DAI語

昨日、1月11日、有名な芸能人カップル(DAIGO & 北川景子)が結婚発表の記者会見を開いた。
 「プロポーズの言葉は何ですか?」という芸能記者の質問に、DAIGOは「KSK 結婚してください」と答えた。アルファベットのイニシャルを使ったこのような言葉を、<DAI語>というそうだ。
 そう言えば、KY(空気を読まない)とか、すでにもう定着している表現が有った、有った。では、そのノリで、私も提案したい。
 ①TNM = タイ語を習いましょう!
 ②TSM = タイ語を喋りましょう!
 ③TTT = タイを旅して楽しみましょう!
 ④NST = 寝ても覚めてもタイ語!
 ⑤KTAT =今日もタイ語、明日もタイ語!

シュガーロード

新年早々、お菓子をたくさん頂いた。金沢のお菓子「千年樹」は金粉がぴかりと光り、表面に抹茶を振りかけると、まさしく苔むす大樹と化した。千年も生きる樹! まことに目出度い。
 昨晩は、3連休を利用して福岡から遊びに来た元生徒さんとお嬢さん2名を案内して銀座で食事した。その際、「なんばん往来」というお菓子を頂いた。菓子箱の中に入っているちらしには、次のように書かれていた。
 「びいどろ、かるた、ボタン、クローバー….. これらの舶来品が日本に伝わったのは、鎖国の時代です。唯一外国に開かれた長崎の街に、届けられた南蛮文化は長崎街道…長崎~筑前六宿~小倉をつなぐ道を通って、江戸に伝えられました。<中略> お菓子作りに欠かせない砂糖は、多くの人を驚かせときめかせながら、長崎街道を伝って江戸幕府へ運ばれたのです。この道が「シュガーロード」と呼ばれるゆえんです。
 ダイエットのためにはお菓子を控えるべきなのだが、このように歴史がわかるお菓子は大いに歓迎。シュガーロードという命名もなかなか面白い。

ชง (chong) というタイ語

3連休ということで、ミカン先生が長野県へスキーに行ったため、昨日の「タイ語上級 土曜日15:00」の授業(注:1月だけは15時開始)はピカピカ先生に代講していただいた。
 ピカピカ先生と習うのが初めての生徒もいれば、すでに習ったことがある生徒もいた。いずれにせよ、新年早々から笑いに満ちた雰囲気が有り、今年もうまく行きそうだと確信した。
 1時間近く自由会話をする中で、ピカピカ先生が次のように言い出した。
 「สำหรับฉัน ปีนี้เป็นปีชง 私にとって、今年はชง chong の年です。私は24歳になりますから」
 ชงという単語がわからなかった。辞書で調べると、T語(潮州語)と書いており、漢字は「衝」であった。辞書には「男女の合い性(筆者注:辞書のママ)が悪い」と書いてあった。
 そう言えば、タイでは男女とも厄年が24歳から25歳の1年間であることを思い出した。ピカピカ先生は目下、23歳。今年の誕生日が来れば、24歳。だから、彼女は今から警戒しているというわけだ。
 それにしても、ชงกาแฟ(コーヒーを淹れる)とか、ชงชา(お茶を淹れる)しか知らなかったが、ชงには別の意味があることを知り、一つ新しい単語が増えた。

タイの「子どもの日」

タイでは、毎年1月の第2土曜日を「子どもの日」と定めている。したがって、今日は子ども向けのいろいろなイベントが催されるそうだ。
 一昨日まで我が家に宿泊していた8歳の少年は、インターナショナル・スクールの3年生。一人息子だから、おもちゃ買い放題。今回の来日でもたくさん買った。中身だけを出して、箱は全部置いていったが、それらを重ねると、まるで箱アートが飾られているようであった。
 大人達の中で大いに甘えている姿は可愛い。しかし、大きな体を持て余し気味でもあった。母親が私に言った。
 「インターへ通わせているので、タイ人としてのお行儀が身につかないの。困ったものだわ」
 それを聞いて、なるほどと思った。タイでは、目下の者は目上の人にはきちんとした挨拶、すなわち、合掌をし、きれいな言葉づかいをしなければならない。母親は何度も息子に向かって注意していた。
 「アジャーン・ヨーに失礼ですよ。そんな言葉はだめ。もっときれいな言葉で言いなさい」

椿の花 と 女流作家

昨日の朝8時、我が家に宿泊中のタイ人女流作家(45歳)を案内して椿山荘へ行った。彼女はまず、セブンイレブンに寄ってコーヒーを買った。毎朝、散歩の前にコーヒーで頭を覚醒させていたとのこと。
 我が家から歩いて5分で日本女子大学だ。日本で一番最初の女子大学であることを作家に説明してあげた。
 さらに歩くこと5分で東京カテドラル教会が見えて来た。私はタイ人に椿山荘の美しい日本庭園を見てもらおうと思って、庭園の中を案内したが、彼女、予想以上に感激の連続であった。雪除けのために松の木に吊るされた縄を指さしながら、「これ、何かわかりますか?」と尋ねてみたところ、「クリスマスツリー」と彼女は答えた。やはり雪が無い国から来た外国の人にはわからないんだなあと思った。
 彼女は言った。「小さい時から日本のお話を読んでおりましたが、小説には椿もよく出て来ました。しかし、本物の椿を見たのは初めてです!」
 椿山荘の庭園には、日本各地から寄贈された様々な品種の椿が植えられている。それらをカメラにおさめながら、直ちにタイの友人達に発信していた。

タイ人作家の滞在

年末年始の期間、我が家にタイ人4名が泊まっている。一組のご夫婦と8歳の坊やは去年の4月に来て泊まったことがあるので、もう慣れたものだ。
 今回は奥さんが自分の友達を一人連れて来られた。その友達は作家であり、作詞家だそうだ。それを聞いただけで、私は緊張した。
 彼女は毎朝6時半に私のマンションの周辺を一人で散歩し、写真を撮りまくっている。初来日にして、初正月。明治通りの幹線道路は、普段は24時間、車が走り回っている。ところが、元旦に彼女が撮った写真には車が一台も写っていなかった。
 「東京は静かですね。すばらしい!」
 それを聞いて、私は答えに窮した。本当は車社会なんだけどなあと思いつつ、笑顔を彼女に返した。
 彼女達は今日、タイへ帰る。作家は言った。「東京滞在記を連載することにします」
 あらあら、何を書かれるのかしら? 普段、書く側の立場にいる私は、書かれる立場に立たされそうである。

無味無臭な正月

昨日、大学へ出講した。キャンパスの雰囲気はいつもと全く変わりがなかった。カトリック系の大学だから、イエス様の誕生を祝う人形がいまだに飾られていた。
 学生達に尋ねた。「年賀状、何枚もらいましたか?」
 だが、反応がうすかった。一人の学生がやっと答えた。「5枚」
 私はそれ以上、質問するのをやめた。大学生達はもはや年賀状の時代の人ではなくなったのだ。スマホで済ませていることは聞かずもがな。
 いずれにせよ、正月らしき習慣が通りざかりつつあるような気がしてきた。有っても、さらりとしている。ほんの形式だけ….という感じ。
 面倒くさいからと言って、伝統的な習慣をパスし始めると、この先、日本の正月はどのように変容していくのであろうか。

今日から始動

 ずっと自宅でのんびりとした時間をすごしていたが、いよいよ今日から仕事である。さすがに昨日から緊張が高まってきていた。
 スタートと言えば、今月から茶道を始めることにした。というのは、郷里に帰省した時、実家の斜め前の家が「京極庵」という名前で御茶室になっており、流れるようなお点前によるお茶を一服いただいた時、そうだ、以前、習っていた茶道をもう一度、学び直そうと思った次第である。
 茶釜から聞こえてくるしゅんしゅんという湯気の音を「松風」というそうだ。東京の喧騒の中にいた時分がいっぺんにして吹き飛んだ。
 静寂なる庭。その空間の美。何かが私に呼びかける。
 「またいらっしゃい。お茶を楽しんでください。お庭を楽しんでください」
 江戸時代から続くその御屋敷。そこにまたちょくちょくお伺いしたい。

メンター(mentor)

箱根大学駅伝は青山学院大学の完全優勝で終わった。各区間を走った選手が全員1位で走り、その結果、1区間から最後の10区間まで、1位という順位が並んだ時の美しさ! 39年ぶりの快挙だそうだ。
 監督も、選手も、そして、裏方さん達も、全員すばらしい。印象に残る勝ち方であった。
 だが、最近の箱根駅伝には競り合いが見られず、面白みにかける。もう少し、他校が頑張ってほしい。
 ところで、昨日、読書していたら、「メンター(mentor)」という単語に出くわした。調べてみると、メンターとは、支援者、理解者、教育者、後見人、指導者、等々の意味があるようだ。監督もその範疇に入るのであろう。だから青山学院大学の原監督はメンターだ。そして、選手達の食事の世話をしている奥様もメンター的存在と言えよう。
 メンターの語源は、ホメロスの『オデュッセイア』に出て来る人物の名前で、王から頼まれて王子の養育係をしたそうだ。
 現代に於いては、企業の人材育成制度に使われているようだが、企業だけではなくて、いずれの場所に於いても、メンターは必要だと思う。

今年の年賀状

今年もたくさんの賀状を頂いた。相対的に、いずれの年賀状もおとなしめで、奇抜なものはなかった。そういう私自身の賀状も、例年になく無難に済ませた。理由は、あまり元気そうなことをあれやこれやと書く年齢でもないなあと悟ったからである。したがって、「見ざる、聞かざる、言わざる」の三猿の絵入りにした。
 今年、一番に驚いたことは、区役所の高齢者福祉課から年賀状をもらったことだ。「振り込め詐欺にご用心!」と書かれてある。そして、①毎日の生活に心配なことがある、②高齢者向けサービスについて知りたい、③介護予防について知りたい、④認知症について相談したい、⑤地域のために貢献したい….こんなときは、高齢者相談センターへ、と追記していた。
 私に関係あるのは最後の⑤くらいだ。区役所は65歳以上の人達に一律に年賀状を送ったのであろうか。だとすると、税金の無駄づかいのような気がするが….。
 ずっと会っていない従姉に電話をしてみた。彼女は言った。「私は94歳。元気です。呆けてません。呆けてませんよ」と、澄みきった声で明確に言い切った。彼女と同じDNAを持つ私。ということは、私も大丈夫。