走るということ

元日は全国実業団駅伝、そして、2日と3日は箱根駅伝を見て過ごした。東洋大学の安定した走りはどのスポーツ関係者も絶賛。東洋、強し!
 その他に、走る番組をもう一本、見た。それは、メキシコのコッパーキャニオンに住む「ララムリ=走る民」を取材したものだ。男も女も、大人も子供も走る。いやはや、とにかく走る。競技の時でも、普段着で走る。だから、女性はギャザー・スカートのまま走る。
 一番速く走り、競技大会で数々のメダルを獲得している男性をカメラがずっと追って撮影を試みたが、彼は実によく走った。「競技大会に備えて、どんなトレーニングをしているのですか?」と取材する側が尋ねると、「いや、別に何もしてはいないよ。朝夕、水汲みをしに山を下りたり上ったりしているからね。ただそれだけ」
 私はスポーツはからきしダメ。したがって、走るのも嫌いだ。だが、ひるがえってよくよく考えてみるならば、1969年4月に社会人の仲間入りをしてからというもの、失業することもなく、好きな仕事に恵まれて、ひたすら働いてきた。あと3ヶ月で満45年になる。「働く」ということを、「走る」と同じ次元と見るならば、私も「ララムリ=走る民」に負けず劣らず、走り続けてきたことになる。