「生きる」というタイ語

昨日、「タイ語初級 木曜日14:30」の主婦クラスで、茨城県内で発生した洪水の話やシリア難民のことを取り上げた。そして、生きていくことの難しさに結論が至った時、一人の生徒が質問した。
 「生きるという単語は、タイ語で何と言いますか?」
 私はすかさず答えた。「ดำเนินชีวิต(ダムヌァーン・チーウィット)です。ดำเนิน(カンボジア語源)が縮まるとเดินになります。意味はいずれも、歩く。したがって、命(チーウィット)を歩くという表現をします。あるいは、生計を立てるという具体的な意味を表現する場合は、 ทำมาหากิน(タム・マー・ハー・ギン)がいいと思います」
 すると、タイ人講師が、「ใช้ชีวิต(チャイ・チーウィット)とも言います」と、追加した。
 「生きる」には、เป็น(ペン)もあるが、それは単に生命がそなわっている状態だから、使用例としては、「魚が生きている ปลาเป็นๆ」という表現で用いる。
 人間の場合、生きるということは、自分で生計を立て、日々、暮らしを続けていかなければならない。それには、いろいろな表現が有る。スマホの辞書で検索するのが一概に悪いとは言わないが、どうもピンと来ない事例がある。やはりタイ語の文章をたくさん読んで、状況を伴った上で、単語を覚えることをお勧めする。