豆腐屋のおじさん

ここ数日、ものすごく寒い日が続いているため、フジ・テレビが水を使っている人々を取材して回った。魚屋さんは魚を洗いながら、「そりゃあ、冷たいですよ」と言った。しかし、よく売れている魚屋だろう、彼の顔は明るかった。
 魚屋の次に豆腐屋が出てきた。その豆腐屋を見て、あっと思った。店の構えが私がたまに買いに行く近所の豆腐屋に非常によく似ていたからだ。だが、都内の豆腐屋というものはどこも似たりよったりだろうと思い、それ以上は詮索しなかった。
 それから2日後、たまたまその豆腐屋の前を通りかかったので、豆腐を買いながら、おじさんに尋ねてみた。「おじさん、この間、テレビに出ましたか?」 すると、おじさんは首を縦に振った。やはり、この豆腐屋だったのだ。私が豆腐を買う時はおばさんが応対してくれるので、おじさんの顔は知らなかった。しかし、店の構えだけはよく覚えていたので、私の勘は当たっていた。
 豆腐屋の存在は有難い。何故ならば、スーパーで買うパック入りの豆腐はどことなく味気ないからである。それは製造者が見えないからだ。
 これは語学の勉強にも言える。先生について教室で直接習うことは、何かあたたかいものが得られ、それが蓄積していくと、知らず知らずのうちに語学力がついていく。