ある国文学者

  私が住んでいるマンションに、平安時代の言葉を研究している国文学者がおられる。開いている窓から、一度だけお部屋の様子が見えたことがあるが、壁一面、本でいっぱいであった。彼とは玄関先ですれちがうことが何度かあったが、最近、お姿をみかけない。
  そこで、管理員さんに尋ねてみると、「あの方でしたら、もう2年前にお亡くなりになりましたよ」、と言われた。
  私はいろいろな意味で驚いた。お見かけしないまま、もう2年が経ってしまったこと、そして、いっぱい詰まった彼の頭の中の知識がかなり前に消えてしまっていたことに。
  マンションでは、空巣対策として、掲示板に訃報の知らせを貼らないきまりにしている。したがって、住民は誰が亡くなったかわからない。家族もそれを望む人達が多いらしい。希薄といえば希薄な集団だ。