トン先生のおばあちゃん

今年5月から泰日文化倶楽部でタイ語を教えてくださっているトン先生は、日本語のブラッシュ・アップのために日本語学校へ通っておられる。卒業は来年3月。日本滞在ビザは更に3ヶ月もらえるということで、その間、まだ行ったことがない地方を旅して、日本を知りつくしたい様子だ。
 「春、母と祖母が日本に来ます」と彼は言った。
 1歳の時、父親が亡くなり、母親によって育てられたことは聞いたことがあるが、おばあちゃんの存在は初めて知った。
 「おばあちゃん、おいくつ?」
 「85歳です」
 「えっ、85歳で日本にいらっしゃるの?」と、思わず、私は大きな声で訊きかえした。
 どうやら、おばあちゃんは初来日をとても楽しみにしておられるとのこと。
 旅を企画すると、それだけで心がはずむ。あと4ヶ月もすれば、桜も満開だ。おばあちゃんに是非とも見てもらいたい。

中学の英語教師

以下の話は先月、NHKのニュースで見たものである。
 これから東京オリンピックまでに、50歳代のベテラン英語教師が相当数、定年退職をすることになるので、今のうちに、若手の英語教師に教え方を伝授しておいたほうがいいということになり、定評の有る英語教師の授業を経験が浅い先生達に参観させることになった。埼玉県の某学校に於いてである。
 ベテランの英語教師は一体、どんな教え方をするのかと思って、私も画面を食い入るように見たが、何てことはない、生徒のところに回って行って、‟Good!!”と言いながら、ノートに○を書いていた。離れて座っている生徒達は皆、白けていた。
 もっと驚いたことは、ビデオに収録したこの授業をたびたび見ながら参考にしてほしいと、若手講師達に希望していることであった。
 先生一人が楽しんでいてもしょうがない。生徒にとって英語の勉強が楽しいかどうかは、生徒の表情、そして、好奇心の度合いで判断できる。英語を教える以前に、生徒の関心を確かめるのが肝心だ。

小学校での英語教育

小学校での英語教育に関する是非が問われている。今朝、放送大学で東大教授が次なることを話していた。
 ① 外国人講師は楽しいゲームをしたがるが、それだけで終わってはならない。何を教えるかの目標を持って、指導すべきである。
 ② アクセント、そして、日本人が弱いr音とl音の違いをきちんと教え込まなければならない。
 ③ 小学校の英語教育が、中学校での英語教育のための助走で終わってはならない。
 教授だから理想を述べているが、実際に授業を行う英語教師は大変だと思う。何故ならば、40人もの生徒に英語を教え込むことは無理な話であるからだ。
 私は英語がとても好きな生徒だったから、小学校6年の時から高校3年まで英語塾に通った。だが、英語が嫌いな生徒がたくさんいるということを知ったのは大人になってからだ。
 私の考えは、英語が嫌いな生徒には別の教科を学ばせるほうがいい、あるいは、英語の成績をつけない、ということをしたほうが、英語嫌いの日本人をつくらなくてよいと思う。

徳島県山間部の孤立

徳島県山間部に予想もしない大雪が降り、3つの村が孤立状態になったのは12月5日。山道が通過不能になった理由に関して専門家がテレビで説明していた。本来であれば間引きすべき木々が、長きに亘り放置されたままになっており、それらが雪の重みで倒れ、道をふさいだとのこと。持ち主がはっきりしないため、勝手に伐採できず困っていると、県の役人は言っている。
 それを聞いて、昔の或る男性を思い出した。彼は徳島県の祖谷渓近くに住み、伐採した材木をトラックで運んで町に売りに来た。その際、私の家に泊まっていたからである。とてもさわやかで、明るい方であった。そういう男性が今でもいれば、今回のようなことにはならなかったのではないだろうか。
 みんな都会に出てしまった。残されたのは老人ばかり。98歳のおばあさんが大きな家で孤独死した話を聞くと、四国の山間部は限界集落になりつつあると思わざるを得ない。
 いずれにせよ、テレビのインタビューに応じる年寄達の話し方は私の慣れ親しんだ言葉なので、とてもなつかしかった。

鮨を握って50年

昨日、近所の鮨店に行くと、店内に胡蝶蘭の大きい鉢が5つも飾ってあった。
 「何か有ったんですか?」と尋ねると、「先月、開店50周年だったんですよ」と、大将のおかみさんが答えた。
 そこで、大将に向かって、「何歳の時から始めたのですか?」と訊くと、「21歳」とだけ答え、また鮨を握り始めた。
 ということは、現在、71歳。とてもお元気そうだから、あと20年は大丈夫だ。
 大将を見て、思った。何でも早くスタートすることの大切さを。彼はおのれの一本道をひたすらだ。
 奥さんがさらにつけ加えた。
 「私は築地の魚問屋の娘でした。甥も魚をやっているから、築地から大きなマグロを持って来てもらい、お客様の前でさばいたんですよ。解体ショーという言葉が有りますが、本当を言うと、マグロは生き物だから、解体とは言わないの。さばくというのが正しいんです」

言葉遊び ○ん○つ

 テレビ番組「笑点」は面白い。時々見ている。昨日の問題の中で、「<○ん○つ>の表現を列挙しなさい」というのがあった。
 最初に、挙げられたのは、原発(げんぱつ)。さらに挙げられたのは、婚活(こんかつ)、金欠(きんけつ)、天罰(てんばつ)、念仏(ねんぶつ)、根絶(こんぜつ)、判決(はんけつ)、等々。
 メモしたわけではないので、出場者が言ったことと重複するかもしれないが、頭の体操だと思って、自分でも、いろいろと考えてみた。
 乱雑、単発、奮発、反発、分割、散髪、検察、検札、岩窟、暗殺、管轄、簡潔、完結、完徹、断トツ、豚カツ……
タイ人にとって、<つ>の発音が難しいので、これらの単語を正しく発音するのはやっかいであろう。
 だが、いずれにせよ、このような遊びをしていると、頭の働きが活発になり、しかも、漢字も忘れないから、とてもいい。

生花 と ミャンマー人のお手伝いさん

昨日、泰日文化倶楽部に於いて、「第92回 アジア女性のための生け花教室」が開催された。残念ながら、外国人の参加は一人も無く、日本人女性だけで、皆それぞれに生けた。用意された花は
角葉アカシア+ガーベラ+レースフラワー。先生のご指導のもと、とても可愛らしく生けることができた。
 参加者のお一人にHさんという方がおられるが、彼女の御主人はここ数年、ヤンゴンで日本語教師として、楽しくお過ごしだそうだ。
 昨日、そのHさんから伺ったところによると、御主人のアパートにやって来られるお手伝いさんは、毎朝、生まの花をたずさえてやって来て、花瓶に生けてくださるそうである。ミャンマーの女性がいかに花を愛しているかが、この話から一目瞭然だ。毎日、生まのお花を取り換えて、新鮮な空気を取り込むということは、何と素敵なことか!
男性といえども、そのような扱いを受けると、ずっとヤンゴンでいたくなること間違い無し。

真似し猫

最近、招き猫を求めて、都内を歩いている。十条で見つけた染付の招き猫が珍しかったが4千5百円だったので、買うのを保留にした。そして、浅草橋の骨董屋に行くと、貴婦人のような招き猫が有ったが、2万5千円だったので、鑑賞するだけにとどめた。
 谷中に猫グッズ屋さんが有るのを思い出したので、さっそく行ってみた。すると、「開店5周年」と書いていたので、店主にお祝いの言葉を述べて、しばらく雑談した。
 すると、なんだか騒々しい。店主がその理由を教えてくれた。
 「この猫は人の言葉の真似をするんですよ。ほら、あたし達の言葉が聞こえるでしょ」
 そう言われてみると、騒々しい音の中に、私の話す言葉がエコーのように聞こえてきた。あらあら、物真似が実にうまい。
 それを買って、泰日文化倶楽部の生徒さんにプレゼントしたくなった。自分が発音するタイ語を猫の物真似からもう一度聞き返してみるのも一興だ。

タイ国王陛下 祝87歳

今日12月5日はタイ国王陛下の御誕生日であらせられる。
 今朝、会ったタイ人に向かって、「今日はナショナル・デーですね」と話しかけると、彼はすかさずこう言った。
 「ワン・ポー วันพ่อ 父の日 ですよ」
 その言葉の響きに、タイ人は国王のことを、本当に「国父」として敬愛しているのがよくわかった。
 1946年6月9日、ラーマ9世として即位されたプーミポン国王陛下は在位68年になられる。即位60周年記念行事が行われた時、エメラルド寺院の傍の沿道で、国王陛下がお通りあそばされるのを私は拝見したが、あれからもう8年が経過したことになる。
 どうか、これからも永久(とわ)に御長寿であれかしとお祈り申し上げる次第である。
 ทรงพระเจริญ ทรงพระเจริญ ทรงพระเจริญ

民俗学者 宮本常一氏 と 私の実家

先週、新宿西口地下広場で開催された古書市で、『宮本常一 生誕100年記念 <忘れられた日本人>を訪ねて』(別冊太陽 148号 平凡社 2007年)を購入した。理由は、どうしても調べたいことがあったからだ。
 それは、『私の日本地図 瀬戸内海 Ⅳ 備讃の瀬戸付近』(宮本常一著 同友館 昭和48年)に、私の実家が写真入りで紹介されていたので、一体いつ、彼は私の実家の写真を撮ったのかを調べたいと、かねがね思っていた。
 前出の本には彼の日本全国の調査記録が詳しくまとめられており、彼が塩飽諸島(丸亀市[本島、牛島、手島])に調査に来たのが、昭和46年(1971年)4~5月であることが判明した。長年、気になっていたことが解消されて、とてもうれしかった。
 私の実家は旅館をしていたので、おそらく宮本氏は宿泊したに違いない。そう思いたい。宿帳を見ればいいのだが、実家の解体と共に、すべてを廃棄したから、今は何もない。いずれにせよ、調べものをすることは、なかなか面白いものだ。