信仰と長命

私の大学時代の先生(学寮の舎監)が90歳を迎えられたので、お祝いの電話をかけた。お声ははっきりとしておられたが、車イス生活になっているとのこと。
 「私の入っているホームは千葉県で最高にすばらしいところです。女子大卒の方達が全部で8名。そのほかに、高校時代の先輩や、私の従妹も入居しているので、誕生日にはお茶とケーキでお祝いしていただきました。私が体調をこわすと、皆さん、代わる代わる顔を見せてくださるので助かります。入居しておられる最高齢者は106歳の男性。102歳の女性もおられます」
 先生と20分ほどお話して、私は安心した。そして、考えた。先生が何故、さわやかにお過ごしであられるかを。先生は敬虔なるキリスト教徒であられる。筋金入りの信者だ。祈るお姿を何度も拝見したことがあるが、そのたびに我が身を恥じた。
 いずれの宗教でもかまわない。信仰は言葉の神髄を深めることができる。それを追及して日々、研鑽を積めば、100歳までは生きられると思う。