636年(寛永13年)、家康の六男・忠輝の母である<高田の君>のご遊覧地が<馬場>に」という文章にはっとさせられた。
 高田馬場の地名は『忠臣蔵』の堀部安兵衛の仇討ちの場としてあまりにも有名だが、その<高田>という地名の由来が高貴な女性の名前から依拠していることを初めて知り、歴史の裏話に興味を持った。
 上記の本には、「明治43年に山手線の新宿ー目白間に高田馬場駅が開業した」ことも書かれている。江戸時代に流鏑馬をする馬場は現在の西早稲田に在ったことは事実だが、それはそうとして、「たかだばば」と読むのではなくて、何故に「高田の馬場」と称するかがわかり、胸がすっきりした。